Zakkan (雑感)

趣味の雑感。
碓氷峠
Tさんからのメールの「EF63」という言葉で思い出した。


そう、11年前の1997年、長野新幹線開業で廃止された信越本線・碓氷峠。
群馬・長野の県境、横川〜軽井沢は険しい山で、関東から長野へ至る交通の難所だった。明治時代、同区間に鉄道が出来た頃は、2本の線路の真ん中に車両から突き出した歯車を咬ませる線路(ラックレール)を敷いて急坂をよじ登った。
戦後、技術の進歩で、通常の線路上を、専用の強力な機関車で列車を押し上げるようになった。大幅な時間短縮と輸送増が可能になった。
(写真のように、電気機関車が後ろから特急電車を押し上げる)

横川駅といえば駅弁の「峠の釜めし」
ここで峠に備えるために機関車を連結、解放するために全列車が5分程度停車することからこの駅弁が有名になった。
余談ながら、中身を食べて持ち帰った「釜」でごはんを炊くと結構美味しい。それから、日本画材の膠を多量に溶かすにも最適な容器だった。

今でも「峠の釜めし」は横川・軽井沢駅、長野新幹線車内販売で販売中。

この峠越えの体制で35年が経過したが、時代の流れは新幹線。長野オリンピックを控えた1997年9月末、横川〜軽井沢の区間と機関車は消滅する運命となった。


碓氷峠の区間で一生を過ごした専用機関車がこのEF63形。
「峠のシェルパ」とも呼ばれる。

急坂に備え、二重、三重ものブレーキ機能を持っていたという。中でも「電磁吸着ブレーキ」というものは、列車が止まらなくなった際、強力な電磁石でレールにへばりつく機能。しかも「主電動機回路を短絡させる」という解説があり、これは機関車そのものが壊れてしまう自爆ブレーキ。
身を挺して乗客の安全を守る、利益よりも安全を最優先していた国鉄の体制が垣間見える。
そんな横川駅には機関区があり、峠の安全を支える人たちで、常に緊張が走っていた。

さて、写真は1993年9月。新潟からS君の最初の車「いすゞジェミニ(通称ポコ太)」で行ったような気がする。「やっぱり三国峠越えなきゃ〜」などという先輩の横槍が入りながら。

廃止まで、まだ約4年の年月があり、撮影者はほとんど見られず、のどかな沿線だった。(廃止直前は大騒ぎだったという)
丸山変電所跡付近。当時は横川からここまで線路沿いの砂利道を、車で入ることができた。
機関車の助けを借りて行きかう特急「あさま」を見ながら釜めしを食べたのも懐かしい。車内のお客さんも釜めしを開けているのが見えた。

EF63は必ずペアで使用される。臨時列車等があると上下のバランスを取るため、写真のように、ペア×2=4両で回送されることもある。
これは象の行進みたいで迫力があった。

廃止から11年。ここに再び列車が走るという話もある。
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