Zakkan (雑感)

趣味の雑感。
あぶらげ

栃尾の「あぶらげ」通販で購入。
早速トースターで炙り、生姜醤油で食べる。
納豆を挟んだり味噌をつける食べ方もあるが、やっぱりプレーンがいちばん。
新潟県栃尾市(現在は長岡市に合併)は山に囲まれた静かな地で、山間部には棚田が広がる。上杉謙信が初陣を飾った栃尾城址もある。
この大きな「あぶらげ」(油揚げ)の由来は、馬の仲介人が商売成立の際、ジャンボ油揚げを肴に酒を酌み交わしたことから。
馬の売人を「馬喰」(ばくろう)と言う。それが新潟方言では訛って、馬喰さん→馬喰どん→「ばくろろん」となった。

栃尾鉄道という話は以前にしたが、もうひとつ、栃尾といえば「越後の奇祭」として有名な「ほだれ祭り」がある。
栃尾中心部から車で約20分、山古志村(現:長岡市)にもほど近い下来伝地区で毎年3月、新婚1年未満の花嫁が、高さ2.2メートル、重さ約600キログラムと日本一巨大な男性器形の道祖神である御神体に跨り、これを神輿として担ぎ地区内を練り歩くというもの。
「子宝」「安産」「縁結び」「五穀豊穣」を祈願している。近年は日本国外からも多くの観光客が訪れる祭となっている。
「ほだれ」とは「穂垂れ」つまり稲穂が実り頭が垂れ下がる状態を意味する。
お土産に御神体の瓶に入った酒や御神体を模した饅頭や飴があるらしいがあまり欲しくない・・。

| Rail&Hand | - | 19:30 | - | - |
ありし日の片上鉄道2
片上鉄道の続編。
こちらは片上駅構内(備前市)
写真には「1989年9月24日」とある。
片上駅は柵原鉱山より産出された鉱石の積出港だった。

当時中学生だった私は構内の踏切より撮影した。
機関区に集う車輌。このうち、左側のディーゼル機関車DD13-551、右側の気動車キハ303(元国鉄キハ04)、後方に見えるキハ702(元国鉄キハ07)が走行可能な状態で展示されている。中央のキハ802はこの場所で廃車解体された。
戦前の車もあり、現役で走ること自体驚異的。
なお、画像の場所は現在「マックスバリュ」になっている。


先程の画像の反対側を望む。
鉱石の積出施設。すでに1987年より鉱石輸送はトラックに切り替えられており貨車は御役後免となっていた。朝夕の通勤列車に使用される客車達も昼間はここで寝ているようだ。画像の場所は現在高齢者福祉施設になっている。


鉱石を運搬するという本来の目的を失った片上鉄道は、その2年後廃線となった。

| Rail&Hand | - | 02:48 | - | - |
ありし日の片上鉄道1
1991年6月30日で廃止された、同和鉱業片上鉄道。
岡山県柵原町(現:美咲町)で産出された硫化鉄鉱を備前市の片上港まで運搬するために敷設された全長33.8kmの地方鉄道。のどかな沿線風景と可愛らしい赤いとんがり屋根の駅、国鉄からの払い下げ車、鉱石運搬列車など、鉄道ファン垂涎の風景があった。
硫化鉄鉱は化学肥料の原料となる。戦後の食糧増産で昭和30年代に同鉄道は全盛期を誇ったが、輸入鉱石の影響を受けた鉱山の衰退に伴い廃線。
近くにありながら遠い鉄道路線だったが、最も思い入れのある鉄道のひとつに数えられる。
早いものでまもなく廃止から18年が経過する。

臨時列車「ふるさと号」周匝(すさい)駅にて。ヘッドマークの文字から、「1988年11月20日」と読み取ることができる。

同列車の後姿。最後尾は同鉄道オリジナルのオープンデッキ付。
5両編成の旧型客車で片上鉄道が所有する客車を総動員しての運行だったという。通常は朝夕の通勤輸送に2、3両編成で使用されていた。


終点柵原の1つ手前にある吉ヶ原駅。(同日撮影)
人影の無い夕刻に寂しさが募ったのを思い出す。


同駅は現在「柵原ふれあい鉱山公園」として整備され、後方の車輌は1998年より構内に残された線路で動態保存されており乗車可能。まさか復活するとは夢にも思わなかった。地域と愛好者の熱い思いが実った。
画像は1999年4月撮影。


月1回展示運転されていた鉄道は、大規模な改修を行うために現在運休中。本年中に「2度目の復活」を目指している。
保存活動は全てボランティアの手によるもので、地道な努力にいつも頭が下がる思い。私が協力できるのは訪問とグッズ購入程度だが。

片上鉄道保存会↓(駅長猫もいる)
http://www.ne.jp/asahi/katatetsu/hozonkai/
| Rail&Hand | - | 02:47 | - | - |
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