Zakkan (雑感)

趣味の雑感。
周遊券
ネタが尽きたら思い出話。

JRの周遊券という切符が無くなってから、何年の月日が流れただろうか。
学生時代には、旅に帰省によくお世話になった。周遊券とは、現地エリア内の自由区間と、往復の運賃がセットになったもの。他に、船や飛行機と組み合わせて、旅行会社にオーダーメイドできる一般周遊券というものもあった。
特に、駅ですぐ買えるワイド・ミニ周遊券は、周遊券の種類にもよるが、エリアまでの経路が数種類選択でき、経路は急行列車の自由席、エリア内は特急列車の自由席まで任意に乗車できた。出発地が遠いほど有効期間は長く、最長20日というものもあり、帰省の際に購入したり、効率よく旅行が楽しめた。その学割価格は破格だった。

当時の私は、いわゆる「乗り鉄」だったので、日本全国未踏の地へ周遊券で出かけた。周遊券の強みは、何と言っても宿代わりに夜行列車が利用できることで、同じことを考える人は多かった。夜行3連泊など当たり前だった。温泉か銭湯で汗を流して、周遊エリア内を走る夜行列車に乗ってしまえば、宿代は不要だった。ただし自由席のみ有効なので、座席で寝る苦行になる。今日、通勤電車で爆睡できるのは、この業あっての成果かもしれない。

東北ワイド周遊券での荒技は、青森から上野行急行「津軽」号に乗車し、未明に周遊エリア南端、福島で下車。ほどなく、上野発の「八甲田」号がやって来るのを待って北へ引き返した。若さ故にできた芸当だ。いずれの列車も今はすでに廃止されてしまった。

北海道ワイド周遊券の思い出は、札幌発稚内行、急行「利尻」号。夏の北海道は、私のようなマニアのみならず、自転車やらテントを抱えた人で混雑する。今思えば、その時の私はバンダナに画帳、ケミカル色のパンツ姿というヘンな格好だったが、埋没して分からない位だった。その利尻号は、最北の街・稚内を目指す客で札幌駅は大混雑。やっとの思いで着席できたと思ったらそれも束の間、「いちばん後ろの車両は、名寄にて切り離します」の放送に絶句。夜中3時頃、名寄にて前へ移動したが、満席。なんと夜行列車で立つハメになった。車掌さんが空席を気にしてくれたお陰で、2時間程の辛抱で済んだが、外は明るくなりかけていた。入浴してから宗谷岬へ行き、余りの眠さに早々に稚内を後にした。稚内滞在時間は、僅か6時間ほどだった。

九州ワイド周遊券では、当時は博多〜鹿児島・宮崎を結ぶ夜行特急「ドリームつばめ・にちりん」号の運転が始まった頃。昼間は特急「つばめ」(現在は九州新幹線)に使用されるピカピカの電車で、座り心地の良い椅子と、ホテルのような設備で快適そのものだった。しかも鹿児島は温泉が多くて有り難かった。トンコツラーメンも旨い。
ただし、九州の夏は、暑いのと、集中豪雨の直撃が難点だった。忘れもしない、1993年夏。鹿児島市の「竜ヶ水」地区で土石流が発生し、家屋と列車が丸ごと海に押し流された。私はその前日、鹿児島におり、前夜に現場を通過していた。間一髪だった。友人達はレンタカーに乗っており、辺り一面、川と化した鹿児島市街地に残されたという。その後も各地で足止めを食らい、九州から脱出するのに一苦労だった。

21世紀を目前に控えた90年代の日本は、昔ながらの?ハードな旅を楽しむことができた、最後の時間だったのかもしれない。

現在の周遊券は「周遊きっぷ」として発売されているが、自由度・種類・お買い得感共に少ない。
| Rail&Hand | - | 21:46 | - | - |
夏日の午後
近畿地方はやっと梅雨が明けた。本当に暑かった。

午後、N夫妻と3ヶ月になる赤ちゃん(女の子)が来宅した。赤ちゃんには初対面だ。どちらかといえば、父親似かもしれない。
我が子も昨年はこんなに小さかったのかと実感する。但し、こんなにおりこうではなかったような気がするが・・。

N君も私もいつの間にか父親になった。N家はどちらも細身ということもあり、いつも小奇麗な服装をしているが、車の「BABY−IN−CAR」というステッカーが、そんな世代を実感させる。お互い年を取るのは早い。

涼しくなったらまた一緒に出かけようという話になった。
物心ついたら、いつか一緒に遊ぶ日が来るのを楽しみにしている。

我が家の中型動物は、遊び疲れてやっと寝たようだ・・。


| Rail&Hand | - | 21:54 | - | - |
たこ焼き


関西の家庭には必ず「たこ焼き器」があるという話を聞いたことがあるが、我が家には一昨年まで無かった。その「たき焼き器」は何故か新潟県燕市産。

お好み焼きよりもずっとゆるく生地を作らねばならない。
不慣れな私が焼くとご覧のとおり見苦しい・・。
タコの代わりに、ウインナーやツナを入れてもニクニクしくてうまい。子供でも食べられる。
今の時期、ビールに良く合うが、食べ過ぎると飽きてしまうのが難点。
| Rail&Hand | - | 20:05 | - | - |
急行
城崎と餘部(アマルベ)橋梁の話で思い出した。

今から25年位前だろうか。家族で鳥取方面へ旅行したことがある。当時、すでに高速道路網が充実しつつあったが、大阪から山陰方面への連絡は、福知山線や播但線、姫新線がまだその役目を果たしており、様々な特急・急行列車が運転されていた。

往路は姫路から大阪発鳥取行急行「但馬」に乗車した。姫路駅で向きを変えた列車は播但線に入る。当時の播但線内のことはよく覚えていないが、生野の分水嶺を越えて日本海側に抜ける路線だ。後年、阪神・淡路大震災により神戸の交通網が不通となったとき、大阪方面への迂回ルートとして、満員の列車に乗った記憶の方が大きい。和田山から山陰線に入り、豊岡、城崎を過ぎて、その餘部橋梁を渡った。車内からの眺めは高い鉄橋というだけで、あっという間に通過した。車掌さんによる、鉄橋の案内放送があったのを思い出す。10年前、初めて現地を訪問したが、改めてその威容に驚いた。

復路、鳥取からは、因美線・姫新線経由、大阪行急行「みささ」に乗車した。名湯、三朝温泉に由来しているようだ。津山までは岡山行の「砂丘」と手をつないで走り、津山からは大阪行「みまさか」を連結する。国鉄時代はこのような連結を繰り返して目的地へ向かう列車が多く見られた。

さて、復路の路線では、昔ながらの腕木式信号機が使用されていた。腕木式信号機とは、青・黄・赤の電球信号ではなく、てこで可動させる捧の傾きで進行・停止を表示するもの。昔の山田洋次の映画に出てくるかもしれない。これは全て駅員の人力による、アナログ運行管理である。ゆえに列車の正面衝突を防止するため、2駅間を走る列車には「タブレット」という金属の玉を通行許可証代わりに持たせた。(これを閉塞区間という)玉はワイヤーの輪がついた革のケースに入っており、受け渡しがしやすいようになっていた。急行列車等は、駅を通過しながら駅員に投げ渡した。高速化とは無縁の原始的な手法で、駅を通過する度にノロノロ運転となった。特に因美線では10年位前まで使用されており、末期は鉄道マニアの注目を集めた。
子供の頃は自宅近くにもあり、信号機がガチャンと動くのを見るのが好きだった。信号機は棒が可動するもので、キップは厚紙で出来ており(硬券という)改札挟で切るものだった。それも忘れてしまうほど時が流れた。

急行とはいえ、普通車は4人がけのボックス席だった。今では時代遅れだろう。それでも車内販売があり、行楽客で賑やかだった車内は今では想像がつかない。相席のおじいさんからキャラメル(多分ハイソフト)をもらったのを覚えている。「旅にハイソフト」というのはまさにこの気分だ。あの茶色い箱はまだ売っているのだろうか・・。ハイソフトを舐めながら、茅葺き屋根の集落をゆくローカル線。その中でも一番偉い「急行」とあって、胸を張って走っているようだった。
いつの間にか「急行」という種別もあまり聞かなくなってしまった。

そして現在、前述の急行列車は全て無くなってしまったが、近畿〜鳥取方面への連絡は新たに開通した智頭急行線を経由する特急列車により、当時の1/2近い時間で結ばれている。やはり快適さは現代に叶わないので、ノスタルジーは思い出だけで十分だと思ったりする。
| Rail&Hand | - | 21:22 | - | - |
城崎
真夏日となった。まもなく梅雨明けのようだ。

秋に城崎温泉へ行きましょうと誘いのメールをもらった。学生時代のOB会(私よりだいぶ世代が上の方々の)旅行である。いつも会うメンバーではない。珍しく西日本開催で、面識の薄い私はご当地兵庫県ということで声を掛けていただいた。11月は新潟へ帰省する予定だが、妻と娘が向こうでのんびりしている間なら参加できるかもしれない。

城崎は5年前に友人達と行ったきりだ。もう時効だろうが、大量の缶ビールをカバンに詰め込んで宿に持ち込んだりした。部屋で夕食時、頼んだ瓶ビールがいつまでも減らないのが不自然だった。

兵庫県北部は近くて遠い。同じ県内でも、日本海側は別世界のようだ。最近は和田山まで高速道路が開通したが、そこから豊岡方面は一般道。播但線や山陰線は特急列車に乗っても遅い。
家族での外出はいつも車なので、たまには列車の旅も良いかもしれない。乗ったらすぐ寝る癖がついてしまったが。
今年度末から架け替えが始まる、餘部橋梁も今のうちに見てみたい。
| Rail&Hand | - | 21:59 | - | - |
ダンドリ
今日は振替で休みだった。
一日中娘の機嫌が悪かった。5月に飛行機に乗ったとき以来の勢いだった。親子ともにグッタリ;
妻も私もイライラが頂点に達し、あれこれ揉めると、娘はさらに泣き、悪循環に陥る。この子に罪はないのだが。妻との些細なケンカにまたしても反省した・・・。全く懲りてない。外出する段取りもすっかり崩れてしまった。

やや苦し紛れだが、段取りで思い出した。
今月より「ダンドリ」というTVドラマが放送されている。(火曜21時〜フジ系)全米選手権で初優勝したダンスドリル部の実話を基にした、青春コメディー。「がんばっていきましょい」等に通ずるようだ。結末は見えており、特に見ようと思っていなかったが、オッ!と思ったのは、鉄道模型が登場していること。

TOKIOの国分太一演じる顧問教師が、教務準備室のような部屋にジオラマを作り、模型の電車を走らせている。鉄道マニア先生という設定のようだが、学校でこんな事していいのか?
「大井川鉄道ってすげーよな」とか「DD16はSLに変わって登場したディーゼル機関車。これ試験に出るから」等と言うのには笑った。
国分には似合わぬ地味な先生役で、「鉄道趣味=暗い」というイメージが滑稽かつ巧みに演出されている。
でも実際には国分太一のようなマニアはいません。あしからず。
| Rail&Hand | - | 22:15 | - | - |
夢を見た
さて、いちいち落ち込んでいる暇はないので、気持ち新たに歩き出すことにした。

そんな昨夜は何故か夢をみた。今から20年以上前、父親と南紀へ出かけた時の夢だ。起きてから当時のことを鮮明に思い出すことができた。

きっかけは、テレビで大阪の天王寺から和歌山の新宮を結ぶ、夜行普通列車が紹介されていたこと。当時(今も)鉄道少年だった私が「乗りたい」と言ったのが始まりらしい。「JR」ではなく、まだ「国鉄」だった。

私は小学4年生位で、春休みだったと思う。夕食後、父と家を出発して夜の天王寺へ着いた。時間があるので、駅前のハンバーガー店で過ごしたと思う。こんな時間でも大阪はずいぶん賑やかだと思った。
阪和線ホームに上がると、すでに並んでいる人達がいた。待ちくたびれた頃、入線案内があった。阪和線の天王寺は阪急電車の梅田みたいに、行き止まり式の駅。電車なら両端に運転席があるので問題ないが、新宮行きは機関車が客車を牽く列車。誘導員が旗を振り、機関車が後押しでバック入線してきた。
先頭に立つ電気機関車は、戦後、新幹線開業前の東海道で活躍したEF58型。流線型のデザインで、特急「つばめ」等を牽引した。鉄道マニアに人気がある。当時は紀伊半島で最後の活躍をしていた。(現在は営業用として残っていない)

青い客車に乗り込むと、車内はクーラーボックスや釣竿でいっぱい。この列車は「太公望列車」でもあった。夜明け前に串本や白浜に到着するので、太平洋の釣人達に人気があった。乗客はオジサンばかりで、子供は私くらいしかいなかった。
天王寺発車は23時頃だろうか。ビール片手に話す人達で割と賑やかだった。
日付が変わる和歌山につく頃は、さすがに眠くなった。しかし、普通列車の4人掛け座席での就寝が初体験の私は、寝る体制の確保に悪戦苦闘・・。しかも車内は煌々と照明が灯る。暖房が効きすぎて暑い・・。

騒々しさに気がつけば、本州最南端の串本で、半分以上の人が降りた。
車窓に太平洋が見えるはずだが、外は真っ暗。
5時頃だったか。夜明け前の新宮に到着。結局3時間ほどしか眠れなかった。
その機関車を見るべく前へ歩いたが、すぐに切り離されてしまった。
「座ったままで眠れたか?顔がひしゃげてるで」と父が言った。

新宮は、紀伊半島の街だけあって、ずいぶん暖かかった。
待合室でウトウトしてから、早朝の特急「くろしお号」で天王寺へ引き返した。さすがに父も眠かったのか、目的を果たした私が満足するのを見届けたのか、とんぼ返りだった。「くろしお」の中では半分位寝ていたが、これも初めて電車なので、勿体無いと思って必死に外を眺めていた。短い編成の特急だと思った。新宮を4両で出発し、白浜から前に4両を連結した。

昼前には、大阪に着いていた。当時、梅田の旭屋書店7Fにあった、「マッハ模型」に行きたいと私がねだった。そこで電車庫のキットを買ってもらった。小遣いの限られる当時の小学生にとって、こういうときこそチャンスである。
(昔も今もやっていることは変わらない。しかも、好きなだけ小遣いが無いという点も変わらない;)

そんな父との南紀への旅だった。この夜行列車はすでに廃止されてしまったが、今も特急「くろしお」は大阪と白浜・新宮を結んでいる。

健在の父は、昨年から祖父になった。普段黙っているが、孫がたいへん可愛いらしい。そんな父の背中を見てきた私も、当時の父の年齢に近づこうとしている。私も子供の思い出を作ることができれば、と思うのだった。
| Rail&Hand | - | 22:38 | - | - |
ミス
仕事でミスをした。それも大きな。普段からいい加減な私だが、さすがに今回は懲りた。同じ事は二度と繰り返してはならぬ。信用問題だ。重要な役目を任されていることを改めて痛感した。

信頼を築き上げるのは地道なことだが、失うのは積木を崩すようにあっという間に崩壊する。取り戻すのは大変だ。今までどおりでは駄目だ。

それでも、もっと若い頃より冷静に対処するようになっただけマシかもしれない。それでも昨日は憔悴しきっていたが。

やっぱり一から勉強した方がいいと思った。

今年は戌年。用心した方が良い年だと耳にした。あと半年も注意を怠らないように過ごしたい。
| Rail&Hand | - | 21:56 | - | - |
卒乳
妻です。
一年間、完全母乳で娘を育ててきました。
しかしこのたび娘も一歳になり、また最近好き嫌いをしだして余りにご飯を食べないので、思い切って昼間の授乳をやめました。
するとみるみるお乳は出なくなり、今ではスズメの涙程度しか出ていません。しかし、娘も夜になるとお乳を思い出し、前歯の生え揃った口でおもいっっっきり吸引するので、涙が出るほど痛いのです。

「ぱぃ」とのお付き合いももはやこれまででしょうか・・・。
思えば、春の桜の木の下、揺れるプロペラ飛行機の中、はたまた小児科の待合室で・・・。「ぱぃ」があれば娘はいつでもお腹を満たし、精神を安定させることができました。いわば携帯するバランス栄養飲料。人間ミルクタンク。(その度に主人に「むやみに出すな!!」と叱られましたが。)

お乳をやめるとご飯を食べるようになるって、本当ですか。
また夜泣きはしなくなるんでしょうか。
昨夜遅く、一日運転士と化した娘は、興奮して夜中に4〜5回目を覚ましました。その度に出ないお乳を吸引し、擦り切れるかと思うほどの苦痛を味わいました。誰か親子とも、自然に乳離れできる方法を教えてください・・・。やはりお乳に「カラシ」を塗るしかないのでしょうか。
| Rail&Hand | - | 12:19 | - | - |
鉄子の部屋


娘がテーブル内のジオラマを見て喜ぶので、試してみた。
1歳になったばかりの赤ん坊が、コントローラーのツマミを回して模型電車を運転する。これには驚いた。運転といってもいきなり全速になるのだが。試しに電源を切ってみたら、「何で?」という顔でこちらを見るので、これを回せば動くということを認識しているようだ。賢い。鉄子まっしぐら?
言葉は出なくても、他にも大人がすることを見て、何でも覚えているようだ。

いずれウルトラマンの怪獣の如く破壊される想像がつくので、テーブルの引き出しが開かないように加工する必要がある・・。
| Rail&Hand | - | 20:55 | - | - |
観光
友人I君からメールがきた。親孝行で北海道へ旅行中だという。羨ましい限り。
♪やっと3日貰えるのが夏休み〜という歌があったが私は2日。今は家族で何処かへ行くには、移動時間は短いほうがよい。昔のようにローカル線で駅ソバをすするという訳にはいかない。

以前、妻が湯布院に行きたいと言っていた。女性は何故か湯布院に憧れる。会社の女の子も湯布院へ行ってきたと喜んでいた。有名な温泉宿が存在するという理由もある。
過去に私は湯布院に行ったことがある。感想は普通の田舎だった。観光や温泉に宿泊していないから印象が薄いのだろうか。軽井沢も然り。良い宿を満喫すればそれなりに満足できるのだろうが、私は周囲の仲間を含めて学生時代から無縁だった。B級宿でバカ騒ぎする方が面白い。B級宿の浴衣で老舗宿の内湯に行ったりもした。要は仲間とワイワイ集まる手段だった。

博多から「ゆふいんの森」という特急列車(と言っても遅いが)が出ている。眺めの良いガラス張りの車内は観光客で賑やかだった。名前からしてリゾート気分全開だ。
昨年放送、NHK朝の連ドラ「風のハルカ」も湯布院が舞台だった。ほんの少ししか見ていないが、我々がイメージする湯布院と現実のギャップがそれとなく描かれていたように思う。
ちゃんと観光すれば湯布院も面白いはず?かしこまって再び行きたい。


| Rail&Hand | - | 22:09 | - | - |
ハンバーガーの日
今日7月20日は、ハンバーガーの日。今から35年前、1971年7月20日、マクドナルドが日本初の店舗を開店した。当時の価格はハンバーガー1個80円。当時としては高級品だ。

私が子供の頃は、マクドナルド位しかなかったので、ハンバーガーとはこういう物だと思っていたが、18歳にして初めてモスバーガーに出会った。田舎なのでモスはまだ近所になかった。前にも言ったが、この味はカルチャーショックだった。
しかしマクドはライバルに負けじとクーポン券を新聞折込チラシに入れる。庶民ゆえ釣られたことがあるが、所詮味はマクドだった…。
「世界の言葉マクドナルド」というCMが昔あった。東西冷戦が終結した今日、世界は総アメリカ化していると言っても過言ではない。世界平和の鍵を握るのも、文化文明の発信もアメリカだ。ハリウッド映画の多くは、アメリカの地球上の確固たる地位を見せつける。
ソ連崩壊後、モスクワにマクドが開店した時は世界の総アメリカ化を実感した。

しかし私のアメリカに対する主観は「安かろう悪かろう」何か浪費文明の象徴みたいだ。
アメ車はすぐ壊れる。デカくて燃費が悪い。食べ物は不味い。生活習慣病が多い。アメリカに行ったことがないくせに言うが、向こうから輸入の食べ物は口に合わなかった。
好きな模型に限って言えば、アメリカ型は安い。有難いが粗悪品も多い。(アメリカ設計の中国生産がほとんど)まあ、それだけオオラカな国民性ということになる。

しかし、日本人はアメリカの真似ばっかりでは、この国の形を見失ってしまうだろう。司馬遼太郎氏も似たようなことを言っていた。
民家の庭先のカントリーな星条旗色の装飾を見るにつけ、アンタどこの国の人?と思う。まあ個人の趣味だから良いのだが。

等と言いつつ、ハンバーガーは好きなので、和製のモスを食べる。日本人が考えたハンバーガーだけにやっぱり美味しい。
皆さん、ハンバーガーの日はモスバーガーを食べましょう。

| Rail&Hand | - | 18:26 | - | - |


妻の実家から桃が届いた。実家は生産者である。
赤く熟した実は、甘い!

東日本では新潟県も山梨や福島と並ぶ産地。ここの桃は、完熟したものを出荷しているので、流通も限られる。
鮮度の関係で、西日本では岡山産、和歌山産と謳う桃が店頭に並んでいるが、どれも若いうちに収穫しているので、白く硬い。苦い。今まではコレを旨いとか言っていた。本来の味を知らずじまいというのは、なんと悲しい事だろう。

それにしても、形だけ手伝ったことがあるが、桃の生産は大変だ。夏の果実なので、炎天下の中、袋かけ、防虫、収穫作業がある。雨や台風の脅威もある。柔らかいので全て手作業。親類みんな集まってマニュファクチャーだ。
桃は高価だと言われるが、このコストは反映されてしかるべきだと、農業未経験の私も思った。

「生産者が一番いいもの食べてんのよ〜」とは新潟の母の言。

先日、○ャスコで「産地直送!トウモロコシ」とあり、軽トラックごと店内に持ち込んで販売されており、黒山の人だかりだった。見ると、ヒゲと皮がチリチリになったトウモロコシだった。そのとき新潟から頂いたモノとは雲泥の差だ。演出だけ立派で、それを新鮮と思い込む都会の人が悲しい。

街の子供は海の絵で、ゆでた赤いカニを描くけど、漁師の子供は黒いカニを描く。そんな感じだ。

あ〜お母さん、またくださいm(_ _)m




| Rail&Hand | - | 20:38 | - | - |
近年、梅雨の終わり頃はどしゃぶりが多い。各地で被害が出ている。
一昨年の新潟県7.13水害や豊岡の台風23号以来、雨には敏感になった。
一昨日、中山寺の帰りにバイパスを走行中、前の方が減速するので何だと思った途端、バケツをひっくり返したような雨。ドリフのコントのような降り方だ。
等と冗談を言っている場合ではなく、ワイパーは効かず、前も後ろも見えなくなった。このままでは事故になりそうなので、最寄の出口で降りた。雨音で後ろで寝ていた妻も飛び起きた。(娘は微動だにしない)
しばらくコンビニの駐車場で雨が治まるで待つことにした。案の定救急車の音がした。
雷による停電があったらしく、信号機が点滅になっていた。

オープン・カー(ジムニーの幌仕様)がずぶぬれで走っていったが、電気部品が壊れるのではと、他人事ながら心配になった。(裸のドライバーも風邪ひくだろう)

| Rail&Hand | - | 21:50 | - | - |
カビと鉄道

あいにくの空模様が続く。
久しぶりに模型でも走らせて遊ぼうと、ガラステーブル内に製作したジオラマの前に座った。これはソファーの応接テーブルを兼ねて鎮座している。かつて実在した、新潟交通の電車線(新潟市内〜燕市を結んでいた)をモデルにしたもの。(詳細は弊サイト参照)
よく見ると、草地と線路の砂利が白くなっている場所がある。なんとカビだ!遊んでいるときに食べ物をこぼした訳ではない。ガラスで密閉された空間の湿気によるもののようだ。衣服にカビが生えるように。娘が舐めたベビーカーの取っ手のカバーも放置したらカビるので、今の季節は厄介だ。

件の部分は木工用ボンドではなく、透明ニスで固着した記憶があるので、吸湿性が極度に悪くなったのも原因のようだ。何事も経験。本当に生きた情景となってしまった。そんなことは構わず、電車は快調に走る。

押入れ内にジオラマを製作したら、ゴキブリが発生したという話を聞いたことがある(ゴキブリは紙粘土を餌にするらしい・・・)有機物は使用しないほうがよい?

画像:「土田酒造」の前をゆく新潟交通の電車
| Rail&Hand | - | 20:01 | - | - |
中山寺


娘が1歳というわけで、たいへん遅ればせながら中山寺へ御礼参りに行った。中山寺は兵庫県宝塚市にあり、安産祈願の寺として、近畿地方では有名。

自宅から車で1時間半、阪神高速北神戸線が西宮名塩付近の中国道とつながってから、宝塚への足は便利になった。

その中山寺は、歌劇の街宝塚市、東外れの山裾、阪急電車中山駅のすぐ前にある。京都の歴史的寺院よろしく賑わっている。さすがに赤ちゃんを連れた人やお腹の大きな人が多い。その辺を考慮して、寺院内は屋根に覆われたエスカレーターやエレベーターが完備されている。西国三十三ヵ所の二十四番霊場ということもあり、袈裟姿の団体も見られる。真言宗ゆえに、般若心経が聞こえてくる。
昨年は、祈祷を受けに行ったが、今回は新しい腹帯と一緒にお返しする。お返しとは云え、一緒に祈祷料を奉納するシステム(子の成長を祈祷する期間制料金)なのはビジネスライクだ。そんなこと言ってはバチアタリだが・・。
高台にある本堂からは大阪市街が見える。

各方面から誕生日祝いを頂いたが、肝心の親からは何もないな・・という話になった矢先、なんと近所にジョーシン中山寺店があった。
♪ジョッジョッジョッジョーシン〜 というおなじみのBGM。
家電量販店に「キッズランド」という玩具・ホビー売場が併設されているが、そこには私が喜ぶモノがたくさんある。これではどっちが目的だか分からない;「スイスイお絵かき」「街並みコレクション(1BOX)」を抱え、鼻歌交じりにレジへ。

汗だくの暑い暑い1日だった。疲れて親子は寝てしまったようだ。


| Rail&Hand | - | 20:29 | - | - |
誕生日

妻です。
娘は大きな怪我も病気もせず、無事に今日一歳の誕生日を迎えることができました。

こちらの言葉で、新生児のことを「イモ」と言います。
目も見えず、口も利けず、ただゴロンと転がっているだけの「イモ」。まさに言い当てているでしょう(笑)。娘も一年前はそんな存在でした。

一年前、娘は目も見えず、ただ空腹を訴え泣き続ける存在でした。
一歳の今日、娘は大好きなおにぎりを見つめ、指差し、口へ運びます。

一年前、娘は声も出せず、ただ不快を訴え泣き続ける存在でした。
一歳の今日、娘は私を「ママ」と呼び、主人を「パパ」と呼び、「大事!!」と教えると「だいでぃ〜!」と言って笑いました。

一年前、娘はマッチ棒のような指をきつく握り締め、手型を取ろうとする私達を困らせました。
一歳の今日、娘はリモコンのボタンを押し、ビデオの蓋を閉め、靴のマジックテープをはずしました。

「イヤイヤ!!」して私達を困らせる時もいっぱいあるけれど・・・。
あなたは何でも見える。
何でも聞ける。
何でも言える。
何でも食べられる。

一年で、私達にたくさんのことを教えてくれた・・・。

早く、ゆっくり、大きくなぁれ!!

追伸
今日、娘の誕生日を祝ってプレゼントを届けてくれたSちゃん、Kママ。
本当に本当に、ありがとうございました。
そして遠く離れもお祝いのメールをくださる「友ママ」のみなさん。
影で支えになってくれる姉夫婦、新潟の祖父母。
いつもありがとうございます。この場を借りてお礼申し上げます。

本日おふざけなしの、真面目な投稿の妻でしたm(__)m!!
| Rail&Hand | - | 19:56 | - | - |
昨年は
おかげさまで娘は明日で1歳となる。昨年の出来事を思い出す。

昨年の今日、妻が入院した。会社を休んで朝から新潟へ向かったのだった。緊急ではなく、兆候があるため早目の入院だったので、割と落ち着いていた。
東海道新幹線「のぞみ」、上越新幹線「とき」を乗り継いで6時間の旅。上越新幹線は新潟県中越地震から復旧して初めての乗車だった。所々でスピードが落ちた。至る所で山が崩れて地表がむき出しになっている光景を目にした。東京からの「とき」は、今は絶滅した、白地に緑色の元祖東北・上越新幹線電車(200系)だったのを何故か鮮明に覚えている。

新潟は小雨。午後1時半、燕三条駅に母が軽トラックで迎えにきてくれた。エンジン音も高らかに、病院へ走る。厚生連の総合病院だ。
2ヶ月ぶりに会う妻は思いのほか元気だった。医師より説明を受ける。

結局、陣痛は夕食後、6時頃から始まった。お茶を汲みに廊下に出ると、雨が上がり、鉛色の雲間から夕焼けが見えていた。日本海に沈んだ夕闇だった。このとき、赤ちゃんは女の子だろうかと思ったりもした。
11時過ぎ、看護師さん(実は助産師でもあった)が様子を見に来て、「もうすぐ産まれるね」意外に早いと思った。日付が変わる直前に分娩室へ入った。
「ダンナさん入る?」「あ、はい」「じゃあこれ着て」
立会い出産は、事前に研修を受けるものとか聞いていたが、意外に適当だ。

その後どのような場面だったかは、当事者の話を聞くほうがリアルだろう。

ちなみに立会いは、NHKのドキュメントとかで出産場面が出てくるように、それと同じで、夫は母親の頭側にしか立てないので、まさに出産の決定的な瞬間は目の当たりにできない。覗き込もうとして、「下がってね」と注意された。そりゃ邪魔だ。
等と後日話していたら、「興味本位でしょ!」と突っ込まれたが。

そして娘は午前1時10分に産まれた。声が印象的だった。聞いたことはないが、耳にしたことのある声だった。今も同じ声だ。音量は大きいが。
アメリカでは産まれた赤ん坊にwelcome!というらしい。この世へようこそ。父母の元へようこそ。というような意味が感じられる。そんなことを思い出した。

母と子は私の到着を待っていてくれたかのようだった。「模範的安産でした」先生と助産師さんに褒められて私も鼻が高かった。実は帝王切開を翌日に控え、重複せずにホッとしていたらしい。
午前2時頃、帰路についたが、早く目覚めた。(妻の実家は早起きだという理由もあるが)

15日は梅雨明けを思わせる真夏日で、群青色の空と、稲穂のまぶしい緑がすがすがしかった。近所のスーパー「フクヤ」に弁当を買いに歩いたら、汗ばんだ。足取りは軽かった。この日はとても長い1日のように感じた。
病室から三条の街を見ながら、母と子のふるさとを実感したのだった。



| Rail&Hand | - | 23:04 | - | - |
突然の別れ・・
またしても訃報。
本部のI 課長が突然逝去された。まだ43歳という若さで。睡眠中に発作を起こし、蘇生も及ばず帰らぬ人となった。
特に病気の話は聞いたことがなかっただけに、皆驚いていた。
要因は無呼吸によるものなのか、循環器の持病なのか詳細は分からない。

I 課長とは先月電話で話をしたばかりだ。
色々教えてもらったことがあるが、いつも穏やかな物腰の方だった。自分ちの上司だったら良いのにと思ったりもした。

昨夜、明石市で通夜があった。まだ高校生と中学生の息子さんがいる。その挨拶が悲痛だった。突然の別れは、言葉にならない無念さだろう。

もし、自分に何かあったら、と思うと急に不安になる。
自分にもしものことがあったら、子供と一緒に新潟へ帰るように言ったら、
「縁起でもないこと言わないで!」と妻に叱られた。

しかし、見知らぬ土地で一人で子供を育て、しかも年寄りの面倒を見させる訳にはいかない。(私は兄弟がいない故)それでは気がかりで成仏できない。
私がいなくなって残るのは、家とその中に、今まで収集した鉄道模型の山と製作したジオラマ、絵画数点だけだ。模型なんぞ邪魔になるだろうから、かといって二束三文で処分するのも惜しいので、大事に使ってくれる人に差し上げることにしたい。ほしい人どうぞ。

等と、無意味な不安をよぎらせながら帰路についたのだった。
| Rail&Hand | - | 22:12 | - | - |
子育て支援

妻です。
暑い毎日です・・!!

娘も一歳近くなり、お昼寝の時間がぐっと短くなりました。よく寝て、よく食べた後のグズグズは「=遊べ」のサインです。
最近、市の保健センターが玩具と遊び場を無料で開放する「つどいの広場」を開設しました。空調も効いており、庶民には絶好の節約スポットです。一時の流行語ではありませんが、「公園デビュー」ならぬ「広場デビュー」です。緊張しながら、娘と同月齢の子供を探すも・・・走り回る幼児ばかり目立ち、乳児は見当たりません。たまに赤ちゃん世代を見つけても、背後から三歳程のお兄ちゃんが現れます。いけません。二人目お母さんは育児レベルが合いません。本日収穫なし。人間が暗いので、ここでまた落ち込みます。
新曲が当たらなかった演歌歌手の気分です。デビューは失敗に終わりました。

しかし。最近気を取り直して別の時間に行ってみると・・・?
七ヶ月、十ヶ月、娘と同じ「赤ちゃん世代」ばかりではありませんか。
しかも、話してみると実家が遠い、引っ越したばかり、など孤独なお母さんばかりでした。

私は、個人的には「ママ友」という友情関係に疑問を持っていました。
誤解無きよう断っておきますが、幣ブログに遊びに来てくださる皆さんは、出産前から友人、知り合い、といういわば「友ママ」です。
しかし、「友ママ」ばかり近くにいてしょっちゅう会えるわけではなく、普段子育て中の専業主婦はとても孤独なのです。
母が孤独なら、その時子供も孤独です。
そんな時、ふと周りを見渡すと、ママであるが故に友情を欲している人がいるとしたら・・・。
そして子供同士も、「赤友」なれるとしたら・・・。
友情、とまではいかなくても、外に出て話をするだけでふと肩の荷が下りるものです。

さて、そんなママ読者の皆さん、いえいえ、パパ読者、これからママパパになろうという皆さんに書籍紹介です。
「子育てハッピーアドバイス」という本です。
「え〜?忙しくて本なんか読んでらんない!!」とお思いでしょうが、大丈夫です。中身は殆ど漫画です。
お昼休みの一時間、子供が寝ている一時間に十分読める内容ですのでオススメします。
ちなみに、この本を買おうと本屋で並んでいると、手前で清算していた若い男性が娘を見てにっこり、あやしてくれました。手には私と同じ本が握られていました。おそらく彼もパパなのでしょう。

| Rail&Hand | - | 14:21 | - | - |
献血
年1回の献血。勤務先に赤十字がやって来る。決まってわたしは400mlを強制的に頼まれる。
昔は400で何ともなかったが、今は眠くなってくる(貧血か)
鉄分が足りないのか。鉄道マニアでも。

比重が足りないとか、低血圧という理由でいつも門前払いの人もいるが、彼女らにとっては献血できる人が羨ましいらしい。極度の肥満や高血圧でも門前払いになることがある。

最近はヤコブ病の懸念があるのか、ヨーロッパ渡航の有無を聞かれる。
管を吸い上げられた血液が通っていくが、その管が肌に触れると自分の血液が生温かいので気持ち悪い。ちなみに私はA型である。
| Rail&Hand | - | 22:56 | - | - |
そんなに〜
そんなに褒められるとちと恥ずかしい・・。公共の回線なのに。
昨夜の妻の投稿ではずいぶん立派な人に見えますが、全然そんなことない。
普段何もしない人が行動すると立派に見えるのはこういうことです^^;

私はそんな子煩悩な父親ではないし、子育てにとやかく思っていない。普段は妻が家に居て娘を見ているので、母親を一番に甘えるため、どうしても負担が大きくなるのは事実。しかも北日本の人ゆえ、真面目にこなそうとするので余計にしんどい。

家事が溜まる。子供が泣く。昼間は独り。
隣でドタバタしているこんなとき、私がノホホンとミニチュアの建物を組み立てていたらこの後どうなるか。(全て経験済みです)
やはり家族というものは助け合うものだと思う。

・・・等とカッコイイことを書いたが、ちょっとした下心もある。
世の中のお父さん。
自分の趣味を大切にしたければ、家族を大切にすることです。
でも趣味は年を取ってからでもずっと待っててくれます。(現実問題、今ある物は多少壊れると思うが)
子煩悩ならぬ模型煩悩は考えものです。両方煩悩なら可。

普段から道楽三昧しているので、悪いなーという心の現われでもあったりする。
| Rail&Hand | - | 20:34 | - | - |
協力
妻です。
最近、疲れて娘と一緒についウトウト眠ってしまいます。夜中に目覚めると、食器が洗ってあったり洗濯物がたたんであったりして驚かされます。
娘が産まれて一年。急に親になった不安、育児の大変さに戸惑い、夫婦ともに余裕のない毎日だったと振り返ります。三週間、お互い一人になって、夫婦のあり方を考え直すよい機会になりました。
結婚は私にとって、非常に大きな決断でしたが、この人と結婚して本当によかった、と心から思っています。
新潟で里心がついてしまい、孤独に感じていたこの頃でしたが、ホ‐ムシックからもそろそろ立ち直らなければなりません。
| Rail&Hand | - | 01:24 | - | - |
暑い;休日
しかし暑い。暑いと何もしなくても体力を消耗するようだ。ビールを飲んだら余計に暑くなる。

休日は大型ショッピングセンターに足を運ぶのが日課となってしまった。家にいるより涼しい。同じコトを考える人は多い。まあ、趣味の品があるので目の保養にはなるのだが。

昔はゲーセン等で遊んだものだ。勿論今もある。特徴は玩具や遊具がある有料プレイランドがあることだ。入口には係員がいる。安易に外で遊びにくくなった、子供の安全に気を遣う現代ならではの産物だと思う。○ィズニー以外のテーマパークはどこも経営難という中で、「おもちゃ王国」というテーマパークに人気が集中しているのも頷ける。

さて、マニアのテーマパークとでも言えようか、鉄道模型ショーに行ったことがある。フロア一杯の超巨大ジオラマを列車が走る。到底個人では味わえない光景で、これは楽しい。勿論子供たちの歓声で賑やかだ。
厄介なのは過半数を占める、私を含めた鉄道マニア。たいてい真夏のイベントなので会場は非常に汗臭い;遠方からリュックを担いでやってくるので無理もない。すぐに判別がつく、というより個人で来場するから分かる。
そのリュックの中身は何か。デジカメ(これは分かる)、時刻表(何故か駅にある大判)、スーパーのビニール袋(着替?詳細不明)、MDプレイヤー(現代ならI-Podなど)、傘(外は快晴)、菓子パン(非常食?)、雑誌(鉄道以外の趣味誌)、新聞(読み終えたら不要)、戦利品(イベント限定品)、うちわ(街頭でもらった?)、バンダナ(用途不明)などで一杯。
そんな反面教師?で荷物は少なくする習慣がついた。

ところで私はコミケというものに行ったことがない。(コミケ=コミックマーケットの略称。昔はコミュニケーションかと思っていた)
聞くところによると、なかなかディープらしい。ドラマ「電車男」に触りが出てきたように。

「どんなもんか一度見てみたいな」
「行かなくていいです!」

フランスでは日本の「オタク文化」が人気で「OTAKU」が和製フランス語になっているらしい。欧米人には物珍しいのか。
| Rail&Hand | - | 22:34 | - | - |
90s’ドラマ〜愛という名のもとに
「愛という名のもとに」1992年 1月〜3月(フジテレビ)

これも話題となった作品。ご存知の方も多いと思う。
大学のボート部の仲間同士が、社会に出てから再開し、人生のさまざまな試練、交錯する友情と恋愛を描いたもの。当時高校生の私には割と衝撃的な内容が多かった。今更ながら脚本を調べてみると野島伸司。どうりで・・・。
出演は江口洋介 唐沢寿明 鈴木保奈美・・この頃のおなじみのメンバー。

鈴木を中心としたメンバーの人間模様が中心だが、私にとって何よりも印象的なのは「チョロ」こと篤(中野英雄)の存在である。
彼は、学生時代から7人の中で真面目だが要領が悪く、地味な存在だった。会社では上司にひどくいじめられる。
「会社はテメーみたいな奴の相手をするほど暇じゃねぇんだよ!」などと。

そのうちフィリピン人女性に恋をするが騙され、会社の金を使ってしまう。

その上司に「もうチョロチョロするのを見なくてすむと思うとせいせいするぜ」という捨てセリフを吐かれ、ついに「俺はチョロじゃねぇー!」と襲い掛かる。
最後に、「俺だけだよ。いつまでも将棋の歩のまんまなのは・・・」そして、本当は貴子(鈴木保奈美)のことが好きだったと打ち明け、自殺してしまうのである。

私は、コンプレックスのかたまりみたいなチョロに親しみを覚えた。表舞台で活躍し、それなりの恋愛模様を巻き起こす唐沢や江口たちの影で、ひたむきな存在のチョロを応援していた。そんなチョロの死には大変な衝撃を受けた。

浜田省吾「悲しみは雪のように」テーマ曲を耳にするとチョロを思い出す。
トレンチコートで夜道を雨に打たれながら歩き、花束を落とす姿を。

世情を突いた野島作品が世に出はじめた頃だ。
♪誰もが〜ウォオオ〜ウォオオオ〜

| Rail&Hand | - | 23:40 | - | - |
90s’ドラマ〜夏子の酒〜
今日は七夕。
夢をかなえたい、そんな印象に残るTVドラマがあった。(ドラマばかりですいません)

「夏子の酒」1994年1月〜3月フジテレビ系(水曜21:00)

有名な作品で、和久井映見演じる酒蔵の娘「佐伯夏子」が幻の酒米「龍錦」を栽培し、酒を作る物語。同名のコミックをドラマ化。お互いに魅かれあう役で共演の萩原聖人と和久井はその後結婚した。(その後離婚;)
ロケ地は勿論、酒どころ新潟県である。ちょうど私は新潟で生活していた頃で、喜んで見ていたのを思い出す。
夢に挑戦する夏子と、それを取り巻く人々、農村の人間模様が巧みに描写されていた。都会から帰ってきた若者達と、保守的な地域とのあつれきなどが印象的だった。
まだ若い松下由樹が悪役を担っているのが、この頃から似合っていた。(最初は夏子に意地悪をするが、本当ははいいやつだったりする)
前年に米作りからロケを始めて、気合の入ったドラマだった。すがすがしい青空と水田が似合うこれからの季節にぴったりの作品だ。

詳細はコチラ。
夏子の酒

そのロケ地となった久須美酒造は、幻の酒米「亀の尾」で醸造を行っているというところから「夏子の酒」のモデルとなった。しかし、2年前の集中豪雨で被災したらしい。どうなったのか気がかりだ。

〜ここからは新潟県民の皆さん向け(ロケ地マニア)〜

その久須美酒造は新潟県三島郡和島村(現:長岡市)にある。
熊谷幸子の「風と雲と私」が流れるオープニングで、和久井映見が農道を自転車で走っている後ろを電車が追い越していく場面があるが、これはJR越後線で、同じ和島村、桐原駅付近の国道116号と線路の間にある農道だと思われる。この辺りの越後線は本数がかなり少ないので、一発撮りだったことだろう。当時、マニアまっしぐらの私は分析して、午前中の柏崎発村上行の電車という結論を主張したことがある。(意味ないが)
さらに、夏子(和久井)がほのかに想いを寄せる荒木(石黒賢)と出かけた新潟市の遊園地が、今は無き「とやのレイクランド」だった!
他に、長岡の花火大会、弥彦ロープウェイなども出てきたように思われ、さながら新潟県観光案内みたいで面白かった。
その夏子の酒は、久須美酒造より酒米「亀の尾」を使用した「亀の翁」として限定販売されている。「夏子物語」という銘柄もあるが、こちらは亀の尾なのかは不明。

ドラマ「夏子の酒」もう一度見てみたい。どうやらビデオ化されていないようだ。録画したものを置いとけばよかった・・・。

| Rail&Hand | - | 22:03 | - | - |
カンチとリカ
世間は暗いニュースばかり。たまには・・。

会社でヨタ話をしていて、「月9」という単語のパイオニアとなったドラマ「東京ラブストーリー」の最終回の海岸はどこの街だったか。という話になった。記憶も風化している。(もう15年前の番組なので年がバレます。その世代の人にしか話は分からなかった)

で、先ほど調べた結果、検索したら出るわ出るわ。愛媛県松山市ということだった。
見ていた人しか分からないが、主人公のカンチ(織田裕二)とヒロインのリカ(鈴木保奈美)が待ち合わせて、会えぬまま終わる海岸の駅は、伊予鉄道梅津寺(バイシンジ)駅。
♪あ〜のひ あのとき あ〜の場所で 君に逢えなかったら〜
メロディーが流れる。

詳しい解説はこちら。
http://www.dogo-giyaman.jp/kankou/28/

思えば、松山は映画やドラマのロケが多いような気がする。

マニアックな話だが、実際のドラマでリカはハンカチを残して、海辺のホームから電車に乗ったわけだが、電車が動いた方向は、松山市街地とは逆。しかも次は終点の高浜。折り返しの電車で松山へ戻ったのか。高浜の港からフェリーに乗ったのか。まあ、ドラマだからしゃあないが。

松山に、梅津寺駅に行きたくなった。
| Rail&Hand | - | 22:12 | - | - |
脅威
北朝鮮が今朝未明、弾道ミサイル6発を発射した。さらに夕方にも1発。いずれも日本海に着地した。
朝起きてテレビをつけたら、W杯の中継の最中に速報が出ていた。

まさに脅威だ。日米に対する威嚇か。残された外交カードか。この国の行動にはいつも恐怖を覚える。
日本政府は「強く抗議してできる全ての制裁措置を取る」と言っているが、文句を言うだけではまたナメられてしまうだろう。(結局抗議するしかないのだが・・)今、日本は竹島云々で韓国とケンカしている場合ではない。靖国神社に参詣するしないだの中国とモメている場合ではない。

10年程前、新潟県の巻町(現:新潟市)で原発建設問題があった。「北朝鮮のミサイルが巻を狙っている!」という反対派による看板が役場前に掲げてあった。それを見て、何と大げさな・・と笑ったものだが、その後1998年、テポドンが太平洋に落下した。今回は新潟沖数百キロ先の海上に落ちた。とても笑えない事態となった・・。特に日本海側に住む多くの関係者を思うと気がかりになる。飛行機に乗るのもコワイ。

日本の防衛システムなど、何の役にも立たないだろう。アメリカにとって、本気出せば倒せる相手だろうが、その現場は日本の隣。アメリカは他国に加勢するほど暇じゃない。だったら日本は戦争以外で自分の身を守る努力が要る。悪に手を染める日本人は北朝鮮から麻薬を密輸して、外貨を奉納している場合ではない。

私も含め、平和ボケした日本人はみんなビビッたのか、通勤電車内はいつもより静かだった。ちなみに万一ミサイル攻撃を被ったら、戦争ということで、保険は下りないようだ。





| Rail&Hand | - | 22:08 | - | - |
中田が引退
W杯はまだ決勝が終わっていないが、中田英寿が引退を表明した。
まだ29歳の若さで。W杯の半年前から決意していたらしい。ブラジルに敗北して、芝生に横になったとき、涙を流していたが、まさに引退をかみしめる涙だった。

さて、中田といえば世界で活躍するサッカー選手という印象だが、実はピッチ外でも活躍しており、自身のカフェを経営。お菓子の「東ハト」の役員にも就任している。語学にも堪能で、引退後は経営学修士を大学で学ぶらしい。高校生の時は成績優秀で東大を狙える頭だったとか。

中田は以前にこんな言葉を漏らしていた。
「サッカーしか知らない人間にはなりたくない」

唸らせてくれる台詞だ。私も中田の爪の垢を煎じて飲みたい。(サッカーも英語もイタリア語もできないが)

中田は、常に人生の青写真を描いているようだ。青年期はサッカーに燃え、30代からはビジネスに燃える。せいぜい私は「燃え」ならぬ「萌える」程度だ。

中田がサッカーに残した功績は大きい。その功績が次のステージを支えることにもなるだろうし、そんなネームバリューに甘んじるような人ではないだろう。サッカーに負けぬ実力を発揮するだろう。まさに天才だと思う。

半年先のことすら考えず、適当に生きている自分に「このままでいいのか?」警鐘を鳴らすニュースだった。
「○○バカ」ではいけない。

| Rail&Hand | - | 21:40 | - | - |
感謝

妻です。
またしても、娘に誕生日のプレゼントが届きました。今度は姉夫婦から。どうもありがとうございましたm(__)m。
ご覧のとおり、可愛らしいおままごとセット。次々にいろいろな人から贈り物を頂き、本当に幸せな子です。

ところで、私は空腹の子供を泣かせながら料理をするのが苦手です。離乳食は娘が寝ている間や、一人遊びの間に作ってしまいます。
ですから、いつも電子レンジで温め直してから与えています。彼女は、
料理は電子レンジが作っていると思っているのではないでしょうか。可愛らしい調理器具を手に、遊ぶ我が子を見ながら、一抹の不安がよぎりました・・・。
| Rail&Hand | - | 20:38 | - | - |
小さな靴


我が子に祖父母よりファースト・シューズが贈られた。
わずか11cmの可愛らしい靴だ。まだ立つことしかできないが。
値段を見て驚いた。私の革靴より高い!
「脳と発育を守る、育児工学に基づいて開発された」という○ップリカの製品とは云え、孫可愛さのあまり、記念に購入する祖父母を見越して、儲けようというメーカーの思惑が少しは感じ取れる。買ってもらってそんなウンチクは置いといて、ありがとうございます。

さて、帰宅後。
「そういえば私がいない間、ボーナスはどうなったの?」
「大体は貯金したよ」
「残りは何に使ったの?怒んないから」
「生活費その他に・・・」
「またデンシャ買ったんでしょ?」
「Tさんち(6/11参照)に行くのが楽しみで少々。それと友達に会ったり」
「・・・。じゃ私にも少しちょうだい」
という妻の監査が入った。
「手元にはありません」
ご想像の通り、この後モメゴトとなり、聞いていた娘が泣き出した。いやいや、子供は正直です。喧嘩は良くありません・・。家族は円満でないといけません。
そもそも私に原因があるのだが;

| Rail&Hand | - | 18:34 | - | - |
さらばハシリュー
橋本龍太郎元総理の突然の訃報。96年1月から98年7月まで首相を務めた。介護保険制度を考えたのもこの人だった。
慶応ボーイ、多趣味、ヘアクリームで固めたオールバックの髪、クールな横顔。「ハシリュー」の愛称で、とにかく主婦層に人気の政治家だった。しかし晩年は裏献金の疑惑に包まれた人となってしまった。
先日、小渕総理の前は誰だったか・・という話を勤務先でしていた矢先の出来事だった。

この頃の自身を振り返ってみると、学生時代、最も輝いた(楽しかった)時代なのかもしれない。それでも現在の自分と比較すれば、当時の自分は「ボロ」が多々ある訳で、楽しい思い出は沢山あれど、やはり現在の環境が良いと思ってしまう。

渡辺美里に「10years」という曲がある。
「♪あれから10年も、この先10年も・・」という歌詞がある。10年先の予想などつかないし、気がつけば10年という可能性もある。未来への不安を避けているのか、行き当たりばったりの人生だからか、私は遠い未来を見ない癖がある。だから、明日の昼は何食べるか。とか、来月新製品の模型は・・等。先を見ても11月に法事で帰省すること位か。

10年前、「♪カニ 食べ 行こう〜」という曲が流行ったが、その歌手「PUFFY」は今も活動中。後年、アメリカでも名声を上げた。
今でもこの曲を口ずさむことがある。過去を懐かしんでいるように見えるが、逆に言えば、今の自分が多少は落ち着いたからかもしれない。

後半はどうでもいい話でした。昨夜遅かったせいか、今日は1日中眠かった。
| Rail&Hand | - | 22:53 | - | - |
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