Zakkan (雑感)

趣味の雑感。
夏の終わり
24時間テレビの「サライ」が流れると夏はいよいよ終わりだと感じさせる。

過ぎ行く夏を偲ぶ図。
信越本線・鯨波付近にて。(1996年7月撮影)
その当時、海岸の絵を描こうと取材に出かけたが電車に目が行ってしまった結果、中途半端な鉄道写真になった;
ここも新潟県中越沖地震の被害を受けているはずだが、今年は賑やかな夏が戻ってきたのだろうか。



| Rail&Hand | - | 20:12 | - | - |
勇退
今朝は踏切障害で電車が遅れ、途中駅で足止め。始業に間に合わなかった;
何と隣りのホームには寝台特急「はやぶさ」が待避していた。熊本、大分を発ち、関西を未明に通過する東京行だが、昨夜の東海地方の大雨の影響か途中で運転を打ち切ったようだ。
今や最後の九州方面の寝台夜行列車。来春には廃止されるようで、生で見るのはこれが最後になりそう。停車時間が延びて思わず撮影。
何処で聞きつけたのか「三脚」もいる…。
乗客を降ろして静かになった車内。歴史ある夜行列車も足の速い通勤電車に追われながら去っていくようだ。



10時ごろ、上司に呼ばれた。

「皆にはまだ話してないけど、ワシは3月で辞めるからアンタには話しとく。この10年、公私ともに本当に世話になってありがとう」

以前から聞いていたが改まっての話だった。

「あんたは、人に上手する(媚びる)こともなく、他人を悪く言うこともなくやっているから、今まで通りのペースでやればええ。今度来る人がどんな評価するかは分からんけれど、それは別として、あんたは今まで通りの、あんたの仕事をしたらええ。次の人にはきっちり話すから。あと半年、上司部下ではなく、身内の気分でいるからよろしく頼むわ」

この方には大変お世話になった。自分から見れば祖父に近いくらいの年齢という理由もあるが、昔気質な性格ゆえに入社2、3年はよく叱られた。その甲斐あって非常識な私も目上の人に仕えることの礼儀や社会通年を多少は身に付けることができた。人間、打たれることを知らなければ進歩しない。いちいち傷ついて起き上がれない人はそこで止まってしまう。
育ててもらった恩人であり、私の身を案じてくれているので応えなければと思う。しかしこの方がいなくなると、申し訳ないがやっぱり自分の去就をいつも考えてしまう。このままで良いのか。私が居る意味も薄らいでくる。

「これからいろいろ難しくなるで。このままやったら危ないのは分かっとる。言いたいけど年寄りがうるさい思われたら嫌やし、身を引く立場やから何も言わん。もう若いもんの時代やから。まあ、もう少しワシが若かったらあんたを立ててやれたけどな」

私が勤める会社そのものの世代が代わり、めまぐるしく変化している。
上司は未来を案じながら、時々振り返りながらゆっくり去っていくようにも見える。
先ほどの寝台特急と重なった。

| Rail&Hand | - | 22:26 | - | - |
ひつじのショーン


NHK教育、毎週木曜19:00〜「ひつじのショーン」
これがまた面白い。録画して一家で見ている。大人も楽しい海外アニメ。

乳幼児がいると受信料の元が取れるくらいチャンネルを合わせてしまう。

「月九」なんてご無沙汰極まりない。10数年くらい前までは釘付けにさせるドラマが多かったように思う。今は漫画が原作の物が多く、脚本が枯渇しているのか。

| Rail&Hand | - | 21:24 | - | - |
新型車両
Fさんより鉄道の話題がメールにて届いた。
普段愛用している路線にも新型気動車が投入されるという。以前から耳にしていたが、JRのサイトを見て驚いた。

JRが発表したイラストによると、外観は新快速の223系を2ドアにしてディーゼルにしたような感じ。車内も似たような転換クロスシート。
ローカル線にすぐ手を抜く鉄道会社なので、中国地方のキハ120みたいなチープな車両かと思っていたが、結構近代的。9月下旬から試運転を開始し、来春に置き換えるらしい。キハ122・127という。

http://www.westjr.co.jp:80/news/newslist/article/1173812_799.html

でも・・約30年見慣れたキハ40系との別れはやっぱり寂しい。
川崎重工は電車しか作れないはず。やっぱり新潟トランシスで製造するのかな?

明日もキハで出勤。
| Rail&Hand | - | 23:50 | - | - |
ログ
勤務先にまとまった台数のノートパソコンが導入された。自分用にも支給され、メールアドレスも与えられた。経費削減を叫ぶくせに本部は無駄遣いばっかり。
とはいえこの時世に今まではパソコンの台数が限られており、使用中は空くのを待つこともしばし、だった。
今秋より導入されるシステムはこのパソコンを使用することになる。

A部長(例の富山県出身の人)より電話。

「今後はログを取りますので、皆に周知してください。悪質な場合は然るべき措置を取りますと」

ログ=通信履歴
つまりインターネットで遊んでいるとバレる。
業者に言わせれば、パソコンの多いところは管理が追いつかないので、実質は脅しだという。確かにそんな暇はないだろう。
しかし、肝心な問題を論じず、些細な事にこだわる会社なので要注意かも。

実際にこんなことが…。
ある休日当番の日、余りにも暇な午後だった。
怠け者の私は従来から設置してある共用パソコンでインターネットをしばらく堪能した。

翌日、メールで届いた画像データを印刷しようと開いたら、パソコン本体に入っている画像一覧が出た。

髭も凛々しくEF58形電気機関車が現れ、これは焦った;履歴を消すだけではダメだったか…。

幸い今回のネットワーク外のパソコンだったが、こういう事はログ取ったらバレる。ましてや、オークション>鉄道>模型など一目瞭然;

会社はネットカフェじゃありません。真面目に仕事しましょう。

| Rail&Hand | - | 20:45 | - | - |
フィナーレ
オリンピックが終わり、朝夕も涼しくなり夏の終わりを否応なく感じるこの頃。

昨日の男子マラソン・最下位でも完走した佐藤敦之選手。

子供の頃のマラソン大会を思い出す。昔から運動の苦手な私はいつもビリで、最後にゴール、或いは最下位を避けるためにラストスパートをかける「デブダッシュ」が待っていた。
皆が待ち受けるグランドで、それは本人達にとって惨めで屈辱極まりない。
以前も話したが、高校の時は、その凌辱に耐えられず、笑いを取るしかないと判断。そのまま「欽ちゃん走り」(?)でトイレに駆け込んで失笑を誘った。(痛過ぎる…(>_<))
しかも無茶して足が吊って倒れたというオマケつき…。

しかし彼は最後まで走りぬいた。日本代表というプレッシャーを背負ったまま。
彼はゴール後、コースに一礼した。世界のステージで不甲斐ない思いをしているのは当人に他ならないのに。「スポーツマンシップ」とはこのようなものだと感じる。
私のような「デブ湿布」ではない

佐藤選手の完走はメダルのためのオリンピックではないことを教えてくれた、素晴らしいフィナーレ。


ところで、柔道の谷亮子選手。次回ロンドン五輪を目指して続投するらしい。
次の世代はうまく育つのか気になる。

長く現役で頑張るのは素晴らしい。しかし、体力あってのスポーツの世界。アーティストとは異なる。
若い頃、何かに突出すればチヤホヤされるのが人の世。ましてや才能というものは若いほど注目される。
しかし、男女共通してそこそこの歳になれば家族が増えて、自己研鑽を中心とはいかなくなる。
稼業はほどほどに、子供の人生がある程度優先されるのではないか。普通に会社員として働く母親と異なり、はるかに無理があると思う。うまくいけば案ずることはないが。金銀銅全部持ってるからいいじゃん。子供はそれだけで充分誇りに思うよ…といのは凡人の考えか。
特に我が家は同時に何でも出来ない不器用な人間同士なので尚更感じる。ちなみに洗剤の「金・銀・パール」のパールすら当選したことがない。

この先も谷亮子だけに頼るわけにはいかない。今の柔道連は、いつまでもシドニー・アテネの世代に頼らずに次世代を育てるのが急務。頑張れば報われる環境を整え、実力で頂点に立つ次のヤワラちゃんを発掘しなければならない。
こんどは原作に近い人をね(猛毒)

| Rail&Hand | - | 21:11 | - | - |
Gunny(ガニー)

「靴買ってよ」

「え〜また?」

私は靴の減り方が極端で、外側だけ摩耗が恐ろしく早い。外股ゆえに。そう、Gunny(ガニー)である。

妻に言わせれば私の靴は値段に関係なく減るという。靴で歩くのは通勤だけなのに一年持たない。勤務先では上履き。
今回の革靴は穴が開いた。

参考までに写真上側は底の硬い重たい靴で、これは長持ちしたが、芸術的なカーブを描いた摩耗で、勤務先の靴箱で私の靴を見た同僚が驚いた位。

山手線の電車はグルグル回っているので片方の車輪が減るという。時々、工場で検査の際に左右入れ替えるという話を聞いたことがある。
私の靴底も左右入れ替えできたら長持ちするのに…等と思ったりする。

革靴ならまだ良いが、その昔、流行ったNIKEのエアシューズ。外側が摩耗してパンクさせたことがある。中に石が入ってカラカラ鳴った。まさにGunnyの実力。
| Rail&Hand | - | 20:22 | - | - |
夜のお楽しみ

今夜こそは・・。先週は自分も疲れて寝てしまった。
皆が寝静まった後、模型列車で遊ぶ。

新潟色の115系電車。青・白・赤トリコロールの旧塗装と白地に緑ラインの新塗装。
やはり新潟にはトリコロールの旧色がよく似合う。はじめて見たときは興ざめしたが、モノトーンの冬の大地に存在感があった。初夏、鮮やかな緑に映える色だった。自然の彩色が豊かな土地のセンスなのか。見慣れると好きになった。ドラマ「高校教師」(1992)「夏子の酒」(1993)にも出演した由緒ある電車。
この塗装は1995年頃に塗り替えが完了して姿を消した。ディーゼルカーでは今日も健在。

製品について、特に旧塗装は西日本ではさっぱり売れないらしく、発売から1年ほどで投売りされていた。しかも3,4,5両セット3種類もあり不良在庫だらけ。企画倒れなのかもしれない。

どうせ売れ残るから待っていれば安くなるという予測は当たり、喜んで飛びついた。気が付けば新旧合わせて10両になっている。
そりゃ新潟限定の電車に喜ぶ兵庫県民は私くらい。

10両編成が駆け抜ける。ちなみに新潟地区のラッシュ時の最長編成は9両とのこと。

我が家の趣味にかける情熱はおカネ以上です。
| Rail&Hand | - | 02:47 | - | - |
ピンクの手仕事二種

妻です。

こんなカットソ―作ってみたした。
流行ってるんですね?ドルマンスリ―ブってんですか?脇の下にしまりのない、この袖のデザイン。別名マンタニットって言うんですって。
着たらこんな感じ。

シンプルだけど、ちょっと私、オトナじゃないですか〜?( ̄―+ ̄)ニヤリ。


もう一点。
胸元にタック(布を折り重ねて作った飾縫い)が入ったブラウス。
この服地は、シースル―素材をべースに、サテンリボンを織り込んだとってもキュートな素材です。
まるでサテンリボンを着ているみたいで、ちょっと「女子」になった気分です。

最近では、服を買うより作る方が多くなってしまいました。
確かに買うより安く作れるけど、その布代の分、既製品の洋服を買うかと言えば決して買いません(-"-;)。

我が家は夫婦で趣味にかけるお金が多いんですね。昔っから。

| Rail&Hand | - | 08:02 | - | - |
進行?


もうすぐハイハイできそう。お尻で前進。
久し振りに登場のボクはテレビっ子。

| Rail&Hand | - | 21:17 | - | - |
これが例の…

Fさんスナック。
よく見ると可愛いので飲み屋で人気者になるかも?

カマンベールチーズが苦手な私を横目に、妻と娘はFさんをポリポリ食べ、息子は自分も欲しいと手を伸ばす。まだ歯が生えてないのに。

「美味しい!」

「おっちゃんのお菓子おいしいね」

「んば〜」

それはFさんに失礼やろ;教えたのは私だが…。

| Rail&Hand | - | 22:08 | - | - |
晩夏
高校野球は大阪桐蔭が圧勝し優勝。オリンピックに押され、いつ試合やってんだか今ひとつ目立たなかった。まあ、注目の地元校があっさり敗退してから気に留めなくなってしまった感があるが。

今日は県からの立入検査。無事終了してやれやれ。こうして夏の終わりを実感しつつある。そして日が短くなったのがよく分かる。

近頃、鉄分が足りない。知人の四国旅行の話など聞くにつけ、何処か旅行したくもなる。そうもいかないのが現状。
それで、模型に負荷がかかる。買ってもたいして走らせないHOゲージ。新品はめったに買わない(買えない)が、コツコツ集めていたらあと1両で100両に達する。これもネットで市場が充実したおかげ。
さて、記念すべき車種は何になるか・・。相変わらず懐は極寒なのでしばらく足踏み。
| Rail&Hand | - | 22:56 | - | - |
ぶどう狩り

勤務先の家族向け行事、ぶどう狩りに参加する。私は役員なので当然参加。娘と二人で出かけた。

加古川市上荘町・見土呂観光果樹園。加古川といってもかなり北部。

同僚N君のところのMちゃんは久しぶりに会う。ずいぶん大きくなった。もう2歳。
1時間位で娘は周囲に慣れ、いつもの調子になった。小石を投げて遊んでいるとMちゃんも真似をする。

「んも〜イチゴのほうがいいの。あのね、ニイガタばあちゃんちでイチゴ狩りするの!」

会長Kさんに訴える。Kさん一行は苦笑。こんどは、

「あ〜すみません!」

「“すみません”って家でお父さんが言ってるの?」

「いや、そんなことはないですよ・・」

しかも自作の唄まで披露していた・・。


昼になり、ぶどうばかり食べられないので辞すことに。
皆と別れ、加古川を渡り、稲美町を横断し、神戸市西区にあるジョーシンアウトレット岩岡店に寄ってから帰宅することに。同店近くで昼食を済ませてから・・。
キッズスペースで散々遊ぶ。滑り台とかボールプールがあるので1時間近く居ただろうか。オモチャは要らないという。この親にして何という物欲のない子。結局、親が欲しいものだけ買うことになる;(6割引だし)

とまあ家族サービス?に徹した1日。家に着いたらすでに夕方。
妻も息子と二人、家でのんびりできたらしい。

残暑厳しいぶどう畑、すでに蝉時雨はツクツクホウシになっていた。

| Rail&Hand | - | 17:28 | - | - |
束の間の盆休み

昨日の話。
15日は休み。お盆ということで、朝から墓参りに行った。
今年は妻の実家に参ることが叶わなかったので、今秋は必ず行きたい。寺の境内にある墓地なので手入れは行き届いているようだ。ちなみに同じ宗派でもロウソクの太さが東西日本で異なるというのが風習の違いかも。

実家に客人がある訳もなく、せっかくの休みなので何処かへ行こうということにした。
私は普段乗らない新車を運転したいので、鳥取まで行って日本海でも見ようかと思ったが、何せ家を出たのが遅かった・・。しかも渋滞に巻き込まれてすぐに昼。娘が空腹を訴える。
結局宍粟市(山崎町)で昼食をしていたら2時前。鳥取は断念せざるを得ない。

「じゃあ煎餅屋さんに行こうよ」

生野峠の麓、「播磨屋総本舗」ここの煎餅は美味い。茅葺屋根の直売店がある。
宍粟からだと山を越えて、峰山高原を経由して寺前に出る道か。
いつの間にか後ろの娘・息子・妻は寝てしまった。
田舎の集落も帰省してきた子供や孫で心持ち賑やかに見える。
ポルテは軽快に峠道を登る。1,500ccで正解。
寺前から播但線沿いに長谷を経由して生野へ。ここは36年ほど昔、蒸気機関車の撮影で賑わった場所。ここを走るのは約8年振りかも。

朝来町入り、峠を下ると茅葺屋根が見えた。しかし子供等は寝ている。やむなく私一人買いに行く。結局生野まで煎餅を買いに来ただけになった;

帰りは国道312号ではつまらないので、市川右岸の播但線沿いを走る。気が付けば寺前以南が電化されて早10年。

お、特急「はまかぜ」。轟音とともに走り抜ける。運転中では撮影もままならない。あの色になってから見向きもしなかったが、最後のキハ181。久々に播但線沿いを車で走って「はまかぜ」もいいなと思ったり・・。HOゲージにもなってるし。12年前に乗車して以来、利用していない。

過ぎ行く夏の空気を感じた久々のドライブだった。
| Rail&Hand | - | 20:56 | - | - |
ABCの本

妻です。
アメリカに住む親戚から、ABCの本を頂きました。

先日娘が独り言を言いながら、その本を読んでいました。
…ン?!
日本語も読めない娘に英語の本が読めるのか?!
よく聞いてみると…


Z…zebra

「シマウーマン!」

V…vase

「カァ〜ビン!」

ぎゃはははは\(≧▽≦)丿!!!

P…pig
「ブゥタク〜ン!」

エセ外国人のなんちゃって英語!!

私が以前それっぽい発音で(もちろん英語で)読んだのを真似て、絵から判断して適当に読んでるらしい。

傑作なのが
“W…wheel”
いわゆるタイヤですな。


「イィチリンシャ〜!」



…一輪車。


ぎゃははははは!!!
。°・(≧▽≦)・°。
今英語を習わせたらよく覚えるでしょう。
| Rail&Hand | - | 11:10 | - | - |
夏のシグナル


妻の実家から届いた旬の農産物。
トウモロコシ・枝豆・桃。信号機のような3色は夏のシグナル。
「注意」「進行」でビールが加速する。「停止」はデザート。
第1閉塞進行!

♪やめられない止まらない〜私んちのマメ

と義母が唄っていたというのも頷ける。

ワタシはお盆も15日以外は仕事。通勤電車も道路も空いている。

| Rail&Hand | - | 21:03 | - | - |
今日のチーズくん

妻です。

今日のチーズくんはこんなお顔。
気の優しい「高畑さん」みたいですな(アニメ、エスパー魔美より)。
個人的にうちの主人は「高畑さん」に似ていると思うのですが。皆様、どう思われます?!
| Rail&Hand | - | 08:08 | - | - |
私の夏〜1993〜PART4
1993年・九州の旅 PART4(完結)

8月5日。宮崎・日南線を旅する。「ドリームにちりん」で宮崎に到着した朝、日南線に乗換え。日南線は海沿いを走る観光路線。
まずは青島駅で下車。

青島神社と「鬼の洗濯岩」を見物。1970年代は新婚旅行メッカだった宮崎。今でこそ東国原知事で有名になったが、当時はどことなく寂れた時代遅れの観光地だった。

再び終点、志布志を目指して南下。しかし日南線は油津から先が土砂崩れで不通らしい。どげんかせんといかん。
ここまできて引き帰すのは悔しいので、代行バスに乗り換えて志布志を目指す。油津駅前にて。
JR九州バスは真っ赤なバスが幅をきかせていたが、まだ地方では国鉄塗装のモノコックボディのバスが活躍していた。(日野REとかRC?)


志布志に到着すると、宮崎へ戻れなくなった気動車たちが休んでいた。


国鉄末期までここから都城へ志布志線が出ていた。バスで都城へ抜け、日豊本線で鹿児島へ。市内の温泉でひと風呂浴びてから「ドリームつばめ」で博多へ戻り、翌朝帰路につくことにした。
もう1週間以上九州をウロウロしており、その半分以上が車中泊。いくら快適な787系つばめ車両とはいえ、そろそろ限界。

都城は雨。列車は遅れを増幅させながら鹿児島を目指す。雨はますます激しくなり、もう外は歩けそうにない状態。


ここからが運命の分岐点だった。

夜、西鹿児島駅に到着したものの、熊本・博多方面の鹿児島本線は運転見合わせ。今のところ鹿児島から博多方面の列車が出る保証はない。このまま宮崎へ引き返すか、鹿児島市内に宿泊して翌日帰るか悩んだ。
駅で過ごすことしばし。日豊本線の宮崎行最終普通列車がある。前年まで運行されていた急行「日南」の名残り。しかも貴重なED76牽引の12系客車列車。これで宮崎へ引き返すことにした。遅れに遅れて入線。疲労と夜と雨で写真どころではなかった。結局徐行と停止を繰り返し、なんとか宮崎に到着。それでも接続する「ドリームにちりん」は待っていてくれた。

志布志の写真の日付が8月5日となっているように・・

翌日6日、日豊本線・竜ヶ水駅(鹿児島から1つ宮崎寄りの駅)で、列車が駅ごと土石流に呑み込まれ、海に投げ出されるという大惨事が発生した。(近年、○ロジェクトXでも取り上げられた)
もしも鹿児島に宿泊して、翌日、日豊本線で戻っていたら、あの土石流に巻きこまれていたかもしれなかった。

翌朝、小倉に到着。山陽本線も運休が出ているので、小倉から新幹線を利用して家路につくことにした。この災害を知ったのはその帰り道だった。
S君達は鹿児島でレンタカーを借りて桜島周辺をドライブすると聞いていた。携帯電話も普及していなかったこの時代、安否確認が取れずに戸惑った。結局、道路が川と化した鹿児島で身動きが取れなくなり、返却を1日サービスしてもらったと後で聞いた。


ともあれ、あらゆる出来事が初体験の旅。18歳〜私の夏〜だった。この夏は集中豪雨と冷夏で米不足が深刻化した年だったのを記憶している。

森高千里の「私の夏」を耳にすると、この九州旅行を思い出す。
1993年の夏は1度きり。この先の人生、もう訪れることがない。


私の夏〜1993年〜(Fin)
| Rail&Hand | - | 21:26 | - | - |
私の夏〜1993〜PART3
1993年・九州の旅 PART3

8月3日、今度は長崎県・島原温泉で合宿がある。2ヶ所とも参加するのは私くらい。ちなみに1日は当時広島に住んでいたの友人に会うため、一旦九州を脱出した。

2年前(1991年)の普賢岳の噴火で観光客が減少した島原。島原外港駅近くの温泉宿。我々は歓迎で迎えられた。(肝心の島原鉄道の写真が見当たらない・・)
その島鉄も島原外港より先の区間が廃止されてしまった。あのとき乗っておけばよかったと後悔。
翌4日、みんなで島原外港からフェリーで三角へ渡り、再び熊本へ行く。水前寺公園を散策した後、鹿児島へ行くというS君達と別れる。私は時間つぶしに上熊本から熊本電鉄に乗車。終点御代志にて。



同鉄道の主力は元東急・5000系。今は新しい中古車(変な表現)に置き換えられていることだろう。後方の車庫に元東濃鉄道?の旧型電車が見える。そんな歴史のある車両とはこの時は全く知らなかった。


それでも時間があるので藤崎宮なども見学した。とにかく暑い1日だったのを記憶している。市内でラーメンを食べたら余計に暑くなった。

特急「有明」で博多へ戻り、再び夜行列車で宿泊。
南宮崎行「ドリームにちりん」に乗車。“ドリーム”は特急「つばめ」に使用される新鋭787系特急電車で、ホテルのロビーのような車内は快適。こんな夜行はありがたい。昼間はビュッフェもある。
新幹線に「つばめ」の名を譲った現在、「リレーつばめ」として活躍している。
JR九州の特急列車は洗練されたデザインや車体のあちこちに描かれたロゴマークが印象的だ。しかし、駅設備などは国鉄時代のままで、経営基盤の弱さが窺える。何故かカメラを向けるのは旧態然とした車両や風景だったりするアマノジャク。
| Rail&Hand | - | 21:24 | - | - |
私の夏〜1993〜PART2
1993年夏・九州 PART2

日付は変わって30日、鹿児島へ。快晴で、これから豪雨が襲うとは夢にも思わなかった。
指宿枕崎線で日本最南端の駅・西大山と終点枕崎を目指す。
西鹿児島から指宿枕崎線に乗車。黄色い快速「なのはな」快適なディーゼルカー。山川から枕崎行に乗換え。くたびれたキハ58系。ここから先は極端に列車本数が少なく、いよいよ本番のようだ。
山川を出ると乗り心地が悪くなる。
薩摩半島を約半周する同線は、途中の西大山駅が日本最南端となる。
ここで途中下車しては、次の列車まで2時間近く待つことになるので、一旦終点・枕崎まで行くことに。

枕崎駅。南国ムード漂う風格ある駅。1984年まで、ここから伊集院を結ぶ鹿児島交通の鉄道線があった。駅舎は鹿児島交通の所有。自社のバス待合室として引き続き使用されており、駅舎内は真っ暗で自動販売機の照明が唯一の灯りなのには驚いた・・。
現在この駅舎は解体され、JRは駅を新築する訳もなくホームに簡単な屋根が付いたバス停のようなあっさりした終着駅となっているらしい。


枕崎駅待合室より。ホームと線路1本だけの閑散とした構内に、何故か自動車が置かれている辺り、人の動きものんびりした南の果てという印象を受ける。改めて見ると気に入ったショット。


枕崎から引き返して日本最南端の駅、西大山駅で下車。背後に開門岳がそびえる定番の構図。
周囲は畑で何もない。マニアによる駅ノート置かれていた。
沖縄モノレールが開業した今日、同駅は「日本最南端」を返上し、「JR最南端」の駅となった。
山川以南は昭和30年代に開通した比較的新しい路線だが、老朽化した無機質なコンクリートと鉄骨の駅施設などが、かえって哀愁を誘うものだった。


| Rail&Hand | - | 21:09 | - | - |
私の夏〜1993〜PART1
1993年7月28日〜8月7日 九州旅行の思い出。

♪きれいな海を見ながら〜1日中寝ていよう〜
という森高千里の曲がヒットしたのは1993年・夏。
同年、森高の出身地・九州にて夏合宿が敢行された。2泊の合宿と同時に、周遊券を活用して九州各地を回った。
この頃は九州島内を結ぶ夜行列車「ドリームつばめ・にちりん」が運行されており、周遊券を持つマニアは宿代わりに利用できた。夜、博多駅で待っていると誰かに会うような具合だった。若さ故できた業。

この旅はワイド周遊券をフル活用した初の1週間にわたる長旅で、初めて尽くしの上に、1993年の九州は集中豪雨が直撃し、各地で足止めを食らう前代未聞の旅となった。
その模様を数回に分けて再現していきたい。


7月28日、夜行快速「ムーンライト九州」で九州入り。当日は熊本・阿蘇で合宿。夕方、豊肥線阿蘇駅前集合なので、同線を運行する蒸気機関車8620を見て、南阿蘇鉄道に乗車した。阿蘇は土砂降りで沿線で撮影どころではなかった。やむなく熊本と立野で見ることとした。

熊本駅に停車中のハチロク。停車中の豊肥線車内より撮影。デッキ部分が赤いのは妙だが、ヨーロッパの機関車みたい。前年までは車体が緑色に塗られ、ダイヤモンド煙突とカウキャッチャーまで付けられており、ファンの苦情が殺到して門鉄デフに戻したとか・・。
その熊本駅も、今は新幹線の工事で後方の機関区設備は全て撤去されているはず。


立野駅に停車中の南阿蘇鉄道のトロッコ列車。雨でずぶぬれになるので後方の気動車に乗車した。高森まで往復。

日本有数の高さを誇る白川鉄橋(?)を渡る。


この日は阿蘇駅前にて宿泊。
| Rail&Hand | - | 21:38 | - | - |
ボクには金色に見える
北京五輪の女子柔道。

「ママでも金」宣言、注目の谷亮子はドゥミトル(ルーマニア)との対戦で、反則(指導)を取られ、銅メダルという結果に終わった。残り時間わずかで、谷だけに反則が取られたのは厳しい判定にも見える。まるで甘くはないゾと言っているかのようだ。
それでも5回オリンピックに出て金・銀・銅、全部メダル貰ったからスゴイ。全部持ってる人はいない。

何よりも素晴らしいと思ったのは、プロ野球巨人軍選手の夫・谷佳知の

「僕には金色に見える」

というコメント。まさに夫人を思いやる愛情。
野球選手といえば“美人アナウンサー”や“モデル”等と所帯を持って、あとはひたすら自己の野球に研鑽する人が多い。
そんな谷佳知こそ、夫婦アスリートとして、いろんな“意味”を含めて他の野球選手にはなかなか真似できない偉人だと感じる。ええ旦那さんやないか〜。(野村監督の次くらいに立派)

最後に、私と1歳しか変わらない亮子さんに後援会は「YAWARAちゃん」という表現をそろそろやめたほうがよろしいのでは?等と思ったり。
ともあれ、大健闘お疲れ様でした。


ちなみに谷家の息子さんは娘と同い年。柔道と育児に追われる母、これでオムツが外れていたらたいしたもんだ。

「銅でも金のオモラシ」

だったら少し安心かも?
| Rail&Hand | - | 02:17 | - | - |
開幕
北京五輪が開幕した。
義父に病気の疑いがあったらしいが、受診の結果、事なきを得たとのことで一安心。
というわけで一息つく。
妻と子供達が寝たあと、居間に線路を敷き、オリンピックを見ながら発泡酒片手に模型車両を走らせる。こうして自宅でまともにHOを走らせるのは4年ぶりかも。
この部屋は日中、娘と息子が散らかし、食べ、泣き、オムツを替え、寝転がってテレビを見て占領している場所。今夜は私が拝借する。
やっぱり1/80は縮尺が大きい分、床上でも見ごたえがある。



北京五輪にちなんでいないが、線路は中国製・バックマン製品。
以前、格安で入手した車両付入門セットにパワーパックと線路一式付いていたもの。(線路代にもならない値だった)
この線路システム、EZトラックという。EZウェブではない。
画像の曲線は22”なので約R560になる。
特に凹凸のある床面に敷いたとき、洋白100番の太いレールと分厚い道床で、固定軸間の長い、重たい機関車でも安定した集電が期待でき、高フランジの外国車両も安心。(KATOはだいたい86番)
ジョイントはKATOのユニトラックよりデリケートかも。
昔のTOMYのやつは実家に置きっぱなしのため、パワーパックもバックマン。これはアメリカ向けだが、コンセントの形状は同じでアメリカは120V、日本は100Vなので問題ない。

5〜6両編成がカタンコトン音をたてて走る。狭い我が家ではこの程度の面積が限界かも。やっぱりユニトラで最初にR550を考案したKATOはスゴイ。

このEZトラック、国内では車両付入門セットの付属品程度で分売は見かけない。シェアは皆無に等しいが、バックマン中心に扱う某通販店が取扱いを検討中とのこと。
他にも曲線はR381〜R900まで計7種類、ポイントは4,5,6番とYポイントの5,6番などがあるらしく、KATOより安かったら大いに検討したいところ。これで手持ちの線路が無駄にならない。
結局、まともなHO線路を所有していないだけだったりする。(一応ユニトラックは少し持っているが・・)

こうしてオリンピックとともに夜はふけてゆく。
| Rail&Hand | - | 22:37 | - | - |
ラップ&オハフ
「あれ。ラップないの?」

「ごめん。切らしちゃったの;」

仕事帰りに私が買ってくることになった。
姫路駅で下車し、駅前のドラッグストアに寄る。2個ほど買っておこう。

この細長いラップの箱、手ごたえはまるでHOゲージの車両みたいだ。
最近、横になったら気が付けば明け方で、夜中に趣味を・・と思っていても思うようにいかず鉄分不足。禁断症状が出ている。

乗換え時間があるので久々にT模型でも覗いてみようか。
T模型は老舗。昔は駅ビルと商店街にあったが、2001年頃よりフォーラスビルに入居。
ガラス棚のHOゲージを眺める。買えないので目の保養。
棚の下に目を向けると・・KATOのオハフ33(青)がある。
そういえば手持ちの旧客編成にオハフがなかった。しかもオハ35、オハフ33は稀少品でオークションでも人気。下手すりゃ新品のほうが安い。
しかも15%引だし買っとこう。客車1両ならいいだろう。懐かしい茶箱。

というわけで箱が計3個になった。帰宅後、ラップと一緒に台所に掛けっぱなしにしていたら・・

「何これ?」

私が中身です。


ここからが本題?
そういえば幼少の頃、このような青や茶色の旧型客車に乗った。
すでに旧客末期で、津山行1往復だけ残っており混色で編成美の整わない旧客は、新鋭の赤い50系客車の中では見劣りした。後者のほうが少年時代と重複する訳で付き合いは長い。

しかし、旧客の印象は大きい。模型の世界でもこういうものに興味が沸く。
1980年頃だったと思う。我が家にはクルマがなかったので、姫路市内へ出かけると15:30頃の津山行普通列車で帰ることが多かった。それが旧客編成で、6〜7両つながっていて確実に着席できるからこの列車だったのだろう。DE10の後ろに青や茶色の編成が連なる。10年ほど遡れば蒸気機関車・C58辺りが牽いていたのだろう。

青い客車のほうが高級感があったので、私はそちらを好んだ。今なら茶色を選ぶかもしれないが。スハ43なんて高級車は、北陸や東北でまだ一部の急行に使用されていた時代。姫新・播但のようなローカル線はほとんどがオハ35系列だったと思う。さすがに背もたれが板張りのオハ61には乗ったことがない。80年代ではさらに格下路線向きだったのかも。
この手の客車は手動ドアなので走行中も開閉できる。夏は開けっ放しで走っていた。
停車直前に飛び降りる兄ちゃんもいたが、今では考えられないこと。

この時代、汽車のドアは走行中に開けるものではないという常識があった。まあ、自動車と同じ考え方と思えばよい。
現在も保存運転のため、JRに数量の旧型客車が残されているが、走行中はドアロックがかかるように改造されているらしい。
たしかに現代人にはまさかドアが開くなんて分からないだろう・・。

蒸気機関車の保存は勿論大切だが、その後ろに従って戦前・戦後を運んだ「ハコ」も立派な産業遺産といえるだろう。
| Rail&Hand | - | 06:08 | - | - |
チーズくん

妻です。

久しぶりに主人を迎えに行くと、娘に
「ハイ。おみやげ!」
見ると、娘の大好物のチーズがどっさり!

娘は嬉しそうに皮をむくなり、
「わぁ!!見ぃて!!こんなお顔だった!!」

ニッコリかわいいチーズくんでした。
| Rail&Hand | - | 20:41 | - | - |
おむつ外し奮闘記
妻です。

今年も来ました。おむつ外しの夏…。。。(〃_ _)σ‖。

娘も七月で3歳。体の機能的にも、そろそろ排便は自立しても良い頃。

実際、同年代の幼児の集まる「はつらつセンター」では、おむつ外しの話題でもちきり。トイレはトレーニングパンツを穿いた二〜三歳児で混合います。

数週間前に会った七月生まれのなっちゃん。
「うち?全然だめ!犬飼ってるから犬がマーキングしてぇf^_^;」
と言ってたのに。
つい先日。
「十日で取れましたよ。近所のお姉ちゃんに励まされたら。」

こないだ子育てサークルで会った五月生まれのこうくん。
「うちなんかとっくに三歳なのに!私昨日トレーニング始めたの。出ても全然言わないの!」
一昨日、
「一日で外れたよ。」

一番私を焦らせたのは、娘と誕生日が三日違いのゆうくん。
「ぜんっぜんだめ!」数週間前家に遊びに来て、娘がトイレに行く姿を見てお母さんに促され、拒否していたのに。
つい先日再び我が家に遊びに来て、「母ちゃん!おしっこ。うんち。」



Σ(T▽T;)グワーン!!!


みんな…。
みんな……!!!

マラソン大会で「一緒に走ろうね!」と言ってたくせに!
ゴール目前でラストスパートをかける裏切り者みたいやんか〜!!

ま、待ってぇ〜!!!

娘ですか?
今日無理矢理トレーニングパンツ穿かせて外出したら、三回漏らしていました。。。(〃_ _)σ‖。

いいのだ。
来年四歳の夏でもいいのだ。
膀胱かつやく筋が発達したらゴールインするのだ。
マラソンはゆっくり走ったらいいのだ。
必ずゴール出来るのだから。
| Rail&Hand | - | 17:29 | - | - |
頭足人

娘が描いた私の顔らしい。
いわゆる「頭足人」で、殴り書きの線画からこういうものを描くようになったというのは大きくなった証。

昨夜、私が飲んだくれている間の作品とのこと。
| Rail&Hand | - | 22:23 | - | - |
納涼談話
Tさんに依頼していた件があり、仕事帰りに夕食を兼ねて飲んだ。
例によって飽きもせずに鉄話。日頃、話し相手がいないので愉快極まりない。

で、皆それぞれの立場で悩みを抱えて日々過ごしていることも感じる。ワタシだけではない。

そして、Tさん行きつけのスナックで、ツマミに出たチーズクラッカーの形がFさんの顔に似ているということになった。確かに…。(画像はありませんが)
またFさんにも会いたい。等と思いつつクラッカーを口に運んだ。

| Rail&Hand | - | 23:48 | - | - |
これでいいのだ
2日、漫画家、赤塚不二夫氏が逝去した。
「天才バカボン」「おそ松くん」「ひみつのアッコちゃん」等、大ヒット作を生んだ。まさに時代の寵児で、このような方は現われないかも。

バカボンはギャグマンガでありながら感動的だった。
初代バカボンのテレビアニメ最終回は、天才赤ちゃん・ハジメちゃんの才能が見出だされ、一家はアメリカへ渡ることに。
バカボンは同級生の女の子が欲しがるギターを夜な夜な自作する。バカボンパパは日本の仲間と離れたくないと逃げ出す。
そして旅立ちの時、バカボンパパは目玉のお巡りさんに追いかけられて現われる。
一家は皆に見送られ(船で!)旅立っていく。

♪これでいいのだ〜

あのテーマ曲をBGMに。
たしかこんなエンディングだったと思う。
今頃、赤塚氏は雲の上でバカボンパパ達と、

♪都の西北〜バカ田〜バカ田〜

バカボンパパの母校、バカ田大学校歌を合唱しているのかも。パパの好物、レバニラ炒めを一緒に食べているのか。

赤塚不二夫さん、明るい笑いをありがとう。
| Rail&Hand | - | 06:52 | - | - |
好ゲーム
夏の甲子園。
2日目第4試合は、新潟県央工業(新潟)×報徳(兵庫)。

なかなかの接戦で、同点の9回裏、報徳がサヨナラホームランで制した。
初出場の県央工には失礼だが、強豪・報徳に叩きのめされるかと思っていたら、いきなり先制し追加点も加えるという大健闘。
このままでは草野球をしなければならないかも・・少し焦ったくらい。
しかし、報徳の底力を見せつけられる結果となった。
県央工監督の「勝てると思った」が印象的だった。

ちなみに県央工業にはブラスバンドがないため、妻の母校(三条東)の吹奏楽部が応援に駆けつけていたらしい。

熱い試合を見せてくれた両者に拍手を送りたい。
明日の「三條新聞」の見出しが少し楽しみだったりする。
| Rail&Hand | - | 18:59 | - | - |
旧暦の七夕会
今年も実家で七夕(なぜか旧暦で)

今年は笹飾りがグレードアップ。
祖母(80歳)による曾孫像。





なんとなく似ている。曾孫可愛さが伝わってくるような絵に心なごむ。
| Rail&Hand | - | 18:58 | - | - |
続・あの夏の花火


肝心の花火を忘れていた;
| Rail&Hand | - | 22:46 | - | - |
あの夏の花火

という名曲がある。花火を見るたび思い出す。

今日は地元の花火大会。ちなみに姫路市内で商工会議所青年部によるビアガーデンのお誘いを受けたが、やっぱり花火を優先。
ささやかな花火だが夏の風物詩。今年は娘を花火デビューさせることができた。さすがに息子は実家に預けたが来年は行けるだろうか。
そして母と子で浴衣。
ちなみに妻のは「10年先も着られますよ」という店員の謳い文句だったが、こうして10年経っても着ることが叶った。ちと感慨深い。
娘は上機嫌で、花火よりもアイスクリーム。両親は花火よりもビールだったのは言うまでもない。
20年前、夏季の営業時間延長で花火の帰りに寄り道した地元ジャスコ。今日、22時まで毎日営業のマックスバリュに変わった。(一昨日オープン)
時代は変わっても寄り道。

こうして今年も夏は過ぎて行く。


| Rail&Hand | - | 22:36 | - | - |
キトキト
ここ最近、本部にて新システムについて打ち合わせがある。

本部のA事務部長は私よりわずか1つ年上だが、婿養子なので実質的に発言力を持つ。将軍家光みたいに遠慮なく政を治めることができる方。
Aさんは温厚な口調の割に、近頃バサバサと改革を進めている。降格までも…。離れた事業所にいる我々は実態が見えないだけに恐い…。非常に頭の回転が早い方なのでついていくのが大変だ。

さておき、今日の打ち合わせが終わったのは17時半。これから自分の勤務先に戻る。

「帰るついでに駅近くまで送ってもらえますか」

私はAさんを送ることに。駅近くで別の会合があるらしい。
普段、仕事以外会話がないのでどんな方か分からなかったが…

「私は元々この辺の者じゃないので道が分からないんですよ」

「どちらのご出身ですか?」

「富山です」

「そうなんですか。私の家内は新潟なので富山を通りますし、新潟に居た頃は富山へよく行きました」

「あ〜それは奇遇ですね!私は富山と言っても西の田舎でして」

「どちらですか」

「庄川町です。今は砺波市に合併しましたが。家族もそこにいます。言っても分かんないだろうけど」

「福野、福光、城端のほうですかね」

「え〜!何で知ってんの?」

「福光に知人がいます。富山、高岡だけでなく立山町や滑川、魚津出身の者もいます」

「あ〜懐かしい地名!ちなみに私は砺波高校ですよ」

「キトキト※ですね」

「その響き懐かしいよ!」

等と思わぬところで意気投合。
仕事は相手を知ることから。しかも日本海側。北日本の方だと思うと親しみが沸く。
確かに頭のキレるAさんは勤勉な富山県民らしいといえばらしい?そういえばAさんは慶応大卒と聞いたことがある。砺波平野の西端から大変優秀な人だったと伺える。

Aさんへのガードが少し緩くなった気がする。甘んじてあまり失態を見せないように…

今まで出会った富山県民に悪いヒトはいなかったと思い出しながら…。
ただひとつ、Aさんがウサンクサイ営業担当者とベッタリしている点は他の職員の目に余るらしく、これは滑川のスネヲ氏の言葉を拝借して「小生、全く以て誠に遺憾と言わざるを得ない」

Aさんもお好み焼き「ぼてやん」へ行ったのだろうか。
ローカルコンビニ「チックタック」で買い物したのかな。
紀雅の「ますのすし」食べたのかな。
ローカルデパート「大和」で買い物したのかな。
私の都道府県ランキングの中でも上位に入る富山県。県民への想像は尽きない。
♪あ〜あ越中〜日本海味噌

※キトキト:富山方言で「新鮮な、活きのいい」

| Rail&Hand | - | 20:41 | - | - |
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