Zakkan (雑感)

趣味の雑感。
みちのく一人旅〜秋田・残雪の小坂鉄道〜
古い写真を掘り返していたら・・・楽しかった思い出が蘇る。
1994年3月の話。この頃は最も「乗り鉄」に勤しんだ頃。

当時はJRに「周遊券」というものがあり重宝した。しかも「東北ワイド周遊券」の姫路発は20日間有効。東北6県のJRが特急も含めて乗り放題。しかも新潟駅がその末端駅で、新潟在住で気が向いたら東北へお散歩なんてこともできる。時は春休み。青春18きっぷで帰省し、姫路駅で東北ワイドを購入した。
ちょうど部の合宿が岩手県平泉市・中尊寺で行われたのに合わせて、未踏の北東北、ローカル私鉄を旅した。

<小坂鉄道>
秋田県大館市を起点とする鉄道。小坂町は古くから鉱山として栄えた場所。鉄道はその精錬所より産出される濃硫酸を輸送していた。
私が訪問した時点では、まだ旅客営業が行われていた。
*1:旅客営業は1994年10月廃止。
*2:小坂鉄道は2008年3月12日で鉄道運行そのものを終了した。

1994年3月早朝、秋田市内の宿を出て、大館目指して奥羽線の普通電車で北上する。まだ特急も来ない時間帯。何せ小坂鉄道は1日5往復しかない。
ところが能代付近で人身事故。足止めを食ってしまう。満員の車内だが、苦情ひとつ言わず黙って待つ秋田の人達はおとなしい。

結局、乗換5分前に大館着。小坂鉄道の大館駅はJRから道路をはさんで少し離れた位置にあり、猛ダッシュする。目の前でドアが閉まった!間に合わなかったか?
私を見つけた駅員さんがすぐに手を上げて列車を待たせてくれた。

息を切らして乗り込むと、乗客は5名ほどしかいない・・。
1両で走るディーゼル車は、岡山の片上鉄道で見たことのある車。こちらはすでに廃止されているが、元は同じ系列の鉱山会社だった。

雪はどんどん深くなる。同時に山が険しくなり、雪道を走る自動車に追い越されるくらいスピードが落ちる。
「雪沢温泉」という名前の駅があった。何とも旅情を誘う駅名だ。
すれ違いのできる駅には懐かしい腕木信号機がある。しかも黄色い矢羽根の通過信号も。
45分くらい要したか、終点小坂着。3月とは思われない残雪。


乗ってきた列車でわずか30分の滞在で折り返す。次の列車まで3時間以上待たねばならない。今日中に下北半島の先端・大畑へ行く予定なので止むを得ない。寂れた駅前には何もなく、とにかく寒い・・。待合室のストーブで暖を取る。
秋田県北部の不便な場所で、しかも午前という時間帯なのか、まだ廃止も決定していないためか、鉄道マニアは私しかいない。


ウロウロしていたら、ディーゼル機関車に牽かれた濃硫酸の貨物列車が到着。期待していた光景に興奮する。本当は機関車3台で力を合わせて峠に挑む姿を見たいところだが、自動車がないと無理。


後ろ髪を引かれる思いで小坂の町をあとにした。
これが最初で最後の小坂鉄道だった。
再び大館に戻り、「とりめし」を購入して青森を目指したのだった。

〜インターネットで探せば、同胞諸兄の手による、すばらしい小坂鉄道沿線写真がヒットします。詳しくはそちらをご参照くださいませ・・。

| Rail&Hand | - | 23:29 | - | - |
角さんの線路
 越後交通といえば、新潟県長岡市に本社を構える田中ファミリーの一大企業。新潟県中越地方にバス事業を展開する同社には、鉄道路線が存在した。それも平成の御世まで。

その鉄道とは越後交通の前身となった「長岡鉄道」の一部路線。

戦後まもなく土木事業を興した、故:田中角栄氏が、政界進出と時を同じくして社長に就任した鉄道でもある。(同社には他にも長岡〜見附〜栃尾を結んだ「栃尾鉄道」というものもあった)
鉄道は来迎寺〜西長岡〜与板〜寺泊を結んでいたが、乗客減少と自社バス路線の拡大で関原〜寺泊は昭和50年に廃止。その後、来迎寺〜西長岡〜関原の区間で、細々と貨物専業で平成7年3月まで運行していた。(末期は来迎寺〜西長岡)

<今から15年前の話>

平成5年9月。新潟在住の頃、私はまだ18歳少年だった。
西長岡駅の車庫を訪問する機会があった。
長岡花火のシンボル、長生橋を渡り、大島本町という交差点から路地に入ると広場の先に駅構内があった。今は貨物専用鉄道なので旅客駅の跡形はないが、昔はこの場所に駅舎があり、駅前商店街があったと思われる。長岡への買物や、花火見物、米や寺泊の海産物、与板鉄器の輸送で賑わったのだろう。

「写真を撮らせてもらえますか」

事務所に挨拶すると、快く中に入れてくれた。職員は高齢の方ばかりで、この方々がリタイアする頃には鉄道も姿を消すような気がした。

車庫では青い電気機関車が整備中で、いかにも私鉄然としたスタイル。

↓こちらの機関車は、元々北海道にいたとか。

実際に使用されていたのは1枚目の「ED401」と車庫奥にいる「ED5101」の2台だったようだ。
草生した構内にはセメント貨車が並ぶ。
この鉄道、途中の才津駅というセメント出荷場から、JR線の来迎寺駅まで貨物をピストン輸送している。来迎寺からJRに引き渡して各地に運ぶ。

この西長岡駅は、長岡市中心部からずいぶん外れた信濃川左岸にある。来迎寺から来た線路は川にぶつかる形で、ここで向きを変えて寺泊方向へ折り返していた。おそらく、長大な信濃川に鉄橋を架ける資金がなかったものと思われる。昔の民営鉄道ではよくあること。鉄橋が架かっていればまた違う運命だったかもしれない。
機関車を撮影した後、同行させてもらった先輩の運転で才津駅に向かう。
刈入れの終った田園地帯を、セメント貨車を7〜8両連ねて走る姿を見ることができた。この時は平日ということもあったが、沿線で「鉄」に全く出会わなかったと思う。まだ廃止も囁かれていないのか、のんびりした日常だった。
そういえば、線路沿いにある会社の空き地に車を停めて列車を見ていたら、
「そこ、停めないでくれる!」
いきなり会社の窓が開いて、天道よしみ風の事務員さんに叱られたのを思い出す。

その後平成11年に新潟交通、蒲原鉄道が姿を消した今日、新潟県内のJR・北越急行以外の民営鉄道は、全て過去帳に入ってしまった。
廃止から13年が経過した今日、越後交通の線路跡はどうなっているだろうか。角さんの線路を偲ぶ。

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