Zakkan (雑感)

趣味の雑感。
角さんの線路
 越後交通といえば、新潟県長岡市に本社を構える田中ファミリーの一大企業。新潟県中越地方にバス事業を展開する同社には、鉄道路線が存在した。それも平成の御世まで。

その鉄道とは越後交通の前身となった「長岡鉄道」の一部路線。

戦後まもなく土木事業を興した、故:田中角栄氏が、政界進出と時を同じくして社長に就任した鉄道でもある。(同社には他にも長岡〜見附〜栃尾を結んだ「栃尾鉄道」というものもあった)
鉄道は来迎寺〜西長岡〜与板〜寺泊を結んでいたが、乗客減少と自社バス路線の拡大で関原〜寺泊は昭和50年に廃止。その後、来迎寺〜西長岡〜関原の区間で、細々と貨物専業で平成7年3月まで運行していた。(末期は来迎寺〜西長岡)

<今から15年前の話>

平成5年9月。新潟在住の頃、私はまだ18歳少年だった。
西長岡駅の車庫を訪問する機会があった。
長岡花火のシンボル、長生橋を渡り、大島本町という交差点から路地に入ると広場の先に駅構内があった。今は貨物専用鉄道なので旅客駅の跡形はないが、昔はこの場所に駅舎があり、駅前商店街があったと思われる。長岡への買物や、花火見物、米や寺泊の海産物、与板鉄器の輸送で賑わったのだろう。

「写真を撮らせてもらえますか」

事務所に挨拶すると、快く中に入れてくれた。職員は高齢の方ばかりで、この方々がリタイアする頃には鉄道も姿を消すような気がした。

車庫では青い電気機関車が整備中で、いかにも私鉄然としたスタイル。

↓こちらの機関車は、元々北海道にいたとか。

実際に使用されていたのは1枚目の「ED401」と車庫奥にいる「ED5101」の2台だったようだ。
草生した構内にはセメント貨車が並ぶ。
この鉄道、途中の才津駅というセメント出荷場から、JR線の来迎寺駅まで貨物をピストン輸送している。来迎寺からJRに引き渡して各地に運ぶ。

この西長岡駅は、長岡市中心部からずいぶん外れた信濃川左岸にある。来迎寺から来た線路は川にぶつかる形で、ここで向きを変えて寺泊方向へ折り返していた。おそらく、長大な信濃川に鉄橋を架ける資金がなかったものと思われる。昔の民営鉄道ではよくあること。鉄橋が架かっていればまた違う運命だったかもしれない。
機関車を撮影した後、同行させてもらった先輩の運転で才津駅に向かう。
刈入れの終った田園地帯を、セメント貨車を7〜8両連ねて走る姿を見ることができた。この時は平日ということもあったが、沿線で「鉄」に全く出会わなかったと思う。まだ廃止も囁かれていないのか、のんびりした日常だった。
そういえば、線路沿いにある会社の空き地に車を停めて列車を見ていたら、
「そこ、停めないでくれる!」
いきなり会社の窓が開いて、天道よしみ風の事務員さんに叱られたのを思い出す。

その後平成11年に新潟交通、蒲原鉄道が姿を消した今日、新潟県内のJR・北越急行以外の民営鉄道は、全て過去帳に入ってしまった。
廃止から13年が経過した今日、越後交通の線路跡はどうなっているだろうか。角さんの線路を偲ぶ。

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