2006.07.31 Monday
周遊券
ネタが尽きたら思い出話。
JRの周遊券という切符が無くなってから、何年の月日が流れただろうか。
学生時代には、旅に帰省によくお世話になった。周遊券とは、現地エリア内の自由区間と、往復の運賃がセットになったもの。他に、船や飛行機と組み合わせて、旅行会社にオーダーメイドできる一般周遊券というものもあった。
特に、駅ですぐ買えるワイド・ミニ周遊券は、周遊券の種類にもよるが、エリアまでの経路が数種類選択でき、経路は急行列車の自由席、エリア内は特急列車の自由席まで任意に乗車できた。出発地が遠いほど有効期間は長く、最長20日というものもあり、帰省の際に購入したり、効率よく旅行が楽しめた。その学割価格は破格だった。
当時の私は、いわゆる「乗り鉄」だったので、日本全国未踏の地へ周遊券で出かけた。周遊券の強みは、何と言っても宿代わりに夜行列車が利用できることで、同じことを考える人は多かった。夜行3連泊など当たり前だった。温泉か銭湯で汗を流して、周遊エリア内を走る夜行列車に乗ってしまえば、宿代は不要だった。ただし自由席のみ有効なので、座席で寝る苦行になる。今日、通勤電車で爆睡できるのは、この業あっての成果かもしれない。
東北ワイド周遊券での荒技は、青森から上野行急行「津軽」号に乗車し、未明に周遊エリア南端、福島で下車。ほどなく、上野発の「八甲田」号がやって来るのを待って北へ引き返した。若さ故にできた芸当だ。いずれの列車も今はすでに廃止されてしまった。
北海道ワイド周遊券の思い出は、札幌発稚内行、急行「利尻」号。夏の北海道は、私のようなマニアのみならず、自転車やらテントを抱えた人で混雑する。今思えば、その時の私はバンダナに画帳、ケミカル色のパンツ姿というヘンな格好だったが、埋没して分からない位だった。その利尻号は、最北の街・稚内を目指す客で札幌駅は大混雑。やっとの思いで着席できたと思ったらそれも束の間、「いちばん後ろの車両は、名寄にて切り離します」の放送に絶句。夜中3時頃、名寄にて前へ移動したが、満席。なんと夜行列車で立つハメになった。車掌さんが空席を気にしてくれたお陰で、2時間程の辛抱で済んだが、外は明るくなりかけていた。入浴してから宗谷岬へ行き、余りの眠さに早々に稚内を後にした。稚内滞在時間は、僅か6時間ほどだった。
九州ワイド周遊券では、当時は博多〜鹿児島・宮崎を結ぶ夜行特急「ドリームつばめ・にちりん」号の運転が始まった頃。昼間は特急「つばめ」(現在は九州新幹線)に使用されるピカピカの電車で、座り心地の良い椅子と、ホテルのような設備で快適そのものだった。しかも鹿児島は温泉が多くて有り難かった。トンコツラーメンも旨い。
ただし、九州の夏は、暑いのと、集中豪雨の直撃が難点だった。忘れもしない、1993年夏。鹿児島市の「竜ヶ水」地区で土石流が発生し、家屋と列車が丸ごと海に押し流された。私はその前日、鹿児島におり、前夜に現場を通過していた。間一髪だった。友人達はレンタカーに乗っており、辺り一面、川と化した鹿児島市街地に残されたという。その後も各地で足止めを食らい、九州から脱出するのに一苦労だった。
21世紀を目前に控えた90年代の日本は、昔ながらの?ハードな旅を楽しむことができた、最後の時間だったのかもしれない。
現在の周遊券は「周遊きっぷ」として発売されているが、自由度・種類・お買い得感共に少ない。
JRの周遊券という切符が無くなってから、何年の月日が流れただろうか。
学生時代には、旅に帰省によくお世話になった。周遊券とは、現地エリア内の自由区間と、往復の運賃がセットになったもの。他に、船や飛行機と組み合わせて、旅行会社にオーダーメイドできる一般周遊券というものもあった。
特に、駅ですぐ買えるワイド・ミニ周遊券は、周遊券の種類にもよるが、エリアまでの経路が数種類選択でき、経路は急行列車の自由席、エリア内は特急列車の自由席まで任意に乗車できた。出発地が遠いほど有効期間は長く、最長20日というものもあり、帰省の際に購入したり、効率よく旅行が楽しめた。その学割価格は破格だった。
当時の私は、いわゆる「乗り鉄」だったので、日本全国未踏の地へ周遊券で出かけた。周遊券の強みは、何と言っても宿代わりに夜行列車が利用できることで、同じことを考える人は多かった。夜行3連泊など当たり前だった。温泉か銭湯で汗を流して、周遊エリア内を走る夜行列車に乗ってしまえば、宿代は不要だった。ただし自由席のみ有効なので、座席で寝る苦行になる。今日、通勤電車で爆睡できるのは、この業あっての成果かもしれない。
東北ワイド周遊券での荒技は、青森から上野行急行「津軽」号に乗車し、未明に周遊エリア南端、福島で下車。ほどなく、上野発の「八甲田」号がやって来るのを待って北へ引き返した。若さ故にできた芸当だ。いずれの列車も今はすでに廃止されてしまった。
北海道ワイド周遊券の思い出は、札幌発稚内行、急行「利尻」号。夏の北海道は、私のようなマニアのみならず、自転車やらテントを抱えた人で混雑する。今思えば、その時の私はバンダナに画帳、ケミカル色のパンツ姿というヘンな格好だったが、埋没して分からない位だった。その利尻号は、最北の街・稚内を目指す客で札幌駅は大混雑。やっとの思いで着席できたと思ったらそれも束の間、「いちばん後ろの車両は、名寄にて切り離します」の放送に絶句。夜中3時頃、名寄にて前へ移動したが、満席。なんと夜行列車で立つハメになった。車掌さんが空席を気にしてくれたお陰で、2時間程の辛抱で済んだが、外は明るくなりかけていた。入浴してから宗谷岬へ行き、余りの眠さに早々に稚内を後にした。稚内滞在時間は、僅か6時間ほどだった。
九州ワイド周遊券では、当時は博多〜鹿児島・宮崎を結ぶ夜行特急「ドリームつばめ・にちりん」号の運転が始まった頃。昼間は特急「つばめ」(現在は九州新幹線)に使用されるピカピカの電車で、座り心地の良い椅子と、ホテルのような設備で快適そのものだった。しかも鹿児島は温泉が多くて有り難かった。トンコツラーメンも旨い。
ただし、九州の夏は、暑いのと、集中豪雨の直撃が難点だった。忘れもしない、1993年夏。鹿児島市の「竜ヶ水」地区で土石流が発生し、家屋と列車が丸ごと海に押し流された。私はその前日、鹿児島におり、前夜に現場を通過していた。間一髪だった。友人達はレンタカーに乗っており、辺り一面、川と化した鹿児島市街地に残されたという。その後も各地で足止めを食らい、九州から脱出するのに一苦労だった。
21世紀を目前に控えた90年代の日本は、昔ながらの?ハードな旅を楽しむことができた、最後の時間だったのかもしれない。
現在の周遊券は「周遊きっぷ」として発売されているが、自由度・種類・お買い得感共に少ない。