Zakkan (雑感)

趣味の雑感。
定年
私の父は、今日で定年を迎えた。40年の長きに渡る勤めを無事終えた。

父は33年前、婿養子としてやってきた。女ばかりのウルサイ家に入ってさぞかし大変だったと思われる。

この日記の存在を私の実家の人間は知らないので、ここに記す。(面と向かって言えないのでここだけの話)

息子の私が言うのもなんだが、親父の背中は今頃になって気付いた。

昔からおとなしい性格の父は、祖母や母に口うるさく言われ、こちらが気の毒になる位だった。かといって、頭に血が上るようなことは皆無といっていいほどの人なので、怒る姿をほとんど見たことがない。子供の頃、親父がこんなんでいいのか?と思うくらいだった。父に叱られたことがないので「厳しい父親像」というものが私には分からない。しかも息子に何を期待して何を思っているのか未だに分からない。(昔からお互い込み入った話をしたがらない)あれこれ強制されなかったので、私は自分の道を行こうと思ったりもした。

しかし、私が社会に出てから、外で父の話を聞くにつけ、その印象は変わっていった。特に家庭を持ってから強く感じる。
「あなたのお父さんが他人を悪く言うのを聞いたことがない」
「あんたの親父は仕事も人あたりもよいから」
父の本当の顔が伝わってきた。黙していても多くの信頼を得る人物だったようだ。実際、今の私はこの年になっても父の恩恵に頼るところが大きい。至らぬ自分が恥ずかしくもなる。

それでも、時々何を考えているのかさっぱりわからないことがある。何か不機嫌なのかと思いきや、単に黙っているだけだったり。暇さえあれば読書しているが、本棚に粗品のオマケを並べたり、意味不明。つかみどころのないAB型。それでいて天然。私が小学生の時、父は一人で留守番していた。半日で帰宅する息子のためにと、目玉焼を電子レンジにかけて大爆発させた。携帯電話等なかった頃、京都の護摩焚きに行った。一家はぐれてしまった。探しても見当たらないので、多分先に帰ったのだろうと、帰宅したら、実は父は火が消える夕方までその場で立って待っていた。
そんな父は外では酒が入ると良い意味で少し饒舌になる。自宅では借りてきた猫に見えるが。

そんな父の今の楽しみは「孫」。父は多くを言葉には出さないが、娘は「祖父」が可愛がってくれているのをよく分かっており、じいちゃんが大好きだ。孫を可愛がる態度がにじみでている。と、妻が言う。

私は今の仕事で、父のように継続して定年まで勤めることはないと思う。しかし、その背中は受け継いでいこうと思い始めたこの頃である。

まず感謝。次のステージでの活躍、そして健康をお祈りします。
(あんまり飲みすぎたらアカンで)
| Rail&Hand | - | 22:09 | - | - |
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