2008.06.28 Saturday
伝説の6月・1993〜PART1
6月ももうすぐ終わり。
今から15年前の1993年6月。新潟在住の頃。
3週連続で県外へ出かけるという、当時新入生の私にとって前代未聞の初体験
だった。体力も懐も疲れたが、後世に語られる(?)6月となった。
6月5日は、長野へ日帰りドライブ。何で鉄研で車だ?と思ったりしたが、以後それが常識となる。
早朝、Tさんのシャレード、YさんのカローラFX、Tさんのラングレーが集結した。いずれも絶版車で時代を感じる。
思えばYさんに初めて会ったのはこのときで、すでに社会人だった。それから15年を経ても、今こうして帰省する度に当時と同じく(以上に)騒いでいるというのは不思議な縁を感じる。
さて、私はTさんのシャレード(1985年式・2代目)に乗車。
エンジンをかけると“ドッカーン”何とディーゼル車だった。しかも1,000cc
後付けクーラーらしく、誰かが、
「この車は非力なディーゼルの冷改車だから“キハ02の500番代”だ」
このとき同行した同期のS君がシャレードの虜になり、彼は後にシャレード最終モデルまで乗り継ぐことになったというのは有名な話。地味なクルマが妙に有名になった。今でこそ小型車がもてはやされる時代だが、当時は軽自動車の延長みたいな扱いだった。
飯山線・越後鹿渡にて。キハ52飯山線色。(同線からはすでに撤退している)
Tさんのキハは河岸段丘のワインディングを勢いをつけて上る。
「こうしないと坂登らないの。あ、助手席の手巻きウインドゥね、力入れると折れるから」
何とも味のある方だ。(現:建築士・名古屋在住・2児の父)
新緑まぶしい季節。長岡、小千谷、川口、十日町を経由して長野を目指す。
長野市内に入り、戸隠神社付近で昼食に蕎麦を食べ、鬼無里村を経由して白馬へ。とにかく道が悪い。隣県でこうも違うのか。
大糸線・白馬駅にて。183系特急「あずさ」この電車も現在は引退している。
何も考えずに撮影したものが、結果として記録になっている。
大糸線・平岩付近にて。キハ52大糸線色。
この頃は、冬季にシュプール号が乗り入れたり、同線の列車本数は多かった。
1995年の台風による土石流でこの辺りは壊滅的な被害を受けた。
写真好きのTさんゆえに、時々撮影タイムがあった。
南小谷を経て、姫川沿いに糸魚川を目指す。長野五輪までまだ時間があるためか、国道148号の改修はあまり進んでおらず、結構な隘路だった。日本海側と信州をフォッサマグナ沿いに結ぶ「塩の道」だけあって、大型車が多い。雪除けのトンネル内で、小さなシャレードは風圧にあおられる。
日本海側・糸魚川に入り、上越市で日が暮れた。市内の和食レストランで夕食。まだ「大食漢の鉄研」という頭角が現れる前で、皆概しておとなしかった。
その翌週は新入生歓迎合宿だった。
今から15年前の1993年6月。新潟在住の頃。
3週連続で県外へ出かけるという、当時新入生の私にとって前代未聞の初体験
だった。体力も懐も疲れたが、後世に語られる(?)6月となった。
6月5日は、長野へ日帰りドライブ。何で鉄研で車だ?と思ったりしたが、以後それが常識となる。
早朝、Tさんのシャレード、YさんのカローラFX、Tさんのラングレーが集結した。いずれも絶版車で時代を感じる。
思えばYさんに初めて会ったのはこのときで、すでに社会人だった。それから15年を経ても、今こうして帰省する度に当時と同じく(以上に)騒いでいるというのは不思議な縁を感じる。
さて、私はTさんのシャレード(1985年式・2代目)に乗車。
エンジンをかけると“ドッカーン”何とディーゼル車だった。しかも1,000cc
後付けクーラーらしく、誰かが、
「この車は非力なディーゼルの冷改車だから“キハ02の500番代”だ」
このとき同行した同期のS君がシャレードの虜になり、彼は後にシャレード最終モデルまで乗り継ぐことになったというのは有名な話。地味なクルマが妙に有名になった。今でこそ小型車がもてはやされる時代だが、当時は軽自動車の延長みたいな扱いだった。
飯山線・越後鹿渡にて。キハ52飯山線色。(同線からはすでに撤退している)
Tさんのキハは河岸段丘のワインディングを勢いをつけて上る。
「こうしないと坂登らないの。あ、助手席の手巻きウインドゥね、力入れると折れるから」
何とも味のある方だ。(現:建築士・名古屋在住・2児の父)
新緑まぶしい季節。長岡、小千谷、川口、十日町を経由して長野を目指す。
長野市内に入り、戸隠神社付近で昼食に蕎麦を食べ、鬼無里村を経由して白馬へ。とにかく道が悪い。隣県でこうも違うのか。
大糸線・白馬駅にて。183系特急「あずさ」この電車も現在は引退している。
何も考えずに撮影したものが、結果として記録になっている。
大糸線・平岩付近にて。キハ52大糸線色。
この頃は、冬季にシュプール号が乗り入れたり、同線の列車本数は多かった。
1995年の台風による土石流でこの辺りは壊滅的な被害を受けた。
写真好きのTさんゆえに、時々撮影タイムがあった。
南小谷を経て、姫川沿いに糸魚川を目指す。長野五輪までまだ時間があるためか、国道148号の改修はあまり進んでおらず、結構な隘路だった。日本海側と信州をフォッサマグナ沿いに結ぶ「塩の道」だけあって、大型車が多い。雪除けのトンネル内で、小さなシャレードは風圧にあおられる。
日本海側・糸魚川に入り、上越市で日が暮れた。市内の和食レストランで夕食。まだ「大食漢の鉄研」という頭角が現れる前で、皆概しておとなしかった。
その翌週は新入生歓迎合宿だった。