2011.09.11 Sunday
11日に思う〜チャリティジオラマ
東日本大震災から半年。
アメリカのテロ事件から10年。
災害と戦争、性格は異なるが、いずれにしても、当事者にとっては突然平穏な日常を剥ぎ取られた悲しい出来事。
数日前の新聞記事を読んで思った。
日本人には強迫的精神があるとういう。私たちは「禊ぎ」「祓い」「清め」によって様々な嫌なことを処理しながら生きている。厄年、大掃除、忘年会など、懸案事項はその都度リセットし安堵を得ている。
ところが、今回の震災で容易に片付かないものを背負ってしまった。それは放射能の問題。大丈夫だと言っていた原発が、実は大丈夫じゃなかった。
私たちはこの問題に直面して生きていかねばならない。傷ついた日本を見ていかなかればならない。「障子を覗いたら美女ではなく鶴だった」という結末のように。
寄稿者の精神科医・きたやまおさむ氏は、
“それでも、楽しいもの、美しいものは求められる。そこで見つけられる芸術や文化は「きれいごと」よりもホンモノの強さを持っているのではないかと思う”
なるほど。
半年間、「強迫的」と言っていいのか、そのような想いを胸に潜めていたような気がする。
趣味は、平穏な日常があって初めて楽しむことができる。同じ趣味を持つ人でも、それどころじゃないケースもあるだろう。
「祓い」ということではないが、趣味が僅かでも人様のためにならないものか。楽しいものは必要ではないか。
という訳で、今回製作したジオラマをチャリティオークションとして出品してみました。
このような道楽の一端でも、必要とされる方の手に渡り、必要なところへ売上げが寄付されるのが理想ではないかと。
最近Building〜サボってましたしね。
下記内容です。
アメリカのテロ事件から10年。
災害と戦争、性格は異なるが、いずれにしても、当事者にとっては突然平穏な日常を剥ぎ取られた悲しい出来事。
数日前の新聞記事を読んで思った。
日本人には強迫的精神があるとういう。私たちは「禊ぎ」「祓い」「清め」によって様々な嫌なことを処理しながら生きている。厄年、大掃除、忘年会など、懸案事項はその都度リセットし安堵を得ている。
ところが、今回の震災で容易に片付かないものを背負ってしまった。それは放射能の問題。大丈夫だと言っていた原発が、実は大丈夫じゃなかった。
私たちはこの問題に直面して生きていかねばならない。傷ついた日本を見ていかなかればならない。「障子を覗いたら美女ではなく鶴だった」という結末のように。
寄稿者の精神科医・きたやまおさむ氏は、
“それでも、楽しいもの、美しいものは求められる。そこで見つけられる芸術や文化は「きれいごと」よりもホンモノの強さを持っているのではないかと思う”
なるほど。
半年間、「強迫的」と言っていいのか、そのような想いを胸に潜めていたような気がする。
趣味は、平穏な日常があって初めて楽しむことができる。同じ趣味を持つ人でも、それどころじゃないケースもあるだろう。
「祓い」ということではないが、趣味が僅かでも人様のためにならないものか。楽しいものは必要ではないか。
という訳で、今回製作したジオラマをチャリティオークションとして出品してみました。
このような道楽の一端でも、必要とされる方の手に渡り、必要なところへ売上げが寄付されるのが理想ではないかと。
最近Building〜サボってましたしね。
下記内容です。