2006.08.24 Thursday
握手
もう2週間ほど前の話である。
情けない話だが、子供が生まれてからというもの、私も妻もストレスになる事が多く、どうでもいいようなことでイライラしたり、口論を繰り返してきた。その度に、どうせ自分はダメな親父だと、口癖のように言ってきた。(実は、夫婦揃って閉鎖的な北国の冬のようなネガティブ人間なのです・・)
夕食時、冷静に話した。
「なんで週末は言い争いになっちゃうんだろうね・・」
「そんなつもりはないのに、つい・・」
「私も初めての子供で不安があるから、疲れてて」
「疲れているのはよく判ってるよ。やっぱり僕自身が自分に自信がないから、引っかかる言い方をするんでしょう。やっぱり職業観の問題が根底にあるんだよ」
「そうよ。いつも言うそれに尽きるわ」
その通り。これも情けない話だが、私は今の職業に満足していないのが本音なのだ。少なからず劣等感みたいな物を抱き続けている。そして、家族の将来に不安を抱き続けている。エアコンの効いた場所で、力仕事もノルマもなく定刻に終業し、正職員でボーナスも一応貰えるというのに・・胸を張ることはない。
この仕事をしてよかったと思った瞬間は?という質問には躊躇してしまう。「お中元の残りのビールをもらえた時」とか、「欲しかった鉄道模型が買えた」回答にならないような物しか思いつかない。悲しいかな、勤続8年目。実は仕事が面白いと思ったことは特になく、無感動なのだ。別に不真面目なわけではない。単に私が無気力な人間なのかもしれないが、無気力だったら趣味に力が入ったりしない。ということは、この仕事が自分に適していないのだろうか。給料出たら小遣いで、ドイツのHOゲージ買おう。等というのが糧だったりする。それでもよい。しかし正直なところ、「もうちょっと働くから給料上げてよ」というのが本音だ。人間見上げればキリがない。
何のために働くのかという質問がある。自分のスキルアップの為、この仕事が楽しいから、給料を貰う為、家族を養う為、様々な回答があると思うが、今の自分は家族を養うのが条件だ。今の職業にこだわる理由はそれ位しか思いつかない。その条件を第一に考えてみると、自分の仕事に決定的な苦痛はなく、人間関係も特に問題なく、それに見合うだけの報酬。「まあ、仕方ないか」と日々甘んじて、好きな趣味に逃避しつつ惰性で過ごしているのが、時々もどかしくなる。他のお父さん達のように、たいして頑張っていないのに・・と思うと、自分の甲斐性のなさを感じ、家族に申し訳なくなる。(その割には体調を崩したりしているが・・)同じような事を考えている人は私以外にもいることだろう。可も不可もない現状に、年齢や自分の環境を思うと腰が上がらない人は多いはず。昔のように右肩上がりにならない世の中だから余計に感じるのかもしれない。
友人が赤貧の苦労の末、行政書士を開業した。ワラにもすがる思いで相談に訪れた依頼者の在留資格がやっと認められたとき、依頼者の笑顔に、この仕事をして本当に良かったと思ったそうだ。そんな彼が少し羨ましくもある。「ああ、もうちょっと俺、人生で頑張られたかもしれないな〜」という動機があったそうだ。さらに彼は司法書士を目標として精進している。
こんなことを言っているが、依然厳しい雇用情勢を考慮すると、私の悩みは贅沢だ。仕事も家庭もちゃんとあるのだから。少子化の要因のひとつに、正社員に就けない人の増加が挙げられる。確かに出産には保険が効かないので、多少のお金は必要だ。国策で考えていかねばならない問題だと思う。
冷静に自分の根底にある物を見つめた。
「別に困ってないし、私は普通に幸せよ、ね」
「ありがとう。一方的にすねてごめんなさい・・」
妻と握手をして手を離した瞬間−
「パーパ」と、一部始終を見ていた、まだ1歳になったばかりの娘の小さな手が私の手を握ってきた。
まるで「私も応援しているから頑張ってね」と言うように・・
涙が溢れ、娘を抱きしめた。
会話はできなくても、赤ん坊でも、子供は親の一挙一動を何でも見つめている。母親を真似ただけかもしれないが、理解しているのだろう。子供に教えられるというのはまさにこういうことだ。
さすがに目からウロコが落ちる思いだった。現状が本当に嫌ならば、自分の力で打破して、技能を身につけて、本当にやりたい仕事に就けばよい。今、それができないならば、不平不満を言うだけ不毛な時間だ。そもそも自分が選んだ道なのだから。文句言う暇があれば、洗濯物の1枚でも干せば良い。
愚痴はいっこうに言っても構わぬが、自信まで喪失する必要はない。
ただ、今のまま諦めてしまいたくはない。そんな気持ちは変わらない。
この握手で、少しだけ人生が気楽になったように思う。娘はそんなことまで分かっていないのだが。
しばらく倒れて遅くなったが、かような出来事があったのだ。
情けない話だが、子供が生まれてからというもの、私も妻もストレスになる事が多く、どうでもいいようなことでイライラしたり、口論を繰り返してきた。その度に、どうせ自分はダメな親父だと、口癖のように言ってきた。(実は、夫婦揃って閉鎖的な北国の冬のようなネガティブ人間なのです・・)
夕食時、冷静に話した。
「なんで週末は言い争いになっちゃうんだろうね・・」
「そんなつもりはないのに、つい・・」
「私も初めての子供で不安があるから、疲れてて」
「疲れているのはよく判ってるよ。やっぱり僕自身が自分に自信がないから、引っかかる言い方をするんでしょう。やっぱり職業観の問題が根底にあるんだよ」
「そうよ。いつも言うそれに尽きるわ」
その通り。これも情けない話だが、私は今の職業に満足していないのが本音なのだ。少なからず劣等感みたいな物を抱き続けている。そして、家族の将来に不安を抱き続けている。エアコンの効いた場所で、力仕事もノルマもなく定刻に終業し、正職員でボーナスも一応貰えるというのに・・胸を張ることはない。
この仕事をしてよかったと思った瞬間は?という質問には躊躇してしまう。「お中元の残りのビールをもらえた時」とか、「欲しかった鉄道模型が買えた」回答にならないような物しか思いつかない。悲しいかな、勤続8年目。実は仕事が面白いと思ったことは特になく、無感動なのだ。別に不真面目なわけではない。単に私が無気力な人間なのかもしれないが、無気力だったら趣味に力が入ったりしない。ということは、この仕事が自分に適していないのだろうか。給料出たら小遣いで、ドイツのHOゲージ買おう。等というのが糧だったりする。それでもよい。しかし正直なところ、「もうちょっと働くから給料上げてよ」というのが本音だ。人間見上げればキリがない。
何のために働くのかという質問がある。自分のスキルアップの為、この仕事が楽しいから、給料を貰う為、家族を養う為、様々な回答があると思うが、今の自分は家族を養うのが条件だ。今の職業にこだわる理由はそれ位しか思いつかない。その条件を第一に考えてみると、自分の仕事に決定的な苦痛はなく、人間関係も特に問題なく、それに見合うだけの報酬。「まあ、仕方ないか」と日々甘んじて、好きな趣味に逃避しつつ惰性で過ごしているのが、時々もどかしくなる。他のお父さん達のように、たいして頑張っていないのに・・と思うと、自分の甲斐性のなさを感じ、家族に申し訳なくなる。(その割には体調を崩したりしているが・・)同じような事を考えている人は私以外にもいることだろう。可も不可もない現状に、年齢や自分の環境を思うと腰が上がらない人は多いはず。昔のように右肩上がりにならない世の中だから余計に感じるのかもしれない。
友人が赤貧の苦労の末、行政書士を開業した。ワラにもすがる思いで相談に訪れた依頼者の在留資格がやっと認められたとき、依頼者の笑顔に、この仕事をして本当に良かったと思ったそうだ。そんな彼が少し羨ましくもある。「ああ、もうちょっと俺、人生で頑張られたかもしれないな〜」という動機があったそうだ。さらに彼は司法書士を目標として精進している。
こんなことを言っているが、依然厳しい雇用情勢を考慮すると、私の悩みは贅沢だ。仕事も家庭もちゃんとあるのだから。少子化の要因のひとつに、正社員に就けない人の増加が挙げられる。確かに出産には保険が効かないので、多少のお金は必要だ。国策で考えていかねばならない問題だと思う。
冷静に自分の根底にある物を見つめた。
「別に困ってないし、私は普通に幸せよ、ね」
「ありがとう。一方的にすねてごめんなさい・・」
妻と握手をして手を離した瞬間−
「パーパ」と、一部始終を見ていた、まだ1歳になったばかりの娘の小さな手が私の手を握ってきた。
まるで「私も応援しているから頑張ってね」と言うように・・
涙が溢れ、娘を抱きしめた。
会話はできなくても、赤ん坊でも、子供は親の一挙一動を何でも見つめている。母親を真似ただけかもしれないが、理解しているのだろう。子供に教えられるというのはまさにこういうことだ。
さすがに目からウロコが落ちる思いだった。現状が本当に嫌ならば、自分の力で打破して、技能を身につけて、本当にやりたい仕事に就けばよい。今、それができないならば、不平不満を言うだけ不毛な時間だ。そもそも自分が選んだ道なのだから。文句言う暇があれば、洗濯物の1枚でも干せば良い。
愚痴はいっこうに言っても構わぬが、自信まで喪失する必要はない。
ただ、今のまま諦めてしまいたくはない。そんな気持ちは変わらない。
この握手で、少しだけ人生が気楽になったように思う。娘はそんなことまで分かっていないのだが。
しばらく倒れて遅くなったが、かような出来事があったのだ。