Zakkan (雑感)

趣味の雑感。
伝説の6月・1993〜PART3
1993年6月。
旅の疲れも覚めやらぬ翌週18日金曜の夜。いつものように「部会」を終えた後、TさんとOさんが何やら話している。

「今からいきなり出かけるってのも、たまにはいいもんだね〜」

「じゃあ行きましょうか。明日空いてるか?1年生は強制参加や。帰って風呂入ってこい」

なんとも強引なOさん。新潟で無茶する大阪人。
という訳で23時頃、7名が集まった。Tさんのシャレードと、OさんのカリーナEDが現れる。EDもまた絶販車。Oさんはクーペタイプの車が好きだが、みんなで出かけることを考慮してやむを得ずEDを選んだとか。それにしても窮屈な車内。

行先は富山。新潟から片道250km。学生なのでもちろん深夜の国道8号をひた走る。
当時は携帯電話やナビなど無く、数台連なってドライブする時など、はぐれる可能性があった。そこで「何時頃に○○駅前で休憩」と予め打ち合わせておくのが通例だった。列車を見ながら休憩し、ドライバー以外の者を数駅間、普通列車に乗せたりして遊んだものだ。
Tさんのすぐ下の後輩がOさんで、この2人は実に息のあった走り方をする。そんな姿から“ミラクルボーイズ”等と茶化すようになった。
そういえばどちらも同じユキヒロさんだった。

「同じ名前なんですね」
「あの人と一緒にすんな!」

日付が変わった頃、北陸線の旧線トンネルを見物したりする。
「みんなで記念撮影したら1人多かったりして。手足を振って画面から消さなきゃ」
相変わらずのTさん。
いよいよ親不知、県境を越える。激しいカーブとアップダウン。トラックに伍してEDは駆け抜ける。3時半、この時期は夜明けが近いのかうっすらと波のシルエットが見えた。


目覚めると富山県高岡市だった。雨晴海岸へ行く。

7時頃だったか、氷見線の列車がやってきた。高岡色の気動車編成。キハ58・28だが、よく見ると中間2両は客車のオハ12系。客車の両端を気動車で挟んで運行している。キサハ34という珍車。何とも非力な編成。短距離の氷見線だから問題ないのだろう。
(キサハは現在廃車。氷見線は通常の気動車が運転されている)

加越能鉄道(高岡の路面電車)の終点、越ノ潟駅へ行く。ここには渡船もある。
ドライバーが休憩している間、我々は路面電車に乗車した。(写真が無い;眠くて撮影どころではなかったのか?)
脱線しそうな揺れの路面電車、貨物線との平面交差もある。と、思えば「高岡大仏」もある。剃り込み入りのヤンキーもいる。一応駅前に「地下街」もあった。ほとんど地下道に近いが、新潟市の「西堀ローサ」は“日本海側初の地下街”と謳っているが、高岡のほうが先になる?(というより比較基準が“日本海側”というほうが・・)
初めて訪れた高岡市はなかなかコアな街だった。

後の記憶は曖昧で、庄川峡温泉でひと風呂浴びてから帰った。結局日付が変わる前になってしまったと思う。EDの車内では当時流行っていた「森高千里」の曲がずっと流れており、なぜか印象に残っている。
その後、このような強行軍に愉しみを覚えるようになったのは言うまでもない。

誰しも初めての新鮮な体験は、強烈な記憶となって残る。
昔のことよく覚えてるな〜と言われることがあるが、それは五感をもって皆と笑い転げたからに他ならない。

ところが最近の出来事はさっぱりで・・・「あんな稟議書回したっけ?」

伝説の6月〜1993〜Fin.
| Rail&Hand | - | 20:45 | - | - |
伝説の6月・1993〜PART2
1993年6月。
さて、2週目(6/12、13)は新入生歓迎合宿。「合宿」だからみんなで行くの
かと思いきや、○時○○分に目的地に着く列車に乗ってくださいという、「集合列車」制度。
したがって現地集合、解散なのでルートは自由。個人尊重の鉄研ならでは。
今回は会津鉄道・湯野上温泉が宿泊場所。

私は新潟〜坂町〜米沢〜福島〜郡山〜会津若松〜小出〜長岡〜東三条〜吉田〜新潟という1周乗車券を準備した。
初めての米坂線。快速「べにばな」2号で米沢を目指す。キハ58+28の2両編成で羽越線を飛ばす。意外にも満席だった。山形新幹線開通で急行から快速に格下げされたんだったか。

米坂線に入ると途端に速度が落ちるが、残雪と新緑が見事。蒸気機関車9600が活躍した路線で、険しい山岳風景に運転のの苦労を偲ぶ。小国の手前、玉川口(現在は廃駅)から山形県。山形初上陸だ。


米沢の盆地に下り、少し時間があるので今泉で途中下車。ここは山形鉄道・長井線の連絡駅。のどかな風景に心和む。


米沢で牛肉弁当を購入して、山形新幹線「つばさ」に初乗車。福島までの約30分間。この区間だけ列車本数が極端に少ないので「つばさ」を体験。
前年開通したばかりの初のミニ新幹線。真新しい400系がやってきた。自由席に着席できるか心配したものの事なきを得た。早速弁当を開く。
福島までの区間は板谷峠。新幹線区間の4分の1程度の速度で走る。さすがの400系新幹線も急カーブの峠道には叶わない。
福島の街が近づくと、高速道路のインターのような高架を駆け上がって東北新幹線ホームに入った。不思議な気分。


福島駅にて。初めて見る真っ赤な電気機関車ED75!しかもお座敷列車「やすらぎ」を従えている。興奮しながらシャッターを切る。後ろを重連の貨物列車が通り過ぎる。もう落ち着かない・・。紅頬の十代少年が右往左往する。


緑ラインの455系や715系。初めて見る、乗る電車。
この電車たちも今日、引退した。
郡山まで東北本線、そこから磐越西線に揺られ、会津若松へ。ここから会津鉄道が集合列車。顔ぶれが揃う。
15名くらいの参加者だった。その夜は宿の大広間の宴会で皆騒いだが、あまり覚えていない。
宿の裏が線路で、列車が通ると顔を出したりした。


翌朝、湯野上温泉駅にて解散。只見線を走破する新入生組、磐越西線でまっすぐ帰る組、そのまま会津・野岩鉄道で鬼怒川温泉まで南下して、東武「スペーシア」で上京する組・・。しかもその夜、新宿からムーンライトで新潟へ帰った輩も。若いってすばらしい・・。


湯野上温泉駅は茅葺屋根。その昔、蒸気機関車の時代は、桜の咲くこの駅が同線で活躍したC11の撮影名所だったそうな。


会津鉄道の気動車先頭より。今では見られない列車が並ぶ。
50系客車、オリエントサルーン、特急「あいづ」

このあと、以前紹介した只見線の旅。あの「田子倉駅途中下車」を敢行したのだった。

この頃の写真を見ると、芸術性とか構図とか記録云々は抜きにして、純粋に「鉄道がすき」という想いでカメラを向けているようだ。(翌年くらいから鉄道写真が衰退していく)
そんな楽しかった記憶は昨日のように蘇る。

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