2009.02.26 Thursday
器用・不器用
勤務先にてKさんが、(27歳・独身←そんな事はどうでもいい)
「親戚のおばさんが作ってくれたんですぅ〜」
可愛らしい雛人形を持ってきた。顔は綿棒で出来ていると言えばそのサイズが推測できるだろうか。その雛人形は受付に飾られた。
「俺が台と屏風を作ってやる」
M君が言った。(31歳・独身←引き続きどうでもいい)
昼休み、彼は段ボールと色紙を切り抜いて工作を始めた。
「えっと、30を7で割ったらいくらや…」
丁寧に図面を引いている
。
「Mさん見た目の割に器用ですね〜」
「見た目とはなんや!」
ここで器用の定義を思った。
中学生の時、私は戦車のプラモデルを作った。
接着剤ははみ出し、バリは残っているわ(バリ:部品を切り離したときの付け根)、塗装も筆塗りでボテボテ…。仕上がりを急ぐあまり、雑な工作。
何だこりゃ…友人に笑われた。
私は「器用」というお褒めの言葉を頂戴したこともあるが、実は荒削りだ。思い入れがなかったり、見えない箇所はいくらでも手抜きをする。ミリ単位の正確な仕事は性に合わない。それらしく見えればOK主義。雰囲気重視だ。
M君は工作が趣味ではなく、得意という訳ではない。彼の週末は専らパチンコだ。
彼が器用だと言われた所以は丁寧な作業を守っているからだろう。
つまり、器用な人=丁寧な仕事をこなすことが出来る人だと感じる。
自身が不器用だと称する人も丁寧・正確でさえあれば器用に成り得るかもしれない。
それでは万人が「器用」になってしまう。
ここで分岐点がある。真のアーティストこそ、器用の中に創造性を備えている人ではないか。正確な仕事とセンスの融合で素晴らしい作品が生み出される。
両者を備えられたら一番嬉しいのですが…。
ちなみに人生のほうも「器用」に生きることはなかなかデキマセン;