Zakkan (雑感)

趣味の雑感。
赤穂鉄道の発掘

どこかで聞いたようなタイトル…。
昨日、赤穂からの帰り道は久し振りに赤穂鉄道の廃線跡を通った。
赤穂鉄道は大正10年(1921)開業。
その後、国鉄(現JR)赤穂線の開業で昭和26年(1951)廃線となった。
赤穂鉄道は相生経由の赤穂線とは異なり、山陽本線・有年駅から分岐、千種川左岸沿いに赤穂を結んだ。「坊ちゃん列車」のような豆汽車が走っていたようだ。

千種川沿いの山裾に続く狭い県道が廃線跡。通常利用する県道のちょうど対岸を走る。赤穂市街からは国道250号坂越橋を渡らずに直進、山陽自動車道をくぐり、トンネル方向へ左折しないで高雄橋を渡り川沿いへ左折。

一車線しかない線路跡の道は深い森に覆われて樹木が鬱蒼と茂り、日中でも薄暗い。トトロの世界みたいだ。
鉄道があった時代は樹木が少なかったらしいので、車窓から千種川の流れを望むことができたのだろう。

画像は真殿駅跡付近。駅跡を示す立て札があり、蒸気機関車の給水ポイントだったとある。その脇には今でも湧水があった。

長い森を抜けて道路は有年駅付近の国道2号まで至る。半世紀以上昔の廃線なので痕跡は少ない。

鉄ちゃんにとって赤穂といえばこの赤穂鉄道のほか、JR赤穂線のセメント貨物列車が有名。すでに廃止されたが、15年くらい前まで赤穂の岡山寄りにある住友セメント工場から山陽本線・宝殿まで運行されていた。宝殿駅の西側、現在マックスバリュのある辺りに貨物側線があった。

それから駅名の「播州赤穂」。これは赤穂に鉄道が開通した当初、赤穂(アカホ)という駅名が長野県にあったため混同しないように命名された。
播州赤穂は赤穂鉄道時代から引き継がれた名前だが、旧国名「播磨」ではなく俗称の「播州」を冠している。播磨赤穂より播州赤穂のほうが響きが良い。
お役所の国鉄は俗称ではなく旧国名を駅名に冠する傾向があるが、播州赤穂は例外だったようだ。忠臣蔵の観光地ということも意識していたのだろうか。


| Rail&Hand | - | 16:26 | - | - |
アーチ橋を作る
文学館用縮尺1/80ジオラマ。「銀河鉄道の夜」こと釜石線。
アーチ橋を自作する。
素材はポップコーンならぬ「ポップコーア」と称する発泡スチロールボードを採用。厚さ2mmの発泡スチロールにロール紙が貼ってある。そこそこ強度がある上に、加工、塗装が容易。図面を引いてカッターナイフで切り抜き、厚めのスチレンボードで補強材を入れて橋の形にする。
子供達が寝た後、「のだめ」スペシャルを見ながら作業。


アーチ底面はどうするか。ポップコーワでは厚すぎる。そこでシャツの台紙の?ボール紙を丸めて接着する。
ギャボーン!アーチ断面とツライチになっていない箇所が出来てしまった・・。しかも橋脚の土台部分があまり広くない。


現物合わせで足元をカットして渓谷に仮置。こうして書くと簡単な作業に見えるが、当分アーチ橋は作りたくないというのが本音;

塗装前にサーフェサーは吹いておかねばなるまい。

眠い・・もう限界なので今日はここまで。

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