Zakkan (雑感)

趣味の雑感。
ストックホルム症候群
という精神医学用語がある。
先日、千葉で連れ去られた女性が沖縄でストーカーの犯人とともに保護される事件があった。被害者の心理状態もこの状況下だったと指摘する専門家の意見がある。

ストックホルム症候群とは、長期間監禁状態に置かれた人質がその精神的な負担から逃れるために、『自分は、犯人達の同志なのだ。犯人達は、我々を守ってくれているのだ。』と自己欺瞞をすることで平衡を保とうとするもの。
恐怖で支配された状況において、犯人に対して反抗や嫌悪で対応するより、協力・信頼・好意で対応するほうが生存確率が高くなるため起こる心理的反応が原因と説明される。
つまり、閉鎖空間で長時間非日常的体験を共有したことにより心理学的に高いレベルでの共有間を生み出してしまうといわれている。
ストックホルムで発生した銀行強盗事件が名称の由来。監禁された人質が犯人を庇ったという。

その後の研究では、この心理的反応は何も犯罪に限ったことではないという。たとえば家庭内。暴力を振るわれる家庭で育った子供はそんな親でも庇う。周囲の人が同情しても反発を示すように。

閉鎖空間で長時間一緒に過ごすことで発生する感情のようだが、職場内でもあてはまるかもしれない。

たとえば上司と部下の関係。

今となって重い口を開くことにする。

3月に退職した上司について、最近まで「お世話になった方」という表現を多用してきた。中小の職場では上下関係も近い。私にとっては警察犬の如く「絶対服従」だった。採用者であり、他方面にも影響が及び、否定=生きる術がなくなるようなものだと思っていた。
しかも「アンタのことをいつも気にかけている」と言われていつも世話を焼いてもらった。これは素直に感謝することなのだが、従順になるプレッシャーがその分大きくなった。


もう8年前の話。2001年秋。上司・先輩と3人で酒の席。職員旅行の話題になった。オープン間もない人気のUSJ。
「じゃあワシはそこに行こかな。アンタはどうする?」
「あいにくその日は業務の都合で・・」
その一言で
「そんなに忙しいなら今度復帰する奴にさせる。もうお前は何もしなくていい!」
怒り出した・・・。もう泣いて謝罪するしかなかった。ワタシがわるうございましたと。
“こんなときは自分も行きたいですと言うものだ”と後に諭されたが、単に一緒に行きたいのなら最初からそう言えばいいのに;
結局USJに行ったものの、当の本人はキャンセルという結末だった。来なくて正解だったが。
若気の至りも含め、そんなコトを星の数ほど繰り返しながら仕えてきたのでずいぶん鍛えられた。自分に非がなくとも頭を下げることもしばし。
おろらく当人は若い頃、丁稚奉公のように上に仕えてきた経験からこのようなポリシーを持っているのだろう。

他にも年1回有志旅行があったが、高額な会費を払いつつ手足となって動く立場ゆえに、気が抜ける時間は少しもなかった。道路が渋滞しようものなら、注文の料理が来なければ、集合時刻に遅れようものなら、主催者の上司の気分を損ねるのでこちらが不手際を責められるような気分になる。事前に手配し、綿密な情報収集を行い、皇室の行幸のような段取りを踏んだ。とにかく予定通りに運ばければならない。本番は平日の仕事よりも疲れた。ましてや不参加など想像もつかないものだった。
しかも「一緒に行く」ではなく「連れて行ってやる」という図式だった。

桃太郎の家来でも自分の意思で参加しているというのに・・。
と云う訳で本例を桃太郎風に解釈するとこうなる。
「きび団子やるから鬼ヶ島へ一緒に来い。そういえば去年、あの猿は道中に団子を与えて土産に鬼の宝物も分けてやったのに礼も言わん。薄情な奴だ。賞与の査定は考えたほうがええな。冗談やけど」

私は私生活でもずいぶん定刻にこだわる向きで、おおらかな妻を呆れさせる。単に性格の問題だけでなく育った環境にもよるのだろうか。

上司が気分良く過ごしていればそれで自分も平穏な気分になった。そんな時は好意的な気分になった。自分の意志を問わずひれ伏して仕えることで自分は評価してもらえるんだと。極端な言い方をすればセルフ・マインドコントロールであり、自分の身を守るための手法だったのかもしれない。

社会というものはこういうもんだと言ってしまえばそこまでだが、自分の置かれた環境が100%正しかったかどうかは未だに疑問。

しかしこれだけは言える。上に立つ人間が絶対的であることが災いとなって自分の考えを進言できない環境下だったと言っても過言ではない。建設的な意見は出るはずもなく、従業員の意欲もなくなってしまう。組織とは相撲部屋でもヤ○ザでもない。このような風通しの悪さは企業にとって、法人にとって大きな損失になるだろう。

新しくやって来た上司に「何故みんな必要な物を買ってくれとか、改善点とか自分の意見を言わないんだ?」と言われて皆拍子抜けした。

以前、私は職場内で周囲が上司への不満を口にする中でも口を閉ざし、家に帰っても話題にするのはタブーだと10年間思い込んでいた。ひとこと「お世話になっている」としか言えなかった。
今思えば、これも一種のストックホルム症候群だったのかもしれない。

先日、このような過去の体験と抱いてきた感情を妻に伝えた。

「やっと話してくれたんだね」

遅く帰宅した際、子供達がグズり、妻が疲れて苛立っているとき、自分に非がないにも関わらず遜る言い方をして妻の気分を害させることが時々あった。

「決まったとおりにできないのは自分が悪い・・・自分が至らぬ人間だから・・」という自責の念を抱くことは自分の性格のみならず、今まで経験した環境を押し殺してきた影響があるのかもしれない。
それを吐露することでずいぶんラクになったような気がする。心に潜む闇は全て吐き出したほうが精神衛生上、好ましい。
それを気兼ねなく話せるのが家族だから。
同じ毎日を過ごすなら、疲れていても公私ともに明るく過ごしたいと思う。


| Rail&Hand | - | 22:34 | - | - |
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