Zakkan (雑感)

趣味の雑感。
須田剋太 展
明石市立文化博物館で、須田剋太 生誕100周年記念展を開催している。(11月5日まで)
これは普段見られない・・と思い、昨日午後、足を運んだ。絵画を見るのは久しぶりだ。
須田剋太(1906〜1990)画伯を知ったのは、司馬遼太郎 著「街道をゆく」の挿絵と、一緒に旅する司馬遼太郎によって、その人柄が描写されていたのがきっかけだ。

私は自慢じゃないが、全く読書をしない人間だ。司馬遼太郎の「街道をゆく」に限っては、全てではないが読んだ。他に読書をしないから、こういう時に限って豪語する。

日本固有の風土や文化が失われていく時代を嘆く司馬遼太郎が、日本全国・海外を旅して土地の風俗と歴史観に触れる紀行。当初は朝日新聞に連載された。(昭和46年〜)
私が幼少の頃、地元にも司馬さん一行はやってきたらしい。(家業が寺院である、高校の同級生とその祖母が、その当時訪問した司馬遼太郎によって描写されている)

「須田さん」と称されて、須田剋太は司馬良太郎一行と旅をしている。「私(わっち)は・・と、小さな声で口をすぼめて話す」「無垢な少年のまなざしで見つめる」など、繊細で純粋な人柄が表現されている。会場入口に展示された須田画伯の写真は、司馬遼太郎の表現のとおり、本当に「おかっぱ頭にオーバーオール」だった。

しかし、一歩入ると、その作品はエネルギーの塊だった。若い頃は抽象表現に取り組んだようだが、「街道をゆく」に参加した頃から、具象的な風景なども手がけるようになったという。私は「街道をゆく」の須田さんしか知らなかった。
多くは油彩だが、ガッシュを使用したり、コラージュがあったり、様々な試みが見られる。「街道をゆく」でモンゴルを旅して、その星空の感動描いたという作品は、夜空に色紙が散りばめられている。晩年の作品らしいが、年齢を感じさせない。まさに須田剋太は、繊細な言葉の裏に込められたエネルギーを、キャンバスに噴出する鬼才だと思った。

絵画のようにイチから自分で物を創ることを久しくしていない。
ジオラマで出来あいの物を並べるだけでは芸がないのだが、それでもエネルギーを費やしてしまう・・。
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