Zakkan (雑感)

趣味の雑感。
Zakkan開設1周年特集〜10年前の旅〜青森/レールバスを訪ねて
おかげ様で20日に弊ブログは1周年を迎えます。
そこで、今から10年前、1997年2月22日(土)・23日(日)の旅のお話。当時の記憶と写真を頼りに遡ってみたいと思います。(長文です)


(七戸駅にて:レールバス・キハ102)
青森県の野辺地〜七戸を結ぶ「南部縦貫鉄道」が廃止の危機だという。(後に1997.5〜休止を経て、2002.5廃止)
青森在住の先輩、Nさん幹事により、七戸にてOB合宿が企画された。合宿といっても、各自、南部縦貫鉄道に乗車、七戸駅前に夕方集合し、宿泊するというもの。南部縦貫の魅力は、なんと言っても、日本最古のレールバス(昭和37年製)が活躍するローカル線。レールバスは文字通り、バスに似た車体が車輪を履いた鉄道車両。

当時、土日のJR東日本管内が新幹線を含めて乗り放題で16,000円、「ウイークエンドフリーきっぷ」というものがあった。当時新潟に住んでいた私は、金曜の夜から夜行快速「ムーンライトえちご」にて上京、翌朝東京から東北新幹線で盛岡へ向かった。
盛岡に到着後、昼食とする。以前、冷麺もわんこそばも食べ尽くしたので、簡単にカフェテラスの「めしの半田屋」に立ち寄った。どこにでもあるような店だが、なぜかここは印象に残っている。ご飯の「大」は半端じゃない。

現在は青森県八戸まで延びた東北新幹線は、まだ岩手県の盛岡までしか達しておらず、ここから東北本線、青森行特急「はつかり」13号に乗車する。ここで、先輩のI(猫)さんと合流。北海道の方だが、当時は福井に赴任していた。
何とやってきたのは青とクリームの583系。季節列車の1往復で走っていた。4人が掛けの椅子は特急向けではないが、空いた車内で優雅に過ごす。今は新幹線の延伸で「はつかり」自体が廃止されてしまった。
沼宮内を過ぎた辺りから、山に差しかかる。盛岡市内に無かった雪はどんどん深くなる。昔、D51が3重連で越えたという「奥中山」峠を、雪煙を上げながら軽やかに駆ける。並行する国道4号線の車をどんどん追い越していく。
青森県に入り、八戸、三沢。多数の乗降があった。ここも今は新幹線の駅として変貌している。
防雪林が途切れて、野辺地に到着。ここが南部縦貫鉄道の始発駅。けっこうな積雪で、粉雪が舞っている。跨線橋の先の小さなホームに、赤とクリームのモッサリした形のレールバスが停まっていた。先に到着していたOBの方々にも会えた。寒さに震えながらホームに降りて近づくと、本当に小さい。鉄道というより、路線バスのようなサイズ。静かなローカル線が、全国から押し寄せた鉄道マニアで賑やかだ。この時点では営業休止の通達は出ていなかった筈だが結構な人。「もう1両やってくる」誰かが言った。ほどなく同じ形のレールバスがやってきた。

(野辺地駅にて:2両連結ではなく、時間をおいて続行。奥が七戸方、左は東北本線)

賄えきれない乗客数に合わせて、続行運転しているようだ。普段は小学生が通学に数名乗っている程度だという。レールバス、キハ101、102の2両と国鉄払い下げの気動車(キハ10)1両しか営業車を持たない鉄道である。
車内に乗り込む。バス並の車体強度ゆえに、35年の風雪に耐えた車体はボロボロで、あちこちガムテープで直してある。一応座れたが、通勤電車並みの混雑で、景色がさっぱり見えない。これで走るのか。車掌さんが乗っていて、穴を開けた切符(車内補充券)を発行する。
不安をよそに、レールバスは動き出した。原付のような「ビー」という警笛を鳴らして。名前のとおり、バスに車輪を付けたそのもので、運転士はクラッチ(手で動かすレバー)を切り、シフトレバーで変速する。2個しかない車輪と、線路状態の悪さで、ものすごい振動と騒音。会話も聞こえない。正直、早く降りたいと思った。立っている人が倒れかかってくる。

終点・七戸駅に到着。
その夜は、七戸駅近くの旅館に宿泊。十数名程度のグループが、広大な宴会場に案内された。岐阜からはるばる来られたHさんが騒ぐ宴たけなわの最中、仕事を終えてからの幹事のNさんも遅れて到着。氷点下の中、ドテラ姿でコンビニに行き、食後に弁当とケーキを与えられて平らげたり、バカ騒ぎをして夜が更けた。当時は本当に大食漢だったことがよくわかる;


翌朝、元気な方々は、始発レールバスに乗って「森田牧場前」駅まで往復。牧場や防雪林を走るレールバスの撮影に興じた方もいた。
私はスキーを兼ねて車でやってきたEさんに同乗して、野辺地までレールバスを追いかけた。
再び七戸に戻ると、前日仕事を終えて、寝台特急「はくつる」(これも既に廃止)で駆けつけてきた埼玉の先輩Mさん、新潟から一般道の雪道を13時間かけて車でやってきたT君、同乗のI君・t君・O君一行などと対面。他にもOBの方々や後輩で、Eさんの回すビデオは賑やかになる。駅には地元テレビ局クルーも取材にきていた。

(七戸駅。これが本社屋を兼ねている)

七戸からは、イオン下田ショッピングセンターへ、十和田観光電鉄バスで移動。太平洋に程近い、奥入瀬川の河口近く、当事としては恐ろしく巨大なイオンだ。そこの敷地内にある観覧車に乗ってモスバーガーを食べる等、我々の暴走は止まらない。

(中央が観覧車内の筆者:S君撮影)

それも束の間、八戸駅へ戻り、Eさんと猫さんに見送られ、15:25発「はつかり20号」に乗車。すでに日が西に傾いている。Nさんも盛岡まで見送りに来てくれることになった。八戸駅でYさんは駅弁「小唄寿司」を買えと勧めてくる。
盛岡から東北新幹線上り「MAXやまびこ」に乗り換える。Yさん、Mさん、S君、私だったと思う。
S君は卒業記念の旅?ともいえる「最長片道切符の旅」の途中で寄り道してきた。近年NHKで関口智宏による旅を放送していたが、彼はこの時点で達成していたのが特筆に値する。これから茅ヶ崎の自宅に一旦帰って休むらしい。
新幹線の1階席に座った我々を、Nさんは盛岡駅ホームで、しゃがみながら走って見送ってくれた。

よほど騒ぎ(食い)疲れたのか、気がつけば大宮の手前だった。そのまま新幹線で新潟へ帰るYさん、茅ヶ崎へ帰るS君と別れ、再び私は「ムーンライトえちご」に乗る。埼京線ホームでMさんを見送った。翌日朝早くから仕事なのに、最終まで付き合ってくださり元気な方だった。そんなMさんも今は3人の子供の父親。みんな年をとった。30を過ぎて胃袋も小さくなった。

最初で最後の南部縦貫鉄道。春まだ遠い青森の旅から早10年になる。
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