Zakkan (雑感)

趣味の雑感。
時刻表昭和史
JR米坂線・今泉駅(山形県)と聞いてピンと来るひとは、鉄道紀行作家・宮脇俊三ファンだろう。
宮脇氏はこの駅前で玉音放送を聞いた。(宮脇俊三著「時刻表昭和史」収録)
東京帝国大に入学した当時18歳の宮脇氏は、エリート軍人である父親とともに、疎開先の新潟県村上市へ向かう道中だった。今泉駅は米坂線と長井線(現:山形鉄道)の接続駅。乗換えで降り立った。宮脇氏は父親とともに山形県大石田の炭鉱を視察してから家族の待つ村上へ向かっていた。

『駅前広場中央には机が置かれ、その上にラジオが載っていた。
人々が黙々と集まってきてラジオを半円形に囲んだ。
父親が「いいか、どんな放送でも黙っているのだぞ」と耳元でささやき、腕を握った。
放送が終わっても人々は棒のように立っていた。離れてよいか迷っているようでもあった。めまいがするような真夏の蝉時雨の正午。』


私が今泉駅を訪問したのは1993年6月のこと。私もまた18歳だった。宮脇氏のあの文面を自分の眼で確かめたかった。新潟から米坂線で山形へ。同時に初めて山形県の土を踏んだ。合宿へ行くついでに立ち寄った。


今泉駅は長井市の外れにある。周囲は田園。狭い駅前広場は閑散としている。
6月中旬だというのに真夏のような陽気だった。
宮脇氏はこの駅前で終戦を迎えた。


『時は止まっていたが汽車は走っていた。まもなく女子の改札係が坂町行が来ると告げた。こんなときでも汽車は走るのか、信じられないような思いがしていた。
けれども坂町行は入ってきた。いつもと同じ蒸気機関車が何事もなかったかのように牽引して。
機関士たちは天皇の放送を聞かなかったのだろうか。あの放送は全国民が聞かなければならなかったはずだが。
昭和20年8月15日正午という歴史的時刻を無視して、日本の汽車は時刻表どおりに走っていた。』


画像:跨線橋から坂町方面を望む。新潟行快速「べにばな」が発車するところ。(同日撮影)

『汽車が平然と走っていることで、私の中で止まっていた時間が再び動き始めた。』

8月15日正午も間違いなく汽車は走っていたという宮脇氏の証言こそ、終戦をリアルに描写しており、その場に立ち会ったような錯覚に陥る。
宮脇氏の意識の中の心理的な時間と、外に流れる物理的な時間の違いを、終戦を知ったという歴史的に重要な瞬間を捉えて、これほどまでに明確に示している読み物は他に類がないかもしれない。
大正15年生まれの宮脇氏は、青年期に日本の激動を目の当たりにしており、単なる旅行記ではなく、戦前・戦時中の世相や生活のようなものが如実に表現されているようだ。
今泉駅舎は明らかに戦後に建て替えられたものだが、周囲の緑や遠くに望む飯豊連峰などは半世紀前と変わらないはず。静かな駅前で本を読み返してみた。

という訳で「終戦の日」にふさわしい話題でした。



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