Zakkan (雑感)

趣味の雑感。
3月末で
2週間前、新潟のYさんから頂いたお土産。
長野電鉄1500系のイラストがラベルに描かれた日本酒。2000系の枡と七味唐辛子。


本日の運行を最後に、長野電鉄屋代線が廃止された。ラベルになっている運輸省規格型ボディの1500形は屋代線の名物だった。
もともと屋代線は河東線といい、2002年の信州中野〜木島廃止時に、残された区間を屋代線と改めた。
今回の屋代線廃止で長電は、長野〜湯田中の長野線(本線)だけになってしまった。

長電といえば、地方私鉄とは思えない自社発注の個性的な電車が活躍していた。リンゴを思わせる赤とクリームの塗装が沿線風景に似合っていた。
その陣容はオリンピックを契機にガラリと変わり、今では旧営団地下鉄、東急、小田急ロマンスカーの中古電車が活躍している。

初めて長電に乗車したのは今から21年前。その後訪問する毎に電車が異なっていた。
それから、道路と共用する千曲川の鉄橋も印象的だった。クルマで並走したこともあった。今は新しい橋に架け替えられたという。
本線終点、志賀高原の玄関口となる湯田中駅は急勾配で敷地が狭く、スイッチバックするユニークな構造だったが、これも解消された。

昔から変わらないのは相変わらずのボッタクリ運賃?
長野〜湯田中の料金で「しなの鉄道」なら小諸まで行ける。


青森県の十和田観光電鉄もまた、今日で最後の日を迎えている。

地方私鉄の厳しい環境が伺える。
古めかしい電車で上下左右に揺られながら、窓を開けて外を眺める旅の楽しみは、もはや過去のものとなってしまった。


その分、模型に反映されてしまいますが・・
| Rail&Hand | - | 23:11 | - | - |
大人マリンワンピースの手仕事

妻です。

ヨーロッパ服地の「ひでき」送料無料セールで一目惚れしたのは、かすれたイカリが大人っぽいリネン。

今回はブラウンをチョイスしましたが、色違いをうっかりポチしてしまう寸前です(>ω<)/。・゜゜・プルプル!!(人差し指の叫び)。

作ったのは、ソーイングナチュリラから拾ったワンピースを元に、着回しやすいノースリーブにアレンジ。

さらに可愛くしたくて、前見頃を短冊あきに変化させました。

カジュアルなシャツなんかでよく見る、「途中までボタン」のことです( ̄∇ ̄*)ゞ。
もとは単純なかぶりタイプです。

切り替えに使ったのはやはり「ひでき」さんで以前大量買いした杢調リネン。


こりゃあもう!同色プリントとしか思えない色の合いようです!

一人「可愛い!可愛い!!」と叫びながら作ってました( ̄∇ ̄*)ゞ。

しかし、イベント前になると一本ぶちきれたかのように、全く売れそうにない大物を作ってしまいます。

本当は売れ行きに関係なく手間のかかった洋服を作るのが好きな私。

何枚でも大人服を作りたい…。

どんどん安く流行を産み出していく既製服には到底かないませんが、一針一針愛情を込めた物作りは、これからも私のポリシーとして続けていきたいです。
| Rail&Hand | - | 17:07 | - | - |
チェックパンツの手仕事

妻です。

子供用ネイビーチェックのハーフパンツを作りました。

のびのび素材で着やすいと思います(*^^*)。

サイズは90〜130。

後ろ姿にはひとつポケットを。

のびまーに連れていきます(*^^*)。

| Rail&Hand | - | 16:46 | - | - |
発表会

妻です。

今日はヤマハの発表会。

去年娘が舞台で演奏する姿を見て、「ボクも〜!ボクもヤマハ行く〜〜!」と息子がゴネるようになり、結局二人習わせています。

しかし習い始めの頃は「ボク今遊んでるからヤマハいかないの!」とか、レッスン中に脱走したり、遊びだしたり、ドヨォォ─(lll-ω-)─ォォン…とにかく素行の悪かった息子。

人前で演奏なんて大丈夫ヽ(;´Д`)ノ???と心配したものの・・・・。

いざ舞台に立つと、ピシッと一人立ちして堂々と大きな声で歌い、演奏していました(*´∀`*)。

去年一緒に出た「童謡の祭典」で「まだかえらないの〜?」と大声で発していたのとはえらい違い^_^;。

子供も半年経つと成長するものです。

一方娘は去年左手の和音が苦痛で「もうヤマハやめる!」と泣いてばかりいた日々から一転。

今年は堂々と自信たっぷりに演奏しきりました。

小さい頃ピアノを習いたかった。
・・・という私の勝手な理想を押し付けられた我が子たち^_^;。

嫌がりもせず母の願いをかなえてくれてます。

しかし、兄弟で出演時間が大幅に開いたため、朝八時出勤、帰宅したら夜の八時半でしたドヨォォ─(lll-ω-)─ォォン…。

さすがに子供達も爆睡。

先生方、出演した子供達も。みなさんお疲れ様でした。
| Rail&Hand | - | 21:17 | - | - |
納品

妻です。
長い冬のトンネルを抜けてようやく春が来た感じですね(*^^*)。

お友だち作家さんのmacaronさん、tsumugi さんからお誘いがあり、一緒にcocochi+さんに、納品に行くことに。

ポカポカ陽気に子供たちも列をなして鶏小屋まで駆け回っており、とっても楽しそうでした(*^^*)!


母たちも久し振りにゆっくりお茶しながらおしゃべりタイム。

本当に「ここちよい」一時です。

納品したのは、Yuwaの綿麻ネイビーを使用したワイドパンツ。

自分ではきたいくらいお気に入りですが( ̄∇ ̄*)ゞ。

リネン100%よりシワになりにくく、麻によくある色落ち色褪せも多少強いです。
実はリネン100%より布単価の高いYuwaの綿麻。それでも私は三回リピートしている折り紙つきです。

形は全ての人の体型をカバーしてくれそうなワイドなパンツ。一見スカートに見えて素敵ですよ(*^^*)。

他にもフードカバーやランチ巾着、ミニポーチ、tsumugiさんやmacaronさんの可愛い雑貨もたくさん入荷しています。

皆さん是非一度足を運んでみてくださいね。
| Rail&Hand | - | 01:53 | - | - |
肌寒いですが
春はすぐそこに。(24日撮影)



多忙につき本日は手抜き更新ですm(_ _)m

| Rail&Hand | - | 23:52 | - | - |
ボーダーTシャツの手仕事
妻です。

しっかりした天竺ボーダーでロングTシャツを作りました。

ボートネックにしたかったのですが、気力と技術がなく断念(;つД`)。

若干オッサンぽいボーダーですが…ご愛嬌( ̄∇ ̄*)ゞ。

前立てのボタンはフェイクで、縫い付けてあり開きません。

裾にちょこっとイカリのマークを手描きしてます。


のびまーに連れていきます。

サイズは伸びの少ない天竺なので、ワンランク落として95〜110に設定しています。

さて。



先日私が頂き物のオリーブを使いこなせないから、とお料理上手なUさんにお分けしたところ、「お礼に」とキッシュを焼いてきてくれました(*^^*)。

使えない(料理法がわからない( ̄∇ ̄*)ゞ)からあげたのに、タナボタだわ。

Uさんありがとう(*^^*)!

ジャガイモやホウレン草がたっぷり入って、しつこくなくパクパクいただけました!!

息子も「たまごやき!!たまごやきもっと〜!」と、ペロリおかわり。

ホウレン草もキッシュにしたら食べてくれるのね。

人様からいただくご飯は普段自分にできない美味しさがあります♪

Uさん、ありがとうー(*^^*)!
| Rail&Hand | - | 17:03 | - | - |
セマウル号引退へ
日本のお隣、韓国の鉄道のお話。
2010年、韓国版新幹線こと韓国高速鉄道(KTX)がソウル〜釜山 全線開業した。
フランス新幹線の技術で建設されたというが、不良品の枕木破損、部品不足による他の車両からの流用整備、非常ブレーキを掛けた際に発生する騒音に人体への影響が指摘される、高速鉄道として世界初の正面衝突事故など・・日本の新幹線では考えられないトラブルが多発しているという。

韓国高速鉄道が出来るまで、国内の最高速列車だったものが特急「セマウル号」現在は在来線特急として運行されている。
「セマウル」とは「新しい農村」という意味。
このセマウル号、2015年を目処に引退するらしい。初期の車両は製造から30年以上経過しているという。

セマウル号に乗車したのは1995年、研修旅行のとき。
ソウル行「セマウル号」釜山駅にて。

構内に架線がない。この頃、韓国の主要路線は非電化だった。
要するに、南北停戦状態なので有事の際も輸送ができるよう非電化を貫いているのだという。
画像のセマウル用車両はディーゼルカー。111系というらしい。垢抜けないスタイルだ。前後に動力車を挟むプッシュ・プル形態で、客車内は静かだった。最速列車といっても、日本の「スーパーはくと」と大差ない速度。

韓国には鉄道趣味というものがほとんどない。細密な鉄道模型など海外から受注生産しているというのに・・。
この頃は「北」の指導者が交代し、昔ほどではないが神経質な時代だった。戦時中の日本同様、鉄道も軍事機密に近かった。

釜山駅改札口にて。

日本統治時代の名残か、JRの駅に似ている。

そんな撮影タブーを耳にしたことがあるので、現地ガイドの人に列車を撮影してもよいか尋ねた。

「セマウルはよいてしょう。ても、軍の荷物を運ぶような鉄道はやめたほうかよいてしょう」

実際に戦車を輸送する貨物列車を幾度か目にしたが、お咎めがあるらしい。

車窓から。どこかの停車駅にて。

日本のワキ5000やホキ800みたいな貨車がいる。

セマウルの車内放送のメロディは鉄道唱歌ならぬ「天国と地獄」だった。
駅弁という概念がないのか、車内の昼食に宅配給食のようなものが出てきた。
往路に乗車した観光バスより遥かに安全・快適だった。


「韓流」という言葉などなかった、はるか17年前の大韓民国。
異様に甘い菓子、風景になじまないカトリック教会、車間距離無視の高速道路、ブッ倒れたマッコリ、焼肉とキムチは旨かったことを覚えている。
| Rail&Hand | - | 23:08 | - | - |
フードカバーとbuilding巾着の手仕事


妻です。
日に日に温かく過ごしやすくなってますね(*^^*)。

私も冬眠から目覚めてエンジンかかってますd=(^o^)=b!!

委託先cocochi+さんが来月新聞の付録雑誌にのるそうでして。

これが地方紙なので、かなりの読者さんに配布されるんでしょうね。

先日ストラップを納品にいきましたが、店内すかすか感が否めず( ̄∇ ̄*)ゞ、こりゃいかん、と更に作り足しております。

まずイベントのたびに好評で売り切れてしまうフードカバー。

我が家も欲しい!!

んが。
子供はこういう小物が大好きで、すぐオモチャにするので踏み切れずにいます( ̄∇ ̄*)ゞ。

四枚のパネルのうち、一枚が柄、他は綿麻のダブルガーゼ。

お決まりのステンシルで和風な趣です。



お次はbuildingの巾着。

お隣うどんやさんはお子さん連れのお客さんも多いようで。

お着替え袋などに…。男の子心ギュッとつかみたいところです。
| Rail&Hand | - | 21:51 | - | - |
ラストラン
昨日は卒園式こそ出られなかったものの、有休で夕方から役員打ち合わせ会へ。そんなこんなで帰宅すると21時。
子供らが寝たあと、娘の涙の話から、

「自分の卒園式は覚えてる?」

「ボクも泣いたよ」

「そうなの?」

「正しくは泣かされたんやけど」

「え?」

「たしか帰り際、靴箱で転んで同じ組の子の手提げカバンの上に尻餅をついて中身をつぶしてしまったんよ。それで相手が怒って泣かされて・・」

「散々な卒園式だったのね;」

「先生にどうしたのか聞かれても理由を言えるわけもなく泣いてたわ。母と祖母には呆れられるし・・自分を思うとあの子の感覚はスゴイな〜」



さて、娘の卒園と時を同じくして、姫新線キハ40「はばタン列車」が正真正銘のラストランを迎えた。定期列車ではなく、沿線NPO主催による団体「お見合い列車」としての運行。佐用〜姫路を往復するというもの。

昨日の余波で休日出勤することになった。
ちょうど「はばタン」が来る1本前の列車で出かける。露払い列車みたいだ。沿線にはそこそこ撮影者がいる。普段は見向きもされない姫新線が今日は特別な日。
「はばタン」は姫路駅4番ホームに到着することが判明。新快速への乗り換を30分遅らせて向かい側の5番ホームで出迎える。(さっさと仕事行きなさいよ;)


ホームでは、着ぐるみがお出迎え。列車に対して大きな「着ぐるみはばタン」発車前に慌てて車内に戻ったが、onちゃんみたいな動きをしていた。

ちなみにヘッドマークデザインは、我が家もお世話になっている地元NPO代表、D君によるもの。
「えんむす日列車」とあるように、佐用町エリア在住の男性と一般公募の女性が乗車している。停車中は恥ずかしいのか?ブラインドが半分下ろされて様子を伺うことは難しかった。

約15分の停車で慌しく佐用へ戻っていった。姫新線の姫路付近は単線の割に列車本数が多く、定期ダイヤの合間を縫っての運行。これが機関車牽引など足の遅い列車なら尚更大変だろう。


夕方、車庫付近を通過するとき、任務を終えたはばタン+姫新線色2両、計3両のキハ40が連なって置かれているのを確認できた。
まもなく、走り慣れた姫新線から旅立つ日がやってくるだろう。回送ダイヤもそのうち分かるんでしょうかね?Fさん、yさん。

まだ三寒四温の春分の日。はばタンのラストランを見送ることができた。


走行シーンはyさんがバッチリ追っかけて記録してくださっています(^^)
こちらで→http://izumoexp.exblog.jp/
| Rail&Hand | - | 21:29 | - | - |
卒園式


妻です。

昨日は娘の卒園式。

「Yちゃんオベントウもってヨウチエン行っとうんや!」
とサバを読んでいた二歳の頃。
産後間もない息子をお腹に抱いて参加した未就園児の「ひまわり学級」。
幼稚園の床で転んで泣いて、私は息子を抱いているがために娘を抱き起こすこともできず、「早く立って!」と叱責したね。

四歳の頃、初めて買ってもらった黄色い園バッグが嬉しくて、枕元に毎晩置いて寝ていたね。

初めて私の手を離れて、園児にもまれたまま姿を見失った一日入園。
http://railandhouse.tblog.jp/?eid=243875
あの時遊戯室いっぱいに響き渡る声で、園児達が歌ってくれた園歌。

その園児達の堂々とした生命感に圧倒され、感動して涙腺が熱くなりました。

そして二年後の昨日。

同じように子供達が園歌を歌います。

但し、歌ってくれたのは憧れの眼差しで見ていた上級生ではなく、我が娘たち。
心も体も二年分大きくなった姿で。

もう。
それだけでこみ上げて来ました。

「Oさんが泣いてるの見えて、つられそうになったわ!」
と、対面席の保護者に叱られました^_^;。

一人一人、名前を呼ばれ、園長先生から終了証書をもらいます。
大きな声で「ありがとう」と言えたね。

バックにはそれぞれの子供の二、三歳の頃の写真。

さらにスライドと終了児の「思い出の言葉」へ続きます。

春、夏、秋、冬・・・・。

たくさんの思い出。
楽しかったこと。
ちょっと苦しかったけど頑張ったこと・・・。

最後に終了児全員で、
「おとうさん!おかあさん!そだててくれてありがとう!だいすきだよ!」
と合唱されたときには、
もう・・・!もう!みんな「降参!」の白旗のごとく保護者席に涙をぬぐうハンカチがいっせいに揚がりました。

泣かせてくれるじゃないですか。先生方。

でも、その先生方も、泣いてたね。

式が終わり、今度は保護者から先生に。サプライズプレゼント!です。

事前に親子で作った紙のお花を、先生の首からさげた輪にひとつずつ結び、最後にお花の首飾りを作る、というもの。

娘と一緒に担任の先生の所に行きました。

娘は先生に声を掛けてもらい、終始うつむいています。
私が「先生に『ありがとう』いいなよ。」と促すと、突然娘の目から大粒の涙が・・・。

これにはさすがの親の私も驚きました。

ちいさな胸にいっぱい詰まったいろんな思いが、溢れたのでしょう。


はやくおおきくなれ。

はやく手をはなしたい。

そればかりを願ってもがいていた四年間。

けれどいざ手を離してしまうと、娘はぐんぐん自らの足で走っていきます。

その成長の早さに「さみしい」と感じるくらい。

今日は何をしようか。

どこに行こうか。

おひさまが時計だった四歳までのあの頃。

あの四年間が、豊かな土壌となって、今娘は葉を伸ばしている。
やがて花咲き、実を結び・・・・。

いろんな想いが重なって、胸が苦しい終了式でした。

お世話になった先生方、ありがとうございました。

そしてお父さん、お母さん、私が終了した日もきっと同じ気持ちだったでしょうね。ありがとう。

そして娘へ。

二年間幼稚園楽しくかよってくれてありがとう。
すてきな一年生になってね。
| Rail&Hand | - | 22:54 | - | - |
しっかりスムース小花Tシャツの手仕事

妻です。

まだまだ風は冷たいけれど…。

洋服を作るとしたらすでに半袖!!

とーっても可愛い(*^^*)レトロな小花柄のスムース、本当にしっかりとして安心感のあるニットを手に入れました。

この柄はいつも何度となく作っている普通のTシャツではなく…どうしてもパフスリーブにしたい(>ω<)/。・゜゜・と思いまして。

せっせとパフスリーブ90から120サイズのパターンを写しましたわ。

胸のアイロンプリントもひとつひとつ違って可愛いですよ(*^^*)。

のんびりマーケットに連れていきますので、しっかりスムースの手触り、是非確認してみてくださいね(*^^*)。
| Rail&Hand | - | 22:46 | - | - |
ソレイアードストラップとデジカメポーチの手仕事

妻です。

前述のオーダーストラップ、ソレイアードのビニールコーティングをアップでもう一度。

右です。

そして左は我が家専用デジカメポーチ。

同じソレイアードで作りました。


我が家のデジカメポーチ。
何年か前からある作家さんの手作りを使わせてもらってたのですが、元々携帯電話用?なのか、留め具部分が磁石で留まるマグネホックでして。

カメラの重みで逆さにするとパカッと開いて落ちるのでした(;_・)。

可愛くて使いたかったのですが、何ともカメラを落下させる事件が多発しまして…。あえなく次世代を開発。



通販で、ネックストラップに通して使う簡単なポーチを見て、自分なりにアレンジさせてもらいました。

下からジャンパーホックが開いてカメラを引き出します。
普段は首から掛けつつ、ポーチにin。

ここぞ!というシャッターチャンスにパチッと取りだし、引き出してカシャッ!!


……良くない??!!


よくあるキーカバーの原理ですね(*^^*)。

撮り終わったら首にかけたままカバーをずらして戻したらよいという。


何故いまさら我が家のデジカメポーチを?!


それは明日娘の修了式だから( ̄∇ ̄*)ゞ。

泣いてきます。


おまけ。

娘の小学校用手提げ袋。

幼稚園用は「くまのがっこう」柄で私的にとーっても気に入っていましたが、なんせキルティングは分厚くてランドセルのなかでかさ張るそうなので( ノД`)…泣く泣く縫い直しました。

サイズデザイン、building Japanトートバッグと同じもの。
ポケット曲がってます( ̄∇ ̄*)ゞ。

気合いの入り方薄っ……。

Building Japanトートバッグ、好評につき追加納品しました。

関係者の方々、ありがとうございました。
| Rail&Hand | - | 17:00 | - | - |
ストラップ手仕事いろいろ

妻です。


blogに載せた皮×リバティのストラップを、早速友人Mさんがお買い上げくださり、「すっごくいいよ(*^^*)」という言葉に気を良くした私。


こんなに作って大丈夫( ̄∇ ̄*)ゞ?!

ひとつひとつラッピングしてみました。

他にもオーダーで「お父さんが携帯デビューしたから」と、携帯とデジカメを両方つけられるネックストラップを作りました。

シニア世代の男性が持ったらお洒落だろうな♪という願いをこめて、ソレイアードのビニールコーティング。

汚れに強いものをご希望だったので。

Yさんありがとね(*^^*)。

さて。

明後日はいよいよ娘の修了式(卒園式
)です。

子育てなんて もう、嫌だ。

保育園に入れたい!!という気持ちと、小さな息子と病み上がりでままなならい自分の体に自由がきかず、思い切り娘を抱き締めてあげられなかったもどかしさに揺れた四年間。

それでも一度も「幼稚園行きたくない」と言わず、あなたは黄色いリュックにたくさんの希望を背負って、二年間幼稚園に通いました。

その間、たくさんの出会いと喜びをくれたね。


もうだめだ〜。

式が始まる前から泣いてしまう!!


修了式レポはまた明後日。

とりあえず手仕事でした。



| Rail&Hand | - | 06:56 | - | - |
さらば、青春の急行列車。
3月17日のダイヤ改正を機に、初代「のぞみ」こと、300系新幹線、夜行列車「日本海」などが最終運行となった。テレビなどでも大きく報じられている。


もうひとつ、今夜で姿を消す列車がある。

夜行急行列車「きたぐに」

その目的地を端的に表現しているような列車だ。運行区間は大阪〜新潟。
「きたぐに」は60年以上の歴史があり、元は大阪〜青森を結ぶ列車で、今回同様に姿を消す「日本海」の前身。

「きたぐに」は私の青春を運び続けた夜行列車と言っても過言ではない。
初めて乗車したのは19年前。今日まで通算50回以上乗車したと思われる。新潟市で生活していた6年間は帰省で乗車。そして結婚までの4年半は、当時新潟に住んでいた妻に会いに行くためにほぼ毎月乗車していた。そして新潟の病院で子供が誕生した時もまた、「きたぐに」で向かった。大阪〜新潟581.1kmの旅路は目を閉じると走馬灯のように蘇る。
今となっては家族で夜行列車に乗って移動する機会はない。
最後に乗車したのは2009年5月1日となった。

このとき記憶を辿ってみたい。(2009年ラジオ関西「羽川英樹の快速急行神戸発」羽川英樹アナウンサーへ提供した放送原稿より抜粋)


2009年5月1日。大阪駅10番線。
人気も疎らになった23時すぎ、入線アナウンスとともに神戸方面から3灯のライトがやってきた。「まもなく10番のりばに急行きたぐに・新潟行が入ります。黄色い線の内側でお待ちください・・」ヘッドマークは、新潟の地形をバックに踊る佐渡おけさのデザイン。車体色は白地に窓周りがグレー、青と金の帯が入るJR塗装。当初はオリジナルの青とクリーム・国鉄特急色で、1993年〜96年頃までは藤色に青と緑のラインだった。今の塗装は3代目にあたる。

「きたぐに」の車輌は583系。昼間は座席、夜は寝台車として活用できる世界初の寝台電車。現在の「サンライズエクスプレス」の大先輩にあたる。583系は「月光」「明星」「ゆうづる」「はくつる」等、関西〜九州・首都圏〜東北を結ぶ特急として、わが国の高度経済成長とともに24時間大活躍した。新幹線網の拡大で第一線を退いた現在、急行「きたぐに」が全国唯一の583系定期列車。JRの「急行」という列車種別も今では僅かになった。
編成は10両だが、今日は連休中のためか12両。A寝台車、B寝台車、グリーン車、普通車自由席を連結し、多彩な席が選択できる庶民的な編成も今となっては珍しい。連休だけあって乗客は多い。しかも今や貴重な583系。記念撮影をする人を多く見かけた。

23:27発車。鉄道唱歌のチャイムが流れて車内放送。新大阪を過ぎると車掌さんが検札に回ってきた。ちなみに車内販売や売店・食堂はない。
私はB寝台下段を今夜の宿とする。この583系、通路をはさんで寝台が線路方向に並んでおり、B寝台は昔ながらの3段式。3段寝台も「きたぐに」が全国唯一。さすがに上・中段は狭苦しいが、下段は横幅が座席2人分の広さがあり、窓に面しているので快適に過ごせる。寝台を畳んだら座席になる構造で、約40年以上前の設計とはいえ考案された方はアイデア賞ものだ。私が乗車した車輌は昭和45年製造とあった。
今夜はA・B寝台ともに満員らしい。

ちょうど0時。日付が変わって京都。毎回乗車する度、私はこのあたりで眠ってしまう。金曜の夜、退勤後の乗車は寝付くのが早い。今回も然り。
急行「きたぐに」は北陸線経由で針路を北に取る。ただし、「雷鳥」・「サンダーバード」のように湖西線を経由せず、わざわざ米原経由で遠回りする。夜は長い。

停車駅は大津、彦根、米原、長浜、敦賀、武生、福井、小松、金沢、高岡、富山
深夜から未明にかけて北陸線の主要駅に丹念に停車する。過去、自由席にも乗車したことがあるが、自由席は敦賀までは最終、金沢辺りからは始発列車の役目を担うようになる。
富山から先の停車駅は滑川、魚津、黒部、入善、泊、糸魚川。

眼が覚めてカーテンを開けると目の前にレンガ造りの機関庫があった。糸魚川5:28着。もう夜が明けている。ここから新潟県。
登山の荷物を抱えた一団が下車する。北アルプスへ向かうのか。糸魚川からは松本方面へ大糸線が分岐している。長野から金沢を目指して建設中の北陸新幹線の新しい高架橋も見える。新幹線が開通する日、「きたぐに」は走っているのだろうか・・

「皆様おはようございます。本日は5月2日土曜日です。列車は定刻どおり運行しております・・」朝一番の車内放送が入る。
直江津5:56着。ここでも多数が下車。北陸本線の終着駅。ここから先はJR東日本となる。直江津は新潟県上越市。上杉謙信の居城・春日山城があった場所。

直江津では長野方面からやってきた信越本線と合流する。ゆえに冬場は妙高方面へスキー客の乗換えもある。ウインタースポーツ全盛期の10数年前は、冬の「きたぐに」車内でスキー板を抱えた乗客を多く見かけたものだが、近年は少なくなったような気がする。
直江津では6:17発まで21分の大休止。約1/3の乗客を降ろしたようだ。ホームに降り立つと、遠くに残雪の山々が見える。

直江津から新潟方面への信越本線に入る。ここからが「きたぐに」の旅のハイライト。犀潟で金沢〜越後湯沢を結ぶ特急「はくたか」のバイパス線、北越急行を分岐した後、窓の外に広がるのは日本海。特に柿崎〜柏崎の区間は海岸線に寄り添って走る。

青海川付近は絶景。夏は紺碧の凪。冬は荒れ狂う怒涛。冬場は森昌子の歌の世界よろしく、波しぶきが激しく岩場を叩く。日本海は季節によって様々な表情を見せてくれる。列車名のとおり、北国へやってきた実感が湧く。

柏崎に到着。ここから内陸部に入る。新潟の新緑は美しい。落葉樹が多いのか、寒暖の差が大きいためか、関西では見られないグリーン。遠くの山々の残雪、新緑の木々、水鏡の田んぼに映る列車の影。しばし見とれる。

長岡にかけては豪雪地帯で、冬場は深い雪の中を走る。特に積雪時は走行音が吸収されて車内は静寂が訪れる。時折鉄橋に差し掛かると轟音が響く。吹雪の夜、北陸線の黒部付近で目が覚めたことがある。モノクロの世界に街灯の灯りだけが続いており、窓に凍りついた雪とともに寝ぼけながらも幻想的な情景だったのを思い出す。

自由席には新潟県内からの乗客もいる。長岡で新幹線に乗り換える人も利用しているようだ。来迎寺を過ぎると、平野部に入る。日本一の長さを誇る大河・信濃川を渡り、宮内で上越線と合流し、上越新幹線の高架が近づくと長岡に到着する。7:14着。ここで約半分の乗客が降りる。長岡で14分間息を整える。一夜を明かした車掌さんたちも、あと少しの道中に安堵の表情を見せる。お疲れ様です。
豪雪地帯の長岡は新潟県第2の街。「米百俵の精神」長岡藩の城下町。そして東京方面と北陸方面の分岐点である長岡は、鉄道の要所でもある。駅構内には消雪パイプ、広い機関区には除雪車が待機しており、北国を実感させてくれる。冬場、長岡で停車中に隣にラッセル車が入線して驚いたとともに、鉄路を守る雪まみれの姿を頼もしく思ったことがある。

ここからは新潟平野・一面の田園地帯。空の広さを実感する。車窓北側、彼方に新潟平野のシンボル・弥彦山が見えてきた。
見附を過ぎ、石油ストーブの工場を右手に見て、五十嵐川の鉄橋を渡り、弥彦線の線路が近づくと東三条。7:47着。
再び田園地帯を走り、加茂を過ぎると新津。新津は鉄道の街で、新潟への信越本線、秋田へ向かう羽越本線、会津若松・郡山へ向かう磐越西線が交差するジャンクション。米原のような性格の街。以前は「新津市」だったが、現在は新潟市に合併している。

ベッドの主をなくした寝台車。開けっ放しのカーテンや無造作に畳まれた毛布はまるでチェックアウト時間に遅れて出たホテルのようだ。
「きたぐに」は新津〜新潟間、最後の約15分は快速列車に格下げされる。乗車できるのは自由席車4両部分のみだが、高校生や一般通勤客が583系に乗車するのは不思議な光景。
煎餅の工場がある亀田を発車するといよいよ終点・新潟。
大きな電車区が見えると鉄道唱歌とともに車内放送が入る。
「本日は大阪からのきたぐに号をご利用いただきありがとうございました」
久しぶりに見る大きな市街地。左に大きくカーブして新潟駅5番線にゆっくり滑り込む。8:29着。上越新幹線・信越本線・越後線・白新線の終着・始発駅でもある新潟。折戸になっている乗降ドアが開くと、少しヒンヤリした朝の空気が迎えてくれた。
新潟市は日本海側最大の都市であり、佐渡島への玄関口でもある。(完)


時代から取り残されたような庶民的な急行「きたぐに」の旅路は今夜が最後。
今後は連休の臨時列車として運行が予定されているというが、わずかな日数と思われる。「きたぐに」使用されている電車は製造から約40年以上経過し、老朽化がすすんでいる。電車の寿命と運命を共にするようだ。
後継車両は開発されることなく、時代の流れとともに姿を消す。
2014年の北陸新幹線金沢開業まで持ちこたえることはなかった。

わが人生に多大な影響を与えた急行「きたぐに」
目的地に待つ人、故郷、希望、喜び、葛藤・・様々な想いを運んだ列車。鉄道には乗客の数だけドラマがある。300系新幹線も同じだろう。


どこかで聞いた事があるようなフレーズですが・・・


今、万感の想いを込めて汽笛が鳴る。

さらば、急行「きたぐに」

さらば、青春の急行列車!



| Rail&Hand | - | 23:27 | - | - |
キット、走る!
チョコレート菓子「キットカット」に、このような商品が登場した。
ワールドバラエティ“世界のみんなと東北を応援しよう”とある。
本商品1袋につき20円が三陸鉄道に寄付される仕組み。

早速ホワイトデー?にゴソッと購入してみた。
↓このお礼に。
http://railandhouse.tblog.jp/?eid=285066


神戸に本拠地を置くネスレ日本蠅蕕靴ぜ茲蠢箸澆澄

三陸鉄道は津波で路線の大部分を失った。今は一部区間のみの運行だが、全線復旧に向けた工事が行われている。過疎地の赤字路線ゆえに資金繰りを含めた前途は厳しい。


その三陸鉄道を応援しようという取り組み。

キットカットは枕木に似ている。ホワイトチョコならPC枕木ですねぇ!?

チョコをポリポリ食べて、ブクブク太って、ガタゴト再び列車が走り出す日を応援したいものです。

帰宅すると21:40
皆寝ているが、明日はキットカットに歓喜の声?

キット走る!
| Rail&Hand | - | 22:08 | - | - |
惜別。2034号
今週は休みを取る日が今日しかなくなってしまった。午後半休。

それなら、ということで姫新線最後のキハ40で佐用まで往復することにした。
播磨新宮からキハ40に乗換えとなる。新宮以西の乗車は約8年ぶり。(播磨新宮までは、夜間に自分の意識とは関係なく乗車することがある;)

待っていたのは2034号。ボックスシートが4つ減らされている車内が特徴。これで姫新線から去るキハ40、3両全ての乗車が叶った。


3つの峠を越え、山間いを縫うように走り16:59佐用に到着。

約20年間見慣れた“赤とんぼカラー”も今週金曜日で見納め。

佐用にて。


折り返し17:34発・姫路行で帰ることにする。津山からの接続列車が到着。
乗客はわずか。見慣れた男性がカメラバッグを抱えて乗り込んできた。

なんと!yさんだった。

yさんブログhttp://izumoexp.exblog.jp/

今日は仕事が休みで、倉敷の水島臨海鉄道に行ってきたらしい。国鉄色のキハも、貨物列車も堪能されたようだ。
帰りは津山経由ということ。う〜ん・・やっぱりテツの行動パターンは一緒(^^;
という訳で、昨日の話や姫新線の思い出話をしながら一緒に小旅行。
すっかり日が長くなった。


新旧交代の瞬間。この光景もあと4日。
| Rail&Hand | - | 21:14 | - | - |
ここから始まる〜講演会 
13:30 姫路文学館にて広田泉さんの講演会が開催された。約120名の参加。新潟からのYさんと一緒に聴講する。


鉄道カメラマンである広田泉さんは、茨城県で仕事中に地震に遭遇。
この状況に仕事どころではないと、初夏になる前から行動を開始。岩手県宮古市、大船渡市、陸前高田市、宮城県南三陸町、気仙沼市などを拠点にボランティアとして現地に入った。
その合間、朝夕を中心に写真を撮り続けた。カメラマンとしての本能だろう。
写真集の撮影場所の震災前後の状況や現地での体験など、持ち前の表現力で生々しく語られた。

講演の中にはこのようなエピソードがあった。
南三陸町で、自宅のあった場所から写真を掘り起こそうとしている母子に出会ったという。お母さんと小学校低学年の男の子。
一緒に泥を掘り起こしても家の基礎だけで、身の回りの品は何も見つからない。

支援物資として型の古いデジカメを多く提供してもらっていた。

「デジカメをたくさん預かってきました。どうかこれから使っていただけませんか?」

そのお母さんはしばらく沈黙した。広田さんは不適切な発言だったかと後悔した。すると、

「そうですね。また一から思い出を撮ればいいんですね」

という返事とともに喜んでくれた。広田さんは男の子にカメラを渡した。
食料や衣類だけではない、これから立ち上がるために、写真が持つ力を感じたのだという。

後に、気仙沼市で子供達の笑顔の写真を撮るという企画を行われたそうだが、このような経験が生かされているのかもしれない。


地震発生時刻14:46 参加者全員が東北地方の方角を向いて黙祷。


最後にスライドショーが上映された。

現地では、みんな音楽を聴きながら活動していたそうだが、その辺りを踏まえた選曲だろう。薄暗い廃墟となった街の写真をバックに流れる「時代」
その画像とともに、来場者の世代を超えて知られた音楽が胸を打つ。

mihimaruGT 「願〜negai〜」という曲。

“愛すること傷ついても明日が来ること 今ただ信じて 見えない道を歩き出そう 愛する人旅立つ人すれ違う人 問いかける涙の意味 願いは今 光になる”

メッセージを掲げて笑顔で集合写真に並ぶ人たち、再び走り出す列車、前を向いて立ち上がろうとする人たちの画像と共に流れた。元気をくれるすばらしい曲だと思った。(曲自体は2004年頃のものらしい)

前日、広田さんに伺った話では、ボーカルの女性が兵庫県芦屋市出身ということで「兵庫県ということで今回のスライドショーに選曲しました!」とのこと。
このスライドショー、準備でほんの少しだけ再生テストを目にしたが、これはヤバイと思った・・
今日は涙腺が緩みっぱなしだった。


広田さんはこの日を姫路で迎えることを選んでくださった。東北地方に想いを馳せる多くの方と一緒に祈ることができた。

色々なことを考えさせられる日だったが、時間と共に薄れていく記憶。決して風化させてはならないということ。

最後に広田さんはこのように締めくくった。

「被災された方々にとって非常に辛い出来事でしたが、何とかしたいという想いでやってきた自分の中では、このような活動が出来て良かったと思います」


夕方、伊丹から空路で帰るYさんを姫路駅で見送った。

広田泉さんを通じて、様々な方との「つながり」を体感した3月11日だった。


写真展は3月25日まで開催中です。(入場無料)
| Rail&Hand | - | 23:55 | - | - |
天空の白鷺
昨夜は遅かったのでチョット辛い。
広田泉さんを通じた様々なご縁はとても素晴らしいものだった。

朝9:30 Yさんと合流。姫路城へ案内する。
広田さんの講演会は午後、午前中は姫路城見学とした。

2015年まで大天守の改修工事が行われている姫路城。

大きな箱で覆われた天守。その中に設置されたエレベーターで工事の様子を見学することができる施設「天空の白鷺」


最上階の8Fでは屋根修理の様子が窓越しに見える。エレベーターと空調の効いた施設は仮設のものとは思えない。高齢の方が姫路城に自力で登城するには負担が大きいが、この施設なら容易に見学できる、あと3年間の期間限定。次回50年後?の改修時、姫路城はどうっているだろうか。
「バーチャル3D姫路城になっているかも?」等とYさんと話した。

11:30頃、文学館へ移動する。
| Rail&Hand | - | 23:54 | - | - |
広田泉さんを囲む会
明日の姫路文学館講演会を控え、広田泉さんが姫路へ来られた。

16:00頃、Building Japan! 販売品の納品と講演会準備に立ち会った。
講演中、映像と音楽で被災地の姿、復興へ取り組む人たちの姿が流される。
映像の再生状況を飛ばしながら確認する。
これだけでも胸が締め付けられる・・・


夕方、広田さん、Tさん達と一緒に、新潟からお越しのYさんを宿泊先にてお出迎え。

18時、関係者と広田さんファンによる応援隊など総勢19名が市内の中華料理店に集まった。


遅くまで和やかな宴。皆さんの熱い想いを聴くことができた。


拙ブログに登場の主要登場人物が対面する?貴重な機会となった。
| Rail&Hand | - | 23:54 | - | - |
エイミーバトラー×エナメル

妻です。

美しいプリントが魅力のエイミーバトラーの布が我が家にやって来ました。

リバティのような繊細なローンではないですが、エイミーバトラーの大人っぽいポップ感も大好きです(*^^*)。


ツルツルツヤツヤの、エナメル牛革と合わせてネックストラップを制作中。


エナメルって元々皮の名前だったんですね。

合皮のペカペカした子供の靴やカバンのイメージでした( ̄∇ ̄*)ゞ。
| Rail&Hand | - | 06:39 | - | - |
介護バッグ&トートバッグの手仕事
妻です。

年末に新潟のYさんよりご依頼いただいた、介護用バッグ。

ありがたいことに介護職員さんに好評だそうで、今回三作品めをリピートです。

Yさんありがとうございました(*^^*)。


そして、Building Japanのバッグは追加を含めて合計12枚作りました。



姫路文学館で開催中の広田泉氏の写真展の、ミュージアムグッズとして置いていただけるそうです。

ご配慮くださった姫路鉄道文学会会長さん、文学館のスタッフの皆さま、ご協力ありがとうございました。

売り上げの一部は寄付に充てようと思います。

まもなく一年目のbuilding Japan活動。

細々とながらも、息づかいが絶えずにいることをうれしく思います。
| Rail&Hand | - | 00:32 | - | - |
小さなバネポバッグの手仕事

妻です。

12センチのバネ口ポーチをミニバッグ風に。

手描きの模様をつけて。

ピンがついているので、スエード紐とナスカンをつけて、長さ調節のできる2way持ち手をつけました。


首から下げたり、バッグの持ち手に下げたり、お好みで使えます(*^^*)。


小さな方は以前紹介したものに紐をつけたもの。

ちびちゃんの買い物ポーチによさそう♪
| Rail&Hand | - | 00:18 | - | - |
惜別。2005号
本日の949Dは姫新線色。どちらかといえば約20年間親しんだこの色のほうが馴染み深い。以前は播但線でも運用されていたが、1998年の電化で姫新線専用となった。

今朝、出勤時6:30頃に「はばタン」色が佐用方面へ下っていくのを見た。同車は午後に車庫へ戻っており、昨日と交代で運用。

キハ40−2005号(余部駅にて)

この2005号は、1979年製造。暖地仕様は2001号から始まるので初期車。当初は鳥取に配置され山陰地区を転々とし、1996年に加古川へ。2000年のリニューアル改造を機に姫路へやってきた。

ちなみに「はばタン」2091号は1981年製造。姫路から離れたことがない姫新線生え抜きの車だ。ラッピングに同車が選ばれた理由だろうか。

残るはキハ40−2034。果たして乗車は叶うだろうか。
| Rail&Hand | - | 21:24 | - | - |
惜別。はばタン
帰宅時、中途半端な時間に姫路に到着。ちょうど姫新線949Dの発車前だった。
姫路19:09発、キハ40を使用するこの列車は余部行で、日中に播磨新宮〜佐用を数往復して姫路へ戻ってきた折り返し。余部の先にある車庫への回送を兼ねている。

今日は「はばタン」塗装。昨年大晦日以来、久しぶりに乗車するキハ40。
全ての乗客が下車して静まり返った余部駅ホーム。この光景もあと10日。


車内には「思い出をありがとう。はばタン列車」ポスターが掲示されている。


はばタン色1両と姫新線色2両、姫路鉄道部所属の計3両のキハ40は、16日の運用を最後に古巣の姫新線から引退する。はばタン塗装で約6年間、車両製造から約33年間、兵庫県下のローカル線を走り続けた。

梅の花が咲き始めた。春を感じる暖かい月夜。はばタンのテールライトを見送った。

最後は姫新線色のキハ40にも乗っておきたい。こちらのほうが慣れ親しんだ色だから。



<オマケ>
先日紹介した缶コーヒーのSL。
プルバック仕様もある。缶を牽引して走る力持ち。


小さなC56「北びわこ号」が大きな缶を運びます♪
こんなオマケでコーヒーばっかり飲んでしまう・・
| Rail&Hand | - | 21:34 | - | - |
オセロ
占い師に翻弄されるタレントではない。ゲームのオセロ。



先日、娘とオセロをした。あっけなく私が勝ったのだが、負けた当人はとても悔しそうだった。うずくまって隠れて涙をこらえて・・
昨日、リベンジ。

「今度は負けへんで」

と意気込んでいた。が、あえなく惨敗。母親にしがみついて涙をこらえていた・・

「ちょっと手加減してあげたら?」

「いや、勝負事はこの先の人生にいっぱいあるし、手抜きは相手に失礼だ」

負けることの悔しさをこんなに感じているとは・・。

そういえば、正月に新潟の従兄弟達と神経衰弱をした。本人は得意満面で威張っていたが・・惨敗し号泣していた。
優しい従兄弟達は「今度は一緒にチームになってやろう」と声を掛けてくれた。そのうち機嫌が直って「ちがう!それじゃない」従兄弟のs君に指示していた;


ピアノにしても、昨年は自ら歯を食いしばって成し遂げた。その甲斐あって鋭い音感を持つ。続けさせてよかったと思う。

去る1月、インフルエンザで敢え無く欠席したマラソン大会。
昨年の最下位がよほど悔しかったのだろうか。自作の絵本では「マラソン大会で優勝する」というストーリーを展開していたくらい。



娘の根性は誰に似たのか?少なくとも私ではない。
成長を感じるとともに、試練に打ち勝つ子になってくれると思う。

「丸の内」を「まるのニク」と読んでいた(^^;

“地下鉄丸の肉線”赤い電車が肉っぽい?

もうすぐ1年生。
| Rail&Hand | - | 22:52 | - | - |
桃の節句
雛人形風ちらし寿司?


そんな桃の節句にめでたい報告。このたび横浜のS君が10月に結婚されるとのこと。金沢在住ネコさんのところは5月に二世(子猫)が産まれる予定。

お祝いは新郎と「対決列島」で思い出に残る祝賀会を催したいものです。

昨年は災害などで暗い話題が多かった中、パートナーとの絆を考える人が増えているといわれる。現実に私の周囲でもめでたい報告をよく耳にする。


缶コーヒーのオマケ。
蒸気機関車C62とD51。2つ並べて重連!?

S君はこれから重連運転になるのでしょうね。お幸せに♪

私の場合は推進運転になっていますが;
| Rail&Hand | - | 22:50 | - | - |
一日入園×buildingバッグの手仕事
妻です。

早いもので、四月から息子は幼稚園入園。

今日は一日だけお母さんと少し離れて園生活を体験する、一日入園の日。
朝から雨だったので、娘を送り届けると同時に息子も合羽を着せて連れて行き、そのまま半日園児と同じように過ごしました。


ひな祭りの歌を歌ったり、人形劇を見たり、年少児とふれあい遊びをしたり・・・・。

遠くから息子の姿を探すと、すごく不安そうにきょろきょろしながら年少児と触れ合っていました^_^;。
幼稚園では「小さい組さん」の年少児も、さらに小さい未就園児と触れ合うと、一気にお姉さん、お兄さんです。

二年前は、娘が同じように年少児と手をつないだままこちらを振り向きもせず行ってしまい、妙な寂しさと成長を感じて涙したのを思い出します。

背中に息子、お腹に娘を抱いて、悪戦苦闘してきた四年間。

そのドタバタの借りを返すかのように、娘の入園後、息子と思いっきり抱きしめあった二年間。

人形劇とふれあい遊びが終わった途端、私を探してお膝に乗りに来る
、甘えん坊の息子ですが・・・・。

おやつの時間になり、紙コップにカルピスを注いでもらい、それすら飲んで良いのか戸惑って私の顔を確かめていました。

「入園、不安になったかな?」
「幼稚園、行きたくないって言うかな・・・?」

と思いきや、帰り道ではずっと大きな声で歌いながらかけて帰ってきた息子。
いつも言う「ボクもうホネが折れちゃったよぅ・・・!ママだっこ!」も言わずにちゃんと歩き通しました。

どうやら今日は楽しかったようです。

ドッキドキのようちえん。
桜がさいたらようちえん。


うれしさたっぷり。寂しさはほんのひとさじ。
春が来ます。

building Japan!のトートバッグを作りました。
写真は一部ですが、全部で6枚縫いました。


もちろんデンシャ好きな男の子のレッスンバッグにも最適ですが、大人が使ってもサマになるリネン100%のバッグです。

底部分のみYUWAの「ベルリンマップ」という地図柄を重ねた二枚仕立てです。

デンシャには地図柄、よく合うな〜。
| Rail&Hand | - | 22:19 | - | - |
復活への記録〜初日
と、いうわけで姫路文学館「東北の鉄道写真展〜復活への記録」足を運んだ。

仕事じゃないの?いえいえ、本日はちょうど姫路市内での所用、少し早く終了したので閉館まで間に合ったということ。決してサボッていません。
すでに広田さんは帰京されたあとだった。

会場全景。会場内の撮影は広田泉さんのご厚意により自由。「ブログなどでPRしてください」とある。


津波に呑まれた駅。


いっぽうで、笑顔で希望のメッセージを掲げる鉄道員の方々。指は「北」を差しているという。


JR貨物の協力により、復旧への道のりと被災地への物資輸送をパネルで紹介するコーナーがある。ここには東北地方を走る貨物列車の模型もある。(画像がブレてますが;)


鉄道は地域の大切な足。お年寄りや学生はもちろん、自動車を失った方も大勢いる。過疎化に加え、大災害で地域の産業は衰退、観光客も激減する。鉄道の復旧がすすまないと、厳しさに拍車がかかる。
過酷な現実と、前に向かって立ち上がる人たちの姿が静止画に刻まれている。それは広田さんの目線。
閉館前の館内は私ひとりになり、目頭を押さえずにはいられなかった。


今日から3月。この辺りは春を思わせるような陽気となったが、東北地方の春はまだ遠い。

まもなく未曾有の大災害から1年。

目に焼き付けておきたい展覧会です。


開催期間:本日〜25日(入場無料)




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