2012.07.25 Wednesday
おバカな帰り道
振休を兼ねて早く退勤できたが、結局中途半端な時間。まっすぐ帰っても夜。
「青春18きっぷ」は5回分あり、余らせるよりも積極的に使うことにする。
と、いうわけで帰り道、加古川駅に降り立った。
加古川線、西脇市から数少ない谷川行に接続する列車があることに気づき、早速乗車。
西脇市から先、乗客は10名ほど。長閑な風景に眠くなる。
終点・谷川に到着。福知山線の接続駅。谷川駅は丹波市に位置し、播磨とは異なる雰囲気。福知山線は谷川駅前後で大きくカーブしている。地図を見ると興味深いルートを採用している。カーブの両端を山の裏側で繋いでエンドレスに出来そうだ。まるで鉄道模型のレイアウトプランみたいだ。
古く開業した福知山線は極力山越えを避けるため、川沿いルートで敷設された。この付近に日本一低い分水界(標高95.45m)があることも関係あるだろう。瀬戸内海側・加古川と日本海側・由良川へ流れる水が別れる場所が丹波市氷上町にある。
などと考えていたら「丹波路快速」が到着。ここにも225系が投入されている。
兵庫県の外れに行くにしたがって、下車客が増える。私の車両はわずか3名に。
福知山線といえば過密ダイヤ・大事故のイメージがあるが、篠山口以北は単線、各駅停車が1時間に1本程度しかないローカル線。
福知山の1駅手前、丹波竹田で7分停車。特急「こうのとり」に道を譲る。
新型ではなく、JR西日本内で唯一となった国鉄特急色だった。
終点・福知山に到着。高架化後初めて降り立つ。
豊岡行(左側の電車)に乗り換え。
ここから山陰本線に入る。山陰本線沿いの風景といえば、餘部鉄橋、大山、車窓の日本海などを思い浮かべる方は多いことだろう。
私にとって山陰本線といえば、京都府〜兵庫県にかけての区間が印象的だ。(下夜久野〜上夜久野)
列車は両側を山に挟まれた川沿いの段丘を走る。蛇行する川を何度も渡る。
川の対岸は国道9号線、眼下に重厚な瓦葺の集落が点在する。竹藪、杉木立、風に踊る稲、緑豊かな日本の風景が広がる。
やたらカーブが多く、この先に走る線路が続いているのが見える。
瀬戸内海側では感じられない風景の広さ、スケールを感じる。日本海側へやってきたという感覚になる。
今は近代的な電車だが、機関車牽引の窓が開く客車だった頃はさぞかし旅情に溢れていたことだろう。
兵庫県に戻り和田山到着。有名なレンガ機関庫は撤去中で、カバーと足場で隠れていた。
播但線・寺前行に乗車。この区間はディーゼルカー。
和田山〜寺前間は1時間以上間隔が開く。乗客は1ボックスに1名程度で、和田山付近の播但線の侘しさを感じる。
夕暮れの生野峠を、1歩1歩踏みしめながら登り、再び瀬戸内海側へ。
すっかり暗くなった寺前に到着。ここから電化区間。最終ランナーは103系電車。「銀の馬車道」ラッピング車。
姫路からの帰宅客とは反対方向なので空いているが、賑やかな走りと揺れでやや落ち着かない締めくくりとなった。
終点・姫路が近づき、列車の明かりが見える。新快速が同時に到着する。
谷川から大阪に行って新快速で戻った場合、約1時間大阪に滞在できたことになるが慌ただしい。
何故か電車はよく眠ることができる。うたた寝を決め込んだ、おバカな帰り道、大回り乗車でした。
10日後は散々鉄道に乗るくせに;鉄の性分ですねぇ。
「青春18きっぷ」は5回分あり、余らせるよりも積極的に使うことにする。
と、いうわけで帰り道、加古川駅に降り立った。
加古川線、西脇市から数少ない谷川行に接続する列車があることに気づき、早速乗車。
西脇市から先、乗客は10名ほど。長閑な風景に眠くなる。
終点・谷川に到着。福知山線の接続駅。谷川駅は丹波市に位置し、播磨とは異なる雰囲気。福知山線は谷川駅前後で大きくカーブしている。地図を見ると興味深いルートを採用している。カーブの両端を山の裏側で繋いでエンドレスに出来そうだ。まるで鉄道模型のレイアウトプランみたいだ。
古く開業した福知山線は極力山越えを避けるため、川沿いルートで敷設された。この付近に日本一低い分水界(標高95.45m)があることも関係あるだろう。瀬戸内海側・加古川と日本海側・由良川へ流れる水が別れる場所が丹波市氷上町にある。
などと考えていたら「丹波路快速」が到着。ここにも225系が投入されている。
兵庫県の外れに行くにしたがって、下車客が増える。私の車両はわずか3名に。
福知山線といえば過密ダイヤ・大事故のイメージがあるが、篠山口以北は単線、各駅停車が1時間に1本程度しかないローカル線。
福知山の1駅手前、丹波竹田で7分停車。特急「こうのとり」に道を譲る。
新型ではなく、JR西日本内で唯一となった国鉄特急色だった。
終点・福知山に到着。高架化後初めて降り立つ。
豊岡行(左側の電車)に乗り換え。
ここから山陰本線に入る。山陰本線沿いの風景といえば、餘部鉄橋、大山、車窓の日本海などを思い浮かべる方は多いことだろう。
私にとって山陰本線といえば、京都府〜兵庫県にかけての区間が印象的だ。(下夜久野〜上夜久野)
列車は両側を山に挟まれた川沿いの段丘を走る。蛇行する川を何度も渡る。
川の対岸は国道9号線、眼下に重厚な瓦葺の集落が点在する。竹藪、杉木立、風に踊る稲、緑豊かな日本の風景が広がる。
やたらカーブが多く、この先に走る線路が続いているのが見える。
瀬戸内海側では感じられない風景の広さ、スケールを感じる。日本海側へやってきたという感覚になる。
今は近代的な電車だが、機関車牽引の窓が開く客車だった頃はさぞかし旅情に溢れていたことだろう。
兵庫県に戻り和田山到着。有名なレンガ機関庫は撤去中で、カバーと足場で隠れていた。
播但線・寺前行に乗車。この区間はディーゼルカー。
和田山〜寺前間は1時間以上間隔が開く。乗客は1ボックスに1名程度で、和田山付近の播但線の侘しさを感じる。
夕暮れの生野峠を、1歩1歩踏みしめながら登り、再び瀬戸内海側へ。
すっかり暗くなった寺前に到着。ここから電化区間。最終ランナーは103系電車。「銀の馬車道」ラッピング車。
姫路からの帰宅客とは反対方向なので空いているが、賑やかな走りと揺れでやや落ち着かない締めくくりとなった。
終点・姫路が近づき、列車の明かりが見える。新快速が同時に到着する。
谷川から大阪に行って新快速で戻った場合、約1時間大阪に滞在できたことになるが慌ただしい。
何故か電車はよく眠ることができる。うたた寝を決め込んだ、おバカな帰り道、大回り乗車でした。
10日後は散々鉄道に乗るくせに;鉄の性分ですねぇ。