Zakkan (雑感)

趣味の雑感。
春到来
まもなく三月が終わろうとしている。桜があちこちで咲き始めた。
新年度の準備に慌ただしい一日。

ところが金銭に関わるミスが発覚。過去にも失敗したもの…。注意を受けたあと、
「そんな顔すんなよ〜間違いは誰でもあるんやから。今度間違えない方法を考えたほうが前進するやろ?」
と上司。前向きな言葉に救われる。過去にはこんな事言われなかったのに。

そういえば、オークションで何か落札するたびに、身の周りでトラブルが発生するような気がする…。これって私の所業の悪さへの戒めか?等と思い当たる節が少し怖い。

話は変わって
昨夜、妻の実家から米や野菜が届いた。
先日、私の実家が贈った内祝がそのまま同梱されていた。
孫に何か買ってあげなさいということだが、遠くから娘と孫を案じる親心、ありがたく頂戴する。何せ夫が頼りないもので…。
ありがとうございますm(_ _)m


妻に宛て、義母の丁寧な手紙が添えられており、今回は読み聞かせてくれた。

“種蒔きを終えたところです”

*暖かくなると外仕事は忙しくなりますね。

“早く孫たちに会える日を楽しみにしています”

*息子は随分大きくなりました。連休楽しみにしてください。

“ハル(甥)は四月から小学生で、昨日上野動物園に行きました”

*早いもんだな。あの子まだ赤ん坊だったのに。

“アキとユカ(妻の従姉妹)二人とも就職が決まり家から通うそうです”

*希望する職業に就けたんだね。おめでとう。

“ところで先日、出荷組合仲間の50代男性が自殺しました”

*……

“人間死ぬ気になれば頑張れるのに、何という親不孝者でしょう”

*重い…重すぎる…。なんと自殺の多い県…。

“そして(娘の)オムツが早く取れることを祈っています”

*で、話戻るんかい;

“貴女もあまり気を遣いすぎず、のんびりと構えて”

*その原因は我が実家でして…

ありのままの日常に、皆さん変わりなく過ごされているのがよく伝わってきた?

すっかり春。新潟の眩い春の緑が目に浮かぶ。故郷はすぐそこに見える。

| Rail&Hand | - | 20:07 | - | - |
贈り物
来月の妻の友人の結婚式では、ご祝儀と一緒に何かプレゼントをするという。
買い物がてら見に行った。

「何がいいかな」

「尉姥(じょうとんば)の人形とか」

「あまり嬉しくないよ・・」

「漆器の手紙入れとか、欅の花台とか」

「何でアナタの実家のような系統になるわけ?」

私の意見は当然却下。実用的なペアの品になった。
決して上記のような伝統工芸品ではありません。
贈り物を決めるのは意外と難しい。
| Rail&Hand | - | 21:04 | - | - |
みちのく一人旅〜青森・春まだ先の下北交通〜
1994年3月の話。(続編)

小坂鉄道乗車を終えて、大館から青森へ移動。青森からは下北半島の大湊行・快速「しもきた」が出ている。
青森から東北本線を走り、野辺地で向きを変えて大湊線へ。ここではまだタブレットを使用している。
いよいよ下北半島へ入る。青森県のカギ型に出っぱった部分。
大湊線に入ると荒涼とした、本州離れした風景になった。同半島の特徴でもある。車内は買い物や用務を終えて帰宅する地元の人達。すでに字幕が必要な方言。

終点大湊の1つ手前、下北駅で下車。ここから「下北交通大畑線」に乗換え。
この路線は1985年、国鉄大畑線から地元バス会社の下北交通に移管された。バス会社が運行する鉄道路線。

(*交付金も底を尽き、赤字のため、下北交通大畑線は2001年4月1日廃止。その後、民間の保存団体により、大畑駅で車両が動態保存されている。)

わずか18kmの路線。むつ市中心部を経て、本州最北端・大間崎の手前、大畑までほぼ1直線に結ぶ。こんな場所に鉄道が・・理由は戦時中、海軍の大間崎要塞、津軽海峡防衛のために敷設された。大畑から先、大間に向けて建設が進められたが、戦局悪化で中止された。列車が走ることのなかった橋や土盛があるという。翌日大間崎へ行くのでこの目で見てみたい。

1両のディーゼル車が、森の中を走る。樺山駅付近は民家がなく、まるで北海道のよう。田名部(たなぶ)駅が唯一むつ市街というところか。と、いってもホーム1本の駅だが。
外は真冬。季節が逆戻りした。しんしんと雪が降っている。
下北には「恐山」がある。鉄道に乗っていても最果ての空気が漂うので、うまく命名したものだ。
まだ16:00頃だというのに薄暗くなった大畑に到着。
これまた奇特なマニアは私くらいだった。

駅近くの民宿に宿泊。客は出張のサラリーマン位しかいない。

「どこから来たの?」

民宿のおばちゃんが尋ねる。

「新潟です」

「もうあったかいでしょう」

“よそ者”には方言をセーブしてくれているようだ。家族との会話になると再び字幕スーパーに。イカ料理が美味しかった。

翌朝、バスで大間崎へ向かう。鉄道車両と同じ色。同じ会社が経営しているので当然か。
コンクリートのアーチ橋が見える。これが建設途中で終わった線路。下風呂温泉付近まで続いていた。カメラに収めていないのが残念。

本州最北端・大間崎に到着。
観光客はだれもいない。土産物店もシャッターを閉ざしている。
石碑の周りにいるのはカモメだけ。ものすごい強風。
まさに“津軽海峡冬景色”
ここから函館へフェリーが出ている。(その3年後の夏、函館からフェリーで大間に降り立つとは夢にも思わなかった)
荒波のかなたに、うっすらと北海道の島影が見える。

寒さに震えながら帰りのバスを待つことしばし、大畑線の接続が悪いので、そのままバスに乗ってむつ市へ戻る。むつバスターミナルからJRバスに乗り継いで、JR大湊駅へ向かった。

大湊から快速「しもきた」で半島から出る。しかし、強風のため陸奥横浜で運転見合わせ。車内は静か。青森の人もおとなしい。野辺地に戻る頃にはすっかり日が西に傾いていた。

ちなみにこの日の宿は、急行「津軽」で福島まで南下し、「八甲田」で青森へ戻る車中泊だった。
上野〜青森を結ぶ東北の名門急行だった両列車は、前年(1993年)ダイヤ改正で季節運転に格下げされた。両方運転されている日を選んで乗り込んだ。「津軽」では、深夜の福島駅で下車するため、気になってなかなか眠れなかった。無事「八甲田」に乗換えたら熟睡。未明の盛岡を夢うつつに見て、再び野辺地付近で目が覚めた。14系座席車のデッキ折戸の隙間から、雪が舞い込んでいたのが印象的だった。

結局、「津軽」と「八甲田」の乗車はこれが最後となった。
(*両列車は年々運転日が減少し、秋田新幹線の開業あたりから運転されなくなった。そうこうしているうちに同名の「つがる」として青森県内を走る列車名に代わってしまった。)

また、この頃の東北本線の普通列車はED75形、EF81形電気機関車が3〜4両の客車を牽いていた。本業は長い貨物や寝台特急の先頭に立つので、余裕のパワー。ヘタな電車より速かったのが印象的だった。真冬に雪煙を上げて走る様は頼もしかった。これらも何故か撮影していないのが悔やまれる。
その普通列車を乗り継いで、皆が集まる平泉へ向かったのだった。

新幹線の開通、ローカル線の廃止、東北本線の一部区間移管、新しい通勤電車の登場など、東北地方の交通を取り巻く環境はここ10数年で大きく変わった。

それでもお客さんは、昔と変わらぬ方言と、頭巾を巻いたお年寄り、色白の女性のままなのかもしれない。

(Fin)



| Rail&Hand | - | 01:00 | - | - |
黒豆ワッサン
鉄道ネタばかりなので息抜き。

「くろまめわっさんたべるの」

娘が言う。何のことかと思いきや“クロワッサン”のことだった。(笑)

息子も、

「んー」

音頭を取る。

桜がほころび始めた暖かな1日。雛人形を片付けた。
ついでに9日のイベントから撤収してきて放置したGゲージも・・。

今年の桜は早くなりそうな予感。

| Rail&Hand | - | 20:16 | - | - |
みちのく一人旅〜秋田・残雪の小坂鉄道〜
古い写真を掘り返していたら・・・楽しかった思い出が蘇る。
1994年3月の話。この頃は最も「乗り鉄」に勤しんだ頃。

当時はJRに「周遊券」というものがあり重宝した。しかも「東北ワイド周遊券」の姫路発は20日間有効。東北6県のJRが特急も含めて乗り放題。しかも新潟駅がその末端駅で、新潟在住で気が向いたら東北へお散歩なんてこともできる。時は春休み。青春18きっぷで帰省し、姫路駅で東北ワイドを購入した。
ちょうど部の合宿が岩手県平泉市・中尊寺で行われたのに合わせて、未踏の北東北、ローカル私鉄を旅した。

<小坂鉄道>
秋田県大館市を起点とする鉄道。小坂町は古くから鉱山として栄えた場所。鉄道はその精錬所より産出される濃硫酸を輸送していた。
私が訪問した時点では、まだ旅客営業が行われていた。
*1:旅客営業は1994年10月廃止。
*2:小坂鉄道は2008年3月12日で鉄道運行そのものを終了した。

1994年3月早朝、秋田市内の宿を出て、大館目指して奥羽線の普通電車で北上する。まだ特急も来ない時間帯。何せ小坂鉄道は1日5往復しかない。
ところが能代付近で人身事故。足止めを食ってしまう。満員の車内だが、苦情ひとつ言わず黙って待つ秋田の人達はおとなしい。

結局、乗換5分前に大館着。小坂鉄道の大館駅はJRから道路をはさんで少し離れた位置にあり、猛ダッシュする。目の前でドアが閉まった!間に合わなかったか?
私を見つけた駅員さんがすぐに手を上げて列車を待たせてくれた。

息を切らして乗り込むと、乗客は5名ほどしかいない・・。
1両で走るディーゼル車は、岡山の片上鉄道で見たことのある車。こちらはすでに廃止されているが、元は同じ系列の鉱山会社だった。

雪はどんどん深くなる。同時に山が険しくなり、雪道を走る自動車に追い越されるくらいスピードが落ちる。
「雪沢温泉」という名前の駅があった。何とも旅情を誘う駅名だ。
すれ違いのできる駅には懐かしい腕木信号機がある。しかも黄色い矢羽根の通過信号も。
45分くらい要したか、終点小坂着。3月とは思われない残雪。


乗ってきた列車でわずか30分の滞在で折り返す。次の列車まで3時間以上待たねばならない。今日中に下北半島の先端・大畑へ行く予定なので止むを得ない。寂れた駅前には何もなく、とにかく寒い・・。待合室のストーブで暖を取る。
秋田県北部の不便な場所で、しかも午前という時間帯なのか、まだ廃止も決定していないためか、鉄道マニアは私しかいない。


ウロウロしていたら、ディーゼル機関車に牽かれた濃硫酸の貨物列車が到着。期待していた光景に興奮する。本当は機関車3台で力を合わせて峠に挑む姿を見たいところだが、自動車がないと無理。


後ろ髪を引かれる思いで小坂の町をあとにした。
これが最初で最後の小坂鉄道だった。
再び大館に戻り、「とりめし」を購入して青森を目指したのだった。

〜インターネットで探せば、同胞諸兄の手による、すばらしい小坂鉄道沿線写真がヒットします。詳しくはそちらをご参照くださいませ・・。

| Rail&Hand | - | 23:29 | - | - |
角さんの線路
 越後交通といえば、新潟県長岡市に本社を構える田中ファミリーの一大企業。新潟県中越地方にバス事業を展開する同社には、鉄道路線が存在した。それも平成の御世まで。

その鉄道とは越後交通の前身となった「長岡鉄道」の一部路線。

戦後まもなく土木事業を興した、故:田中角栄氏が、政界進出と時を同じくして社長に就任した鉄道でもある。(同社には他にも長岡〜見附〜栃尾を結んだ「栃尾鉄道」というものもあった)
鉄道は来迎寺〜西長岡〜与板〜寺泊を結んでいたが、乗客減少と自社バス路線の拡大で関原〜寺泊は昭和50年に廃止。その後、来迎寺〜西長岡〜関原の区間で、細々と貨物専業で平成7年3月まで運行していた。(末期は来迎寺〜西長岡)

<今から15年前の話>

平成5年9月。新潟在住の頃、私はまだ18歳少年だった。
西長岡駅の車庫を訪問する機会があった。
長岡花火のシンボル、長生橋を渡り、大島本町という交差点から路地に入ると広場の先に駅構内があった。今は貨物専用鉄道なので旅客駅の跡形はないが、昔はこの場所に駅舎があり、駅前商店街があったと思われる。長岡への買物や、花火見物、米や寺泊の海産物、与板鉄器の輸送で賑わったのだろう。

「写真を撮らせてもらえますか」

事務所に挨拶すると、快く中に入れてくれた。職員は高齢の方ばかりで、この方々がリタイアする頃には鉄道も姿を消すような気がした。

車庫では青い電気機関車が整備中で、いかにも私鉄然としたスタイル。

↓こちらの機関車は、元々北海道にいたとか。

実際に使用されていたのは1枚目の「ED401」と車庫奥にいる「ED5101」の2台だったようだ。
草生した構内にはセメント貨車が並ぶ。
この鉄道、途中の才津駅というセメント出荷場から、JR線の来迎寺駅まで貨物をピストン輸送している。来迎寺からJRに引き渡して各地に運ぶ。

この西長岡駅は、長岡市中心部からずいぶん外れた信濃川左岸にある。来迎寺から来た線路は川にぶつかる形で、ここで向きを変えて寺泊方向へ折り返していた。おそらく、長大な信濃川に鉄橋を架ける資金がなかったものと思われる。昔の民営鉄道ではよくあること。鉄橋が架かっていればまた違う運命だったかもしれない。
機関車を撮影した後、同行させてもらった先輩の運転で才津駅に向かう。
刈入れの終った田園地帯を、セメント貨車を7〜8両連ねて走る姿を見ることができた。この時は平日ということもあったが、沿線で「鉄」に全く出会わなかったと思う。まだ廃止も囁かれていないのか、のんびりした日常だった。
そういえば、線路沿いにある会社の空き地に車を停めて列車を見ていたら、
「そこ、停めないでくれる!」
いきなり会社の窓が開いて、天道よしみ風の事務員さんに叱られたのを思い出す。

その後平成11年に新潟交通、蒲原鉄道が姿を消した今日、新潟県内のJR・北越急行以外の民営鉄道は、全て過去帳に入ってしまった。
廃止から13年が経過した今日、越後交通の線路跡はどうなっているだろうか。角さんの線路を偲ぶ。

| Rail&Hand | - | 22:57 | - | - |
大宮
4月の第2週は大宮へ行くことになった。
妻の友人の結婚式がある。その間、私は娘と鉄道博物館で時間をつぶす予定。息子はまだ小さいので実家に預かってもらうことにする。
式場を調べると・・さいたま市北区。鉄道博物館から約2kmの距離。これはありがたい。近くにはイトーヨーカドーもあるようだ。

新幹線を手配した。何も意識せずに購入したら往路は「N700系のぞみ」だった。N700は姫路にも止まるようになったようだ。最新の新幹線でこれは縁起がよい。
結局私が楽しみになっている・・。朝早いけど何とかなるだろう。

そういえば先日の三木鉄道には「与野本町」から来たという人が乗っていた。埼玉から来る人あれば行く人もあり。

この頃、東京の桜はもう散っているだろう。
| Rail&Hand | - | 16:58 | - | - |
さくら

2歳8か月の娘はハサミを使いたがるようになった。
危ないからと禁止していてはいつまでも出来ないので、監督しながら使わせた。
どこで覚えたのか正しい持ち方…。
二つ折りにした色紙を与えたら、

「お花作ってんの」

切り込んでいく。
出来上がったものは、

「さくら」

だという。確かに…。
うーむ。器用な手先に感心。v(`∀´v)
手前味噌ながら両方に似たのか。
そういえば、今年から小学生の甥は絵が上手で、義姉が嬉しそうに見せてくれたのを思い出す。義姉もイラストが得意なので仕事に生かしているらしい。
そんな要素が子供にもあるのだろう。

まだまだトイレも後片付けも出来ない娘だがその子なりの能力がある。
「お片付けなさい!怒られるからするんじゃなくて決まりごとなの!そろそろ出来ないといけません」

昨夜も私の実家で母に厳しく言われていたが相変わらず動じない。
子供の芽を伸ばすも摘むも大人次第。
あれこれ命令しては逆効果だろう。
介護が要る人でもない限り、オムツの大人はいない。
怪我と他人に迷惑さえかけなければよいのではないか。

決して大人の都合で叱ってはならない…が難しいところ。
“〇〇が出来ないと笑われる”
“〇〇では保育園に行けない”
このような表現は単なる大人の都合ではないか。

帰宅後、

「私の育て方が間違っているのかな…(ノ_<。)」

「泣かんでも…それは注意のしかただけの問題で…」

等という会話を知ってか知らずか、娘は色紙の切れ端を自力でゴミ箱に入れていた。
出来るじゃないか〜


| Rail&Hand | - | 18:36 | - | - |
サヨナラバス

「サヨナラバス」
ボーカルデュオ“ゆず”1999年の大ヒット曲。そのシングルCDジャケットは、ゆず・北川と岩沢が乗車するバス側面全体像。曲もさることながらジャケットもインパクトあるものだった。その写真とは江ノ電バスで、今から20年くらい前の型の車だったのでもう廃車になっているだろう。

本題に入る。

「僕たちの大好きなバス」

70〜80年代のバス特集誌を見つけた。
鉄道マニアの私は実はバスマニアでもある。
はじめに、世の中にはバスマニアというものが少数派ながら存在する。バスとは…理解に苦しむかもしれない。
ああ、自動車が好きなんだね。
いやいや全くの別世界。
どちらかと言えば愛好者の嗜好・行動・外見は鉄道に近いといえば分かりやすい。従って私のような鉄バス兼用マニアは多い。
上級者になるとバスを車検証の型式で呼んだりできるようになる。
私?まだまだ初級レベルかも。最近の車はサッパリ分からない。

我々が喜ぶのは、モノコックの丸い屋根のバスたち。普通の人ならバスは新しくて乗降りしやすい方がいいに決まっている。しかし、マニアは丸い窓や古いエンジンの黒煙に萌える。
バスは少数派といいながらも、近年は支持者が増えてきたのか、古いバスを貸切運転するイベント等も実施されているようだ。

都市部の排ガス規制強化、バリアフリー法施行による車両交替、少子化、過疎化による路線廃止、子供の頃見た丸っこいバスは全国的に見ても急速に姿を消している。
リベットむきだしのボディ、横引き窓、木の床、観光バスの路線車格下げ改造など過去のものになろうとしている。
まさにサヨナラバス。
古いバスを見る機会はすっかりなくなり、ミニカーに思いを馳せる今日。

そんな意味で非常に心萌ゆる一冊。

本誌を見ていたら、新潟でまもなく絶滅する、「なまずバス」に乗りたくなった。

“バスの揺れ方で人生の意味が分かった日曜日”

と始まる曲が流行っていた頃、よくお世話になった新潟交通なまずバス。今は新発田と加茂に数台を残すのみ。

場所柄、バスを利用しない日常生活だが、時には公共交通機関を見直してみるのも良さそうだ。
でも、夜行バスはコリゴリかも…。
| Rail&Hand | - | 18:52 | - | - |
自動車買替に一考
我が家には妻名義で軽自動車・ワゴンRがある。この秋で9年になる。
その昔、妻が亡祖父に買ってもらった物で愛着はあるのだが、子供2人となると使い勝手に困る。右後にドアがないので一家揃っての乗車が大変。助手席と左後にチャイルドシート、右後席に大人が身体を屈めて入る。
大きな?一家が狭い車内に弁当のように詰め込まれる。私がご飯で妻が焼鮭、娘が唐揚げで息子が梅干しだ。
ベビーカーを積もうものなら買い物の荷物の置き場がなくなる。

という訳で買替えを検討する時期になった。私は電車通勤なので、普段子供を乗せて使用するのは妻。意見を優先する。

「私、今度は普通車がいいな」

「ソラちゃんのパパさんみたく四駆のグァイ車にするか?」

「無理でしょ;トヨタにしようよ」

「じゃあエスティマハイブリッド?」

「だからそんなお金どこにあるの…」

「冗談です。運転しやすいやつで」

「小さい車がいいな」
「1500cc以下かな。僕は中古でもいいけど。どうせ汚れるし」

「え〜(`ε´)新しいのが欲しいよ〜。そもそも貴方の実家が中古に納得する訳ないよ!」

「僕は固い物は中古でも構わない主義でね」
「固い物って?」

「自動車とかパソコン、電気製品、宝飾品、楽器、CD、鉄道模型とか…」

「じゃあ柔らかい物は?」

「衣類、靴、食品、嫁、子とか、新品に限る」

「嫁って何なの?」

「出戻りのヒトとはできれば遠慮したいから…」

「それはそうだね…」
すぐに話が脱線する。
もしここで学生時代のメンバーに相談したら、ダイハツ車が良いとか、車中泊できる車とか、バスみたいな形にせよとか横槍が入りそうな気がする。ともあれ日常に実用的な小型車に重点を置くのが良さそうだ。
私としては車は小さくても高級感漂う内装を希望する。できればビニール張りは避けたい。
同じ値段の2種類の車なら、大きな低グレードではなく、小型の高グレードにすればよい。
それから人生一度でいいから「スカート」の付いた車に乗ってみたい。

さっぱり話が進まない…。これからの季節、自動車の検討を始めることとする。


| Rail&Hand | - | 21:07 | - | - |
晴耕雨読
読売新聞に興味深い記事が掲載されていた。

四国・香川県高松市。経営破綻したリゾートホテルをNPO法人が買い取り、農作業を体験しながら長期滞在できるホテルとして4月にオープンさせる。都会の人に田舎で第二の人生を始めてもらい、そのまま定住も受け入れて地域の活性化につなげるという計画だ。
滞在者は農家の指導で土作りから肥料、野菜の作り方を教わることができ、NPO法人より農機具は無償貸与される。木工や陶芸の趣味教室も開かれるとか。
これが田舎暮らしを望む団塊世代の関心を呼んで、問い合わせがすでに300件以上あるという。
「晴耕雨読の生活に憧れていた。温泉もあるし、絵を描いたり、木の芽摘みをしたいです」
という声が寄せられているとか。

さて、最近話題の「田舎暮らし」
私は農作業にまともに触れたことのない人間だが、「農業=田舎暮らし」という構図ではないと感じる。

それは地域の絆。

隣人の田畑だけでなく、葬式が出たら手伝い、祭りの準備、寄り合いでは付き合いで飲むこともしばし。時にはムダな噂話にも参加・・。そして“自分の家が一番だと威張る隣人”への対応・・。ましてや田舎には病院やデパートが近くにあるわけではない。
隣人の顔を知らない都会の人が、プライバシー皆無の田舎で耐えられるのか疑問が残る。
・突然の雨に近所の人が洗濯物を取り込んでくれる
・玄関開けっ放し
・雪かき(四国では必要ないが)
・ゴミは外で燃やす(本当は禁止)

ホテルに滞在するうちは閉鎖空間で、お客様として迎えられるだろう。その村の住人になったとき、どうなるか。この企画の意図はすばらしいが、参加者は相応の覚悟が要るだろう。まあ、私なんかに言われなくても覚悟してるかな。田舎暮らしは「ダッシュ村」ではない。何よりも田舎暮らし入門都会人は、前職・役職にかかわらず、自然の中で暮らす先輩方の生活の知恵には到底及ばないことを理解しておかなければならないだろう。

雨の日に読書・・・漬物つけたり、出荷の箱を組み立てたり、農業は甘くないはず。
でも「晴耕雪読」「晴耕雪映画」「晴耕雪温泉」なら大丈夫かも。
| Rail&Hand | - | 18:32 | - | - |
最後の春

今日は暖かい。すっかり春の陽気。
昼で仕事を終えた後、急に思い立ち、今月一杯で廃止となる三木鉄道に寄ることにした。沿線まで勤務先から車で15分。葬式鉄(廃止前になって押し寄せるマニア)はあまりよくないが、地元の鉄道の最後をもう一度見てみたい。

沿線で写真でも撮ろうかと思ったが、あいにく携帯電話のカメラしかない。時刻を調べると乗れそうなので、始発の厄神駅(加古川市)駐車場に車を置き、三木まで往復することにした。

意外に人が少ないと思いきや・・三木からの折り返し列車は超満員。乗客の1/3はお別れ乗車の地元の人。残りは鉄道マニア。こんなに混雑する三木鉄道は初めて見る。殆どの人が三木から来て戻るようだ。
私は仕事帰りで場違いな格好のマニアだが、皆に続いて1両の小型ディーゼル車に乗る。

すぐに満員で発車。体格の立派な人が多いので小さな車両が余計に狭い。おまけに汗臭い…。廃止前の鉄道に見られるおきまりのパターン。
沿線にもカメラの砲列。コラ、ヒトの畑に入るんじゃない!
この調子では来週末と最終日は大変だろう。

大正5年、三木鉄道は播州鉄道(現JR加古川線)の支線として開通した。
兵庫県のほぼ中央部に位置する三木市は金物の街。国鉄三木線となった後も沿線の特産品や加古川方面の通勤客を運んだ。
しかし三木市からは神戸方面へ人の流れが大きく、逆方向の三木線は不利だったようだ。何よりも自動車の普及が痛手となった。
昭和60年、国鉄から切り離される格好で、三木市を筆頭とする鉄道事業者「三木鉄道」となった。第3セクター鉄道の草分け的存在。しかし、補助金も底を尽き、経営難からついに廃止が決定された。三木鉄道となってから22年の歳月を経ていた。

何の変化もない、田園を一直線に線路が続くローカル線。
各駅には、沿線の小学生や自治会による感謝のメッセージを記したのぼりが掲げてあった。
わずか20分の旅。終点三木は開業時の木造駅舎。大勢の乗客で賑わっていた。
待合室で販売の鉄道グッズもよく売れる。せっかくなのでマウスパットを購入。硬券入場券も。
マニアらしい事ができて満足。

滞在20分で折り返し。既に満員でドア付近に立つ。

明るい緑の草原と菜の花畑を見ながら走る。白地に赤・青ラインの車体が映える。
しかし、この鉄道は満開の桜を見ることなく終わるのだろうか。東京では今日、桜が開花したというが・・。

厄神に戻ってきた。わずか5分の停車で鈴なりの乗客を詰め込んで折り返す。

「発車しま〜す。乗られませんか〜?」

普段は居ないガードマンの声が響く。
短い汽笛とともに、列車は同じ線路を戻っていった。
見えなくなるまでホームで見送り。再び静かになった。厄神駅に車を停めているのは私くらいのようだ。
ガードマンの方曰く、来週が正念場とのこと。お疲れ様です。

今日のうちに瞼に焼き付けておいて良かったかも。
この陽気は卒業式のような切なさと重なる。ありがとう。三木鉄道。

ちなみにお土産?は、こんなペーパークラフトができるハガキ。



| Rail&Hand | - | 21:42 | - | - |
合作

兵庫県播磨地方に春を呼ぶ「いかなごのくぎ煮」
これがあればご飯がいくらでも食べられる。私の実家では「炊かない」が、各家庭の味がある。

ついにローソンおにぎりまで登場。全国で販売しているかは分からないが、
「新潟コシヒカリ+龍野醤油使用くぎ煮」
とある。まさに二県の合作。

ちなみにうちの子供達も合作です。

| Rail&Hand | - | 18:06 | - | - |
お土産

勤務先でUSJのお土産を食べた。
外見はスヌーピーだが、どこかで食べた味の煎餅たち。
その味は…ポタポタ焼、まがり煎餅、揚げ一番、サラダ煎餅。
箱を裏返すとやはり…。
(株)アジカル(新潟市江南区)とある。要は亀田製菓。
新潟の皆さん、関西旅行でUSJに出かけてお土産に煎餅を買ったら地産地消になるのでご注意を。

| Rail&Hand | - | 18:05 | - | - |
雨の朝に
雨の中、駅から歩いて通勤。雨の徒歩は辛い。
昨日の帰りの電車に引き続き、駅前で栄養士のOさんに出くわした。勤務先まで一緒に歩くことに。
昨日、

「6月に結婚するんです」

という話に驚いた。彼女は私と同い年。まだ若いようでも決して若くはないが、素直にめでたい話。
派手さのない、暗い、質実な、我々マニア好み?の人なので、同級生の友人に紹介したい位だった。外見は有名人に例えば…疲れきった伊東美咲とでもしておこうか。(どちらかと言えば失礼な表現かも…)
そんな大胆な事は決して言い出せないうちにご縁があったようだ。少し残念?

聞けばハワイで挙式らしい。
「この年になると大勢呼びにくいし、身内と親しい人だけでやりたいです」

なるほど、一理ある。ハワイは暑いし、鉄道がないし食べ物が不味い…いや、私は関係ないか。

「40までに子供が欲しいです」

そんな事言わず、高齢出産になる前に作ったほうがいい。今夜からでも。

とりとめもない話をした。
彼氏は味にうるさく、オカズが3品ないと納得いかないとか。そのような契約は今のうちにすればよろしい。まあ、専門職だから苦にならないか。

「お昼はお弁当ですか?」

「僕は食堂です」

「作って欲しくないんですか?」

「え?いや、温い方が好きやし、夏は痛むし、朝早いから悪いし」

「やさしいですね」

「そんなんやないけど…」

「彼の所は会社で弁当を取っているので、内心ホッとしてるんですよ」

Oさんはボソボソ明るく話す。(ヘンな表現;)最近明るい雰囲気の理由が分かった。
Oさん、お幸せに。

ここで一句。

“新妻の 甘い薫りに 囁かれ 苦を楽にする 春雨の朝”


| Rail&Hand | - | 21:16 | - | - |
餃子

中国産農薬入冷凍餃子の影響で、手作り餃子の材料が店頭に多く並ぶようになった。
そんなわけで我が家も自家製餃子。
娘にはウインナー入餃子。喜んで食べる。

餃子には数々の思い出がある。

8年ほど前、当時名古屋に居たMさんの新居にお邪魔したら、餃子パーティだという。
108個も作ってあった…。
「煩悩の数だけ作りました」
無類の餃子好き一家を象徴している。この頃流行っていた曲を真似て「餃子三兄弟」等と酔っ払って歌ったりもした。

もう一つは、瀬戸内海の小島に勤務先の仲間内で宿泊した時。別荘みたいな保養所なので自炊。
“ロシアンルーレット餃子”を誰かが発案した。
辛子餃子
納豆餃子
ラムネ餃子
ジャンケンに勝った人が指名する。等という遊びをしたものだった。

学生時代、金沢市内にある「第七餃子」という専門店へ行ったことがある。メニューは餃子以外は、ご飯とスープ、飲み物だけ。独特の厚い皮の丸い餃子でホワイト餃子という物。印象的な餃子だった。青春18きっぷの旅の途中で、このあと大垣夜行に乗ったり、訳の分からん事をしている。

それから、関西ではメジャーな「餃子の王将」
学生時代、高崎のN君が京都で得度の修行中だというので、帰省がてら友人達と会いに行った。寺院を訪ねると、僧兵みたいな人に宿舎を案内され、N君と再会。みんなで外出する。
彼は修行の身分でありながら山科の王将で、餃子を貪りビールを飲んでいた。弘法大師が守ってくれるとか言っていた。生臭坊主。

最後に、餃子の街といえば栃木県宇都宮市。市民の餃子年間消費量が日本一。駅前には餃子のビーナス像?もある。
宇都宮の餃子は、とにかく安くて美味かった。
「餃子の後は日光東照宮もいいよ↑」(栃木弁で尻上がり調に)
言いたくなってしまう。
餃子の数だけ思い出の具が包まれているようだ。

| Rail&Hand | - | 18:37 | - | - |
鯉のぼり


妻の実家より息子の鯉のぼりが届いた。
金ピカの凝ったデザインで、吹き流しにも鯉が泳ぐ。
見るからに高品質なのは素人にも分かる。
立派な鯉のぼりをありがとうございました。m(_ _)m
一昨年の雛人形につづき、恐縮極まりない。
今から五月が楽しみだ!
| Rail&Hand | - | 22:06 | - | - |
何とか確定申告
確定申告は今日まで。私はサラリーマンなので申告の必要はないが、医療費控除がある。のんびりしていたらギリギリになってしまった。昨日になって…。

「電卓どこ?」

「また何か買うつもりなんでしょ(¬_¬)」

「医療費控除です!」

今は国税庁のホームページから入力するだけで自動計算してくれる。印字して提出すればよい。
それにしても領収書の束の割に還付は僅か。
シッカリと国民の三大義務を果たしましょう。

| Rail&Hand | - | 22:05 | - | - |
電化工事〜妻からの視点〜
妻です。

前述のとおり、ガス給湯機が壊れました。実は私が結婚してからの修理は三回目。業者は買い替えを薦めます。
痛い出費になるな、とは思いつつ、8年も使ったのだからそろそろ寿命かもしれない、と義母と相談してガス屋に給湯機の見積もりを頼みました。

…が。
五分後に義母から着信。
「私ね、考えたんやけど。この際IHにしましょ。費用は私が持ちますから!今ガス屋さんに連絡しましたからね。工務店にもこれから電話して、工事頼むわ!ね?時代はIHよ!今、その時期が来とんやから!」

「ちょっと待ってください(屮゜Д゜)屮!IHって電磁調理器じゃないんですか(@_@;)?調理器でお風呂も沸かせるんですか?!」
「そうや!!IHでお風呂も沸かせるんや!!」

…もしや。義母の言うIH=電気=オ―ル電化のことではなかろうか(ΘoΘ;)。この人はそんな大きな工事の決断を、五分で下してしまったのだ。

「ちょっと待ってください!パパが今日帰りが遅いのに、私、今すぐ決められません…。」
「待ってどうするの?!仮設の風呂じゃいつまでももたへんで!」
アナタんとこのお風呂がある。
「土日挟むんやで!はよ決めな!」
…って夜間小児病棟じゃないんだから。
「『考えさせて』って、考えてどうするの?!やっぱりガスでいくの?!高いお金払って!私、それはもったいないと思うわ!」



。°・(>_<)・°。
コワイ。コワすぎる。
私はIHで風呂を沸かす、と言うから、混乱して質問しただけなのに。。。(〃_ _)σ‖。困り果てて主人の職場や実母にも電話する始末。

傷つけられた僅かなプライドを修復しつつ、涙ふきふき義母に謝る言葉を探していると、義母からまたも着信。

「今ガス屋が来てね、アナタの家くらいの使用料じゃ、電気にしても、あまり得にならないらしいのよ。…で。やっぱり……ガスでい?」


Σ(T▽T;)グワーン!!

私の涙を返してください…。
電化もいいけど、五分で決めるのはあまりに早すぎないか?
即決!即断!弾丸!攻撃!!泣く子も黙る迫力演説!!

ま。ガスコンロはまだまだ現役なので、もう10年もしたらリフォームの潮時かもしれませんが。
時代はオ―ルメタル。
「あなたの家の金属風呂が沸かせます。」
金属ではないが…我が家の風呂もIHで沸かす時代が来ているかもしれません。
| Rail&Hand | - | 02:58 | - | - |
電化工事
「費用対効果を考慮すると、補助金が下りるかは微妙ですね」
「もう少し投資内容を見直したほうがよいということですか」

金曜日、私は補助金を活用して勤務先のオール電化が可能か、電力会社の担当者と話し合っていた。また色々と数字を出さねばならない。

席に戻ると、

「自宅から電話がありましたよ」

何だ?怪我か、病気か?と、思いきや・・・妻曰く、

「ガス給湯器が壊れたの。この間からずっと調子悪くてもう寿命だって。お義母さんに相談したら・・“この際オール電化にしなさい”の一辺倒で迫られて・・」

「そんなことかいな;」
何ともタイムリーだ。

「で、オール電化を選択しない輩は愚か者のような口調で強く言われて、その費用は持ってあげるというんだけど。私はガスでいいのに。電化にすると言ったらガス会社は代替の給湯器を用意してくれないのね。今のままでいいと思わない?」

「調理も風呂も工事せにゃあかんのやで。今日明日で出来るもんじゃないよ」
風呂だけ電化で、台所はガスでは中途半端。まるで一部区間電化の播但線だ。

「“IHで風呂に入れる”ってお義母さんは連呼するんだけど、IHって電気給湯風呂のことじゃないよね。相談するから待ってくださいと言ったら、“今日の風呂はどうするの!”と決断を迫られて・・」

「それはちょっと違う;とにかく家に連絡するわ」


ガス会社曰く、小さな我が家の場合は電化しても節約のメリットが少ないらしい。(事実かどうか分からないが)
電力会社では、企業・個人向けに費用対効果が大きいケースを対象に、補助金制度が用意されている。勿論、各種報告書を準備しなければならないが。ちなみに今年の申請は終了したらしい。我が家は時期尚早だと思う。

という訳で実家に電話で説明する。
ガス屋がメリットが少ないと言ったことから、あっけなくガス給湯器更新でまとまった。何よりも、その矢先に娘が初めてオマルでオシッコをしたというから、関心はそちらに向いてしまったようだ。

帰宅後、

「今日はゴメンね。変な電話して」

「また怪我かと思ったよ」

「昔から、ああいう方なの?私、どうすればいいかわかんなくなって、泣きながら実家に電話したのね」

「まあ、そのとおりです;で、なんて言われたの」

「(実家母曰く)“お義母さんがオール電化にしたいって言うならさせてあげりゃいいじゃないの。お金出してくれるんでしょ?ありがたいじゃない。アンタはハイハイって言ってりゃいいのよ”」

「結局、ガス給湯器の更新であっさり落ち着いたからいいんでしょ」

「とにかくこの子(娘)が自力トイレができて、みんなで号泣したのよ。そっちに関心がいっちゃったの」

「よかった?ことになるのかな・・お疲れ様でした」

タイムリーなことに電化工事論に巻き込まれてしまった・・・。相変わらず大変な家だ。

かくいう私は「電車」より「内燃機関」のほうが好きです。



| Rail&Hand | - | 16:35 | - | - |
サヨナラマニア


最終あかつき・なは
飲み会の帰り、運良く姫路駅で遭遇し、見送り。同好の士が多数。
明日は早起きしなくても良さそう…。
| Rail&Hand | - | 23:44 | - | - |
マラソン
北京五輪女子マラソン・日本代表が決定した。
ベテラン選手の野口みづき、土佐礼子に加え、新人エース、中村友梨香(21)が抜擢された。所属は岡山を本拠地とする地方百貨店「天満屋」
中村のおかげで天満屋も有名になったものだ。(中村の出身は兵庫県西宮市)

ところで、子供の頃から肥満体で運動が苦手な私はマラソンなんて大の苦手。趣味でホノルルマラソン等に参加する後輩がいるが、そんな人には敬意を表する。子供の頃からマラソン大会前は苦痛そのものだった。高校生にもなるとそんな行事は無かろう、と思っていたら・・
「男子16km」という地獄のマラソン大会が待ち構えていた。対象は1・2年生。欠席者には、後日、同距離のグラウンド走行が課せられるという。さらにボイコットすると体育が欠点になる可能性があるので逃げようがない。

当然結果は散々で、1年次は最下位。しかも後片付けされていた。飲み物の1本位欲しかったが。2年次は、デブの最下位争いでなんとか免れた。それにしても、ラストスパートで校庭に入ってから猛ダッシュで競う“デブダッシュ”は何と見苦しいことか。体力残っているなら最初からもっと走れよ・・と思われているだろう。小学生の頃から毎年デブダッシュだった。ビリだけは嫌だという意地がデブにはある。これは足の速い人には理解できまい。
あまりにみっともなかったので、ゴール時にそのままトイレに駆け込んだ。これが笑いを誘って穏やかに終わったようだ。(痛い;)
今年、高橋尚子選手が、五輪選考の名古屋国際大会中にトイレに駆け込むというハプニングがあったが、これは全く別の次元。

ともあれ、代表選手の皆さんには、北京の大気汚染に負けずに健闘を祈る。
| Rail&Hand | - | 05:53 | - | - |
サヨナラの旅路

14日の出発を最終に、寝台列車「あかつき」「なは」「銀河」が廃止となる。
いずれも伝統の夜行列車。
昔ながらのカーテン一枚の寝台車は高速バス、航空機運賃の低廉化には叶わなかった。ここ数年で灯が消えるように次々と夜行列車が廃止されている。西村京太郎氏もネタが少なくなる。
25年位前、寝台列車はその青い車体から「ブルートレイン」として日本の鉄道の代名詞になった位。菓子のオマケも筆箱も、みんなブルートレインで私を含めた少年は皆、目を輝かせた。関西発のブルートレインは食堂車や個室寝台車がなく、華やかな東京発に見劣りするのが残念だったのを思い出す。
私の初ブルトレは、小学5年生の時、父と鹿児島へ行った際に乗車した「なは」だった。
当時は西鹿児島行だった。九州の真っ赤な電気機関車ED76を初めて見て感動した。青い寝台車とのコントラストが素晴らしかった。
車中では居合せたおじいさんから菓子をもらった。
それから12年後、私は「出雲」車中で居合せた男の子に同じ事をしている。確か大田市で降りていった子だと思う。
袖触れ合うも多少の縁で隣の乗客と話す旅路もなくなる。

15日早朝、「あかつき・なは」は近くを通過する。早起きできたら最後の姿を見て出勤したいところだが、前夜が遅いので寝坊する自信に満ち溢れている…。

画像は遅れのため、神戸駅で朝のラッシュを退避する上り「あかつき・なは」
足の遅い寝台列車はすぐに通勤電車の邪魔者扱いになる。

| Rail&Hand | - | 19:46 | - | - |
続続・ジャズステーション(詳細)
3月9日の詳細。(長文デス。「鉄」にご縁のない方は飛ばしてください)

<8時>
前日準備の後、Tさんとご一緒した。2人で会うのは年末以来。話も酒もすすんで大変楽しかった。翌朝、集合時間ギリギリに姫路駅到着。ちょうどt君が荷物を降ろしていた。聞けば明け方まで、HOゲージの車両を整備して寝坊しそうになったとか。一方で私は気楽な奴だと;
今回は演奏スペースが拡大され、鉄道は若干西側に移動。Gゲージには、7.0×3.5mの敷地を頂いた。今回は要領を得ているのか、極めて順調に進む。
警備を一緒に担当するのはSさん。この方も鉄道への造詣があるようで頼もしい。
開会前、早くも地元ケーブルテレビがカメラを回していた。

<10時>
気がつけば10時を回っており、少し拍子抜けしたスタートだった。
10時半頃より、主催者・駅長の挨拶があった。今日はすっかり春の陽気。

<11時>
運転は眠気との闘い?コントローラーのツマミだけで汽車は走るが、観客がいるので居眠りなどできない。そんな私を横目にGゲージの汽車は快調に走る。約1時間毎の車両交換とする。

<12時>
昼食後、祖父母に連れられて娘が来る。
実は昨夜、「転んで目じりを怪我した。明日、出かけられないかもしれない。助けて」
というメールが妻から届いた。
これは一大事。行事がある度に怪我する。先月は頭を打つし、私の行いが悪いのか・・。
慌てて電話したら、幸い軽傷で大したことないらしい。しかし今日9日の保護者の意見が、

「外出で化膿したらあかん。出かけんほうがええね」

だったので、子供を託して念願の休息を計画していた当人としては、こちらのほうで落胆が隠せなかったらしい。しかし今朝になって、傷口も開かず、娘本人も出かけたいと言うので、無事預ってもらえたようだ。バンソウコウ付。

<13時>
観客数はピークを迎える。吉川弾さんの演奏が始まる。
ちょうど勤務先の先輩、Kさん一家が加古川より到着。父母が美男美女なので、8歳の姉と5歳の弟も然り。羨ましい遺伝情報だ。演奏の爆音に子供たちは早々に退散してしまった。せっかく来てくれたのでお土産を渡す。

<14時>
いろんな方に声をかけていただく。

「スイス出張でこの汽車模型の工場を見たで」

正しくはドイツなのだろうが、関心を持つ方が多い。

HOゲージでは、紅白のストライプ「レインボー」客車の前後に機関車が付いて快走している。とにかく良く目立つ。Nは、地元の特急「スーパーはくと」が大人気。あまりの活躍に1両ダウンしたという。
ところで、こんな話を耳にした。観客はもちろん鉄道愛好家が多い。模型の列車編成等に、実物と異なるというような難癖をつける人がいるという。これは鉄によく見られる習性で、「一般人」の会議所スタッフの方は、当惑されただろう。私からすれば、単に仲間に入れて欲しくてスネているだけに見えるのだが・・。
ここGゲージは外国の車両で、しかも色だけ似せて実在しないものも多い。アメリカの機関車が、菓子人形を載せたドイツの貨車を牽いていても、誰一人として文句を言わない。固定概念に囚われないおおらかな鉄道模型は面白い。
Gゲージに興味を持つ方にきまって言うセリフは、

「C62の2番と3番の違いを気にする人にはあまりオススメできないかもしれません」

1番と2番ならいいかも?

<15時>
前回に引き続き、Uさん来場。
「模型店の掲示板に載せていいですか」
デジカメ片手に楽しそうで、当方も嬉しい。それならばサービスしたくなる。緑色のクラウス蒸気機関車を前牽き後押しで連結。息もぴったりS字カーブを走る。
15:30で運転終了のお達しが入る。

<16時>
撤収開始〜1時間で完了。今回は忘れ物のないように・・。
絵画は持ち帰れそうにないので、Tさんに保管をお願いする。
打ち上げがあるので、遅刻承知で一旦荷物を置きに帰る。私は参加者の中で遠いほうだろう。

<乾杯>
JRで姫路駅に到着。すでに19:40を回っていた。いちばん遅くなったが、皆さんに拍手で迎え入れてもらった。すでに成功の美酒で盛り上がっている。
今回の鉄道模型担当班は、商工会議所青年部のFさんと地元有志の鉄道愛好グループの方が中心。何処にも属さない私は、Tさん、Fさんの紹介で参加させてもらった。
というわけで、青年部の方から経緯について質問がくる。

「どんなつながりなんですか?」

「はい、Tさんの奥様と私の母が懇意でして」

「え、あの怖い奥さんとですか」

「・・・」

失礼を承知ながら、私の母と気の会う奥様は相当シッカリされた方だと察する。

2軒目ではすっかり出来上がり、気がつけば終電が近い。
今回、趣味を通じて様々なご縁を頂いた。好きな鉄道模型、しかもGゲージを持ち出して展示運転するというのは始めての経験。私にとって全てが手探りだった。
(今までは、せいぜい作ったジオラマを模型屋の親父に見せに行って、他の客に揚げ足取られて帰ってくる程度だった;)
すべての方とお話できなかったが、青年部の皆さんの熱意と興味が伝わってくる行事だった。自分が好きなモノで誰かに喜んでもらえたら、嬉しいことこの上ない。
いつも話の引き合いに登場のTさんには、今回を含めて様々なご縁を頂いている。模型は少々のお金で買えても、人との出会いは何処にも売っていない。いつも失礼ばかりですが、厚く御礼申し上げます。

私は鉄道しか知らない人間だが、今回出会った皆様と、また次の機会にお会いできる日を楽しみにしている。そして、鉄道模型班の皆様とは、今後も趣味の分野での末永いお付き合いができるのを楽しみにしている。

「二本の線路は交わらない。ずっと並んで走り続ける」

飲みながら誰かが言った。そう、2本の線路上を走るマニアの情熱は、一緒に鉄橋やトンネルを抜け、駅では線路が分岐して、また多くの仲間に繫がって分かち合っていく。それが本当の趣味の幅なのだと思う。

線路は続く〜そこにマニアが居る限り。

姫路駅前でタクシーを降りる。
前の座席から、実行委員長のYさんが、目を細めてにこやかに手を振って送ってくださった。
Yさんをはじめとする皆さんは、再び夜のネオンに消えていった。皆様、お疲れ様でした。

酒と鉄の日々。しばらく両方要らないかも。
そういえば金曜に勤務先で約束があった;;

| Rail&Hand | - | 23:50 | - | - |
続・ジャズステーション
昨日の姫路ジャズステーション・2回目の様子をダイジェストにて。
(詳細は後日)


Gゲージは、前回同様複線運転。今回は内側線に大カーブを設置。身をくねらせて走る様子が楽しい。よく見ると車両も増えています。
Gの機関車は想像以上に牽引力があることに気付きました。


貨車には製菓専門学校による人形と、市内洋菓子店提供の「姫路おでんケーキ」を搭載。変わった名称だが実は美味。純粋なケーキです。
前日準備時、ケーキを食べながら寝そべって列車を見て悦に入る方もいらっしゃいました。


Nゲージ全景。今回はジオラマや建物を設置して賑やかに。日本の鉄道模型の王道だけあって、相変わらず子供達に人気でした。


待機する膨大な数のN車両たち。よくここまで集めました。脱帽。何がどこにあるのかワカリマセン;


Nでは拙作ミニジオラマも展示させていただきました。JRの駅なのに何故か山陽電鉄ですが・・。


HOゲージにも建物が登場。すでに模型の域を超えた作品の日本家屋。
これらは特注品だとか。縮尺1/80の日本型建築物はほとんど自作に頼るのが実情なので、貴重な一品。


HOゲージはオリエント急行も登場。よく見ると日本仕様の連結器に交換してあります。密かに後方、同じ形の貨車が大量に並んでいるのも圧巻です。よく店に在庫があったものだと思います。


製菓専門学校による菓子作品。前回以上に気合が入っています。
これは「魔女の宅○便」のパン屋ですね。


吉川弾さん(右)のライブ。この方、プロミュージシャンですが、本業?は建築士だとか。マルチな才能を発揮されています。

前回の反省を踏まえ、各ブース・催し共にグレードアップした感がありました。準備、片付けも要領を得たのかスムーズに進行。
回数を重ねることで、より良い催事ができました。

夜の打ち上げでは、皆さん笑顔で良い汗を流した後の美酒を味わうことができました。皆様、お疲れ様でした。
本行事に際し、数々の配慮、ご尽力を頂いた商工会議所青年部の皆様に御礼申し上げます。
| Rail&Hand | - | 22:30 | - | - |
ジャズステーション〜第2回

ジャズステーション第2回が敢行された。
前日準備の後、Tさんと深夜まで飲んでヘロヘロになって帰宅。
Tさん、いつも調子に乗ってすみません…。
担当のGゲージ鉄道は居眠り運転になってしまいそうだった。観客がカメラを向けるのでおちおち欠伸も出来ない;
各鉄道模型もジャズ演奏も、前回より充実した内容だった。
詳細は後ほど。

これから、商工会議所の皆さんと姫路駅近くの店で打ち上げ。
荷物を置くため一旦帰宅し、締めは鉄道で出直す。
雨が降りはじめた。イベント成功に高揚した気分を諫めるように。車中にて。

| Rail&Hand | - | 19:20 | - | - |
気合十分?
さて、明後日に迫った、姫路駅2回目のジャズステーション。

今回は吉川弾さんというプロのミュージシャンも出演され、前回のPR効果もあって多くの来場者が見込まれる。

我々鉄道模型担当組は、前回の反省点を踏まえる。
建物や情景小物が少ないという意見から、Nスケールの拙作ジオラマも展示していただけることになった。
ついでに手元にある、「街並コレクション」の商店や民家も提供することに。あわてて組立てる。

Gゲージは追加投入により、路線延長でS字カーブを設置しようかと思案中。仕事中にヘンな形をメモ帳に描く。

「何書いてんの?」
「な、なんでもありませんよ;」
「時々、朝から電卓で計算したりヘンな形の落書きしとるなよな」

普段は真面目に働かないくせに、こんなときだけ気合が入る?

“成功の美酒を一緒に飲めることを楽しみにしています”
実行委員長よりメールが届いた。

いよいよ搬入は明日。
前回以上に盛大な1日となりますよう。
| Rail&Hand | - | 23:21 | - | - |
着メロ
携帯を新調して以前取り寄せた着信音が消えてしまった。
そこで、見つけたのがBSN(新潟放送)のサイトの着メロ。
ローカルネタ極まりないが、あの「今すぐ使える新潟弁」コーナーに登場する“山本さん”のボイス。その名も「山本さんの、おめさん電話らよ!」

「おめさん、ほれ電話らよ〜電話らよ〜でなて。まだでらんねんだ〜。いそ〜がしいんらねぇ。やかましなってきたすけでれて。電話でねえで何してんらか。でぇーじな電話らかもしんねえよぉ。お、恋人らかね?ほれ、電話らよ〜電話らよ〜」

なかなか濃密な着信ボイスだ。電話が鳴るたびにふるさとを思い出すにはもってこい。新潟で鳴ったら少し恥ずかしいが・・。試しに東京駅の新幹線ホームや、大阪空港の新潟便待合で、どのくらいの反応があるか試してみたいものだ。

と、いうわけで着信音は迷わずこいつに決定する。

他に「さっさん(佐藤さん)の、自分、電話らねっけ!」というものもあった。

| Rail&Hand | - | 22:28 | - | - |
寿司デビュー


今日は妻が通院のため、休みをもらった。
妻が出かけた後、息子は実家に預け、娘を連れて携帯電話の機種変更に行く。
現在の機種は既にバッテリーが寿命。機種に執着はないので、最新でなくても構わない。今月はauのキャンペーンで、先代モデルが無料になった。2年間の利用が前提だが。流行りの?テレビ付き。

娘と2人で昼食に行く。
娘は今日が回転寿司デビュー。妻は生物が苦手で刺身や握り寿司は残念ながら食卓に上がらない…。
近くに昨年開店した店で、回転寿司とはいえ店舗が放つ雰囲気から気になっていた。平日の昼前なのか空いている。座敷で食べられるのも良い。
肝心の味は…ファミリー向け全品100円の店とは違う。値段相応かも。「ズリ」とかソソラレル物も。ビールでも欲しいところだが車なので我慢。
娘はウインナー巻と稲荷とケーキを食べていた。まだ安上がりな好みの年代。雑誌付録の回転寿司ごっこで散々遊んだので、回るトレーに喜んでいた。

「こんどはゼリー来ないかな」
「今ケーキ食べてるでしょ…」

そんな回転寿司の父娘は訳ありの親子に見えたかもしれない…?

| Rail&Hand | - | 21:54 | - | - |
オバマとツルガ
アメリカ大統領選の民主党候補者指名争い中のオバマ氏。
そのオバマ氏から福井県小浜市に手紙が届いたという。同じ名前なので小浜市がメッセージを送った返事らしい。さすがジョークの分かるアメリカ人。
ジョークにならない場所がある。同じ福井県の敦賀市。
来月、勤務先幹部の一泊旅行の行先となった。毎度ながらヒラの私達は強制参加…。
今回は何故敦賀か。新快速の終点、青春18切符で行ける場所故。長浜の宿が満員だったらしい。
付き合いとは云え、とにかく行きたくない…。毎回ボヤイているが、わざわざ気遣いに行くようなもので、会費だけ払うから勘弁してほしい位。
ちなみに昨年の今頃は貸切バスで大山だった。

北陸の玄関口、敦賀。10代の頃から何度も乗換え等で降り立った。
北海道へ行く新日本海フェリーが出港する街。
新潟からの特急に乗っていると、長い北陸トンネルを抜けて敦賀に着く。やっと関西という気分になった。敦賀を出ると山を越えるため、ループ線を通過する。再び敦賀の街が見える。
敦賀駅のカーブしたホーム、広い構内。カマボコ会社の看板。街のアーケード。これでもかというくらい巨大な「8」と表示された国道標識。夜中に並ぶラーメン屋台。鉛色の空。日本海側を実感させる場所。
そんな敦賀市に罪はない。
どうか敦賀の思い出を塗りかえないでくれ…。

| Rail&Hand | - | 21:49 | - | - |
やんちきちん
今日から昼間は一人で二人の子を見るようになったので、日々戦場になったらしい。
それでも妻当人曰く、精神的に疲れるよりも肉体的に疲れるほうがまだ楽らしい?

相変わらず家の中は散らかり放題。止むを得ない。
実家から運んできたナイロン袋に衣類が詰め込まれたまま。

「大変そうやね。何かしようか」
「じゃあ自分の服片付けて」

それにしても着なくなった昔の服。破れたものまである。潔く処分。
その昔、今はなきマルヨシで買ってもらった靴下まで出てきた。すでに破れている・・。

「やんちきちん」というのは散らかっている状態を指す。しかし、播磨地方どこに行っても聞かない言葉のようなので、我が実家オリジナルの表現なのかもしれない。
| Rail&Hand | - | 22:25 | - | - |
くぎ煮

神戸に住む母の友人から「いかなご」の「くぎ煮」が届いた。つい先日、漁が解禁になったばかり。私の実家ではくぎ煮を作らないが、家庭によって味が異なるという。
この家は山椒が異常に強く、舌がしびれるほど。それでも今年は少ないらしい。もらって言うのもなんだが、生姜味の方が好きだ。

今年は漁獲量が少ないらしく、貴重な「くぎ煮」
春を呼ぶご飯の友。勿論、娘も喜んで食べる。

今日は外出しても暖かい一日だった。
妻と娘が食料品売り場に行っている間、スーパー併設の家電店へ。
そこで中学校の同級生、M君に偶然会った。
彼は大学卒業後、途中で一念発起して4年ほど前から小学校の先生をしている。立派だ。
6年生の担任で卒業式を控え、ビデオカメラを探しているという。
かくいう私もちょうどビデオカメラ用のDVテープを買おうと持っていたので、子供の話になった。彼は子供はまだらしいが、お互い年を取ったもんだ。

さて、自宅での暮らしは試行錯誤のスタート。

10年前の今日は何をしていたか。集会室の長机と椅子、自販機を覚えている・・。
そして、10年後の今日は何をしているやら。



| Rail&Hand | - | 20:45 | - | - |
桃の節句とお食い初め

今日は、娘の雛祭りと息子のお食い初め。
座敷にて定番の構図(?)にて開催。

二人目の儀式というものは、あっさり終了する。初膳についてくる「石」は娘が持っていってしまうし・・。

さて、その昼食を境に、自宅に生活の基盤が戻った。
昨年10月2日に妻が入院して以来なので、5ヶ月振りということになる。
自宅で過ごしたのは12月、義母の滞在中くらいだった。
昼間は子供2人抱えるので、子守と夕食はしばらく実家に頼ることにしているが。長い間お世話になりました。我が家は典型的なパラメディカルいや、パラサイトだ。まあ、むこうもホッとしているだろう。

安堵か引越しの疲れか、夕方に風呂を済ませ、18時に布団に入ったら、日付が変わる前まで寝てしまった。
(たいてい行事の後は疲れ果てている。いつものVTRの如く・・)

廊下に荷物が散乱しているが、片付けは後日。

しかも、ここパソコンのある部屋は、次回姫路駅行事のGゲージ段ボール箱の山;人間のいる場所がほとんどない。来週までの辛抱。
ウチには無線LANがないので、ここで使うしかない。

春は目の前に。
今日から元の暮らしです。
| Rail&Hand | - | 23:54 | - | - |
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