2008.08.12 Tuesday
私の夏〜1993〜PART4
1993年・九州の旅 PART4(完結)
8月5日。宮崎・日南線を旅する。「ドリームにちりん」で宮崎に到着した朝、日南線に乗換え。日南線は海沿いを走る観光路線。
まずは青島駅で下車。
青島神社と「鬼の洗濯岩」を見物。1970年代は新婚旅行メッカだった宮崎。今でこそ東国原知事で有名になったが、当時はどことなく寂れた時代遅れの観光地だった。
再び終点、志布志を目指して南下。しかし日南線は油津から先が土砂崩れで不通らしい。どげんかせんといかん。
ここまできて引き帰すのは悔しいので、代行バスに乗り換えて志布志を目指す。油津駅前にて。
JR九州バスは真っ赤なバスが幅をきかせていたが、まだ地方では国鉄塗装のモノコックボディのバスが活躍していた。(日野REとかRC?)
志布志に到着すると、宮崎へ戻れなくなった気動車たちが休んでいた。
国鉄末期までここから都城へ志布志線が出ていた。バスで都城へ抜け、日豊本線で鹿児島へ。市内の温泉でひと風呂浴びてから「ドリームつばめ」で博多へ戻り、翌朝帰路につくことにした。
もう1週間以上九州をウロウロしており、その半分以上が車中泊。いくら快適な787系つばめ車両とはいえ、そろそろ限界。
都城は雨。列車は遅れを増幅させながら鹿児島を目指す。雨はますます激しくなり、もう外は歩けそうにない状態。
ここからが運命の分岐点だった。
夜、西鹿児島駅に到着したものの、熊本・博多方面の鹿児島本線は運転見合わせ。今のところ鹿児島から博多方面の列車が出る保証はない。このまま宮崎へ引き返すか、鹿児島市内に宿泊して翌日帰るか悩んだ。
駅で過ごすことしばし。日豊本線の宮崎行最終普通列車がある。前年まで運行されていた急行「日南」の名残り。しかも貴重なED76牽引の12系客車列車。これで宮崎へ引き返すことにした。遅れに遅れて入線。疲労と夜と雨で写真どころではなかった。結局徐行と停止を繰り返し、なんとか宮崎に到着。それでも接続する「ドリームにちりん」は待っていてくれた。
志布志の写真の日付が8月5日となっているように・・
翌日6日、日豊本線・竜ヶ水駅(鹿児島から1つ宮崎寄りの駅)で、列車が駅ごと土石流に呑み込まれ、海に投げ出されるという大惨事が発生した。(近年、○ロジェクトXでも取り上げられた)
もしも鹿児島に宿泊して、翌日、日豊本線で戻っていたら、あの土石流に巻きこまれていたかもしれなかった。
翌朝、小倉に到着。山陽本線も運休が出ているので、小倉から新幹線を利用して家路につくことにした。この災害を知ったのはその帰り道だった。
S君達は鹿児島でレンタカーを借りて桜島周辺をドライブすると聞いていた。携帯電話も普及していなかったこの時代、安否確認が取れずに戸惑った。結局、道路が川と化した鹿児島で身動きが取れなくなり、返却を1日サービスしてもらったと後で聞いた。
ともあれ、あらゆる出来事が初体験の旅。18歳〜私の夏〜だった。この夏は集中豪雨と冷夏で米不足が深刻化した年だったのを記憶している。
森高千里の「私の夏」を耳にすると、この九州旅行を思い出す。
1993年の夏は1度きり。この先の人生、もう訪れることがない。
私の夏〜1993年〜(Fin)
8月5日。宮崎・日南線を旅する。「ドリームにちりん」で宮崎に到着した朝、日南線に乗換え。日南線は海沿いを走る観光路線。
まずは青島駅で下車。
青島神社と「鬼の洗濯岩」を見物。1970年代は新婚旅行メッカだった宮崎。今でこそ東国原知事で有名になったが、当時はどことなく寂れた時代遅れの観光地だった。
再び終点、志布志を目指して南下。しかし日南線は油津から先が土砂崩れで不通らしい。どげんかせんといかん。
ここまできて引き帰すのは悔しいので、代行バスに乗り換えて志布志を目指す。油津駅前にて。
JR九州バスは真っ赤なバスが幅をきかせていたが、まだ地方では国鉄塗装のモノコックボディのバスが活躍していた。(日野REとかRC?)
志布志に到着すると、宮崎へ戻れなくなった気動車たちが休んでいた。
国鉄末期までここから都城へ志布志線が出ていた。バスで都城へ抜け、日豊本線で鹿児島へ。市内の温泉でひと風呂浴びてから「ドリームつばめ」で博多へ戻り、翌朝帰路につくことにした。
もう1週間以上九州をウロウロしており、その半分以上が車中泊。いくら快適な787系つばめ車両とはいえ、そろそろ限界。
都城は雨。列車は遅れを増幅させながら鹿児島を目指す。雨はますます激しくなり、もう外は歩けそうにない状態。
ここからが運命の分岐点だった。
夜、西鹿児島駅に到着したものの、熊本・博多方面の鹿児島本線は運転見合わせ。今のところ鹿児島から博多方面の列車が出る保証はない。このまま宮崎へ引き返すか、鹿児島市内に宿泊して翌日帰るか悩んだ。
駅で過ごすことしばし。日豊本線の宮崎行最終普通列車がある。前年まで運行されていた急行「日南」の名残り。しかも貴重なED76牽引の12系客車列車。これで宮崎へ引き返すことにした。遅れに遅れて入線。疲労と夜と雨で写真どころではなかった。結局徐行と停止を繰り返し、なんとか宮崎に到着。それでも接続する「ドリームにちりん」は待っていてくれた。
志布志の写真の日付が8月5日となっているように・・
翌日6日、日豊本線・竜ヶ水駅(鹿児島から1つ宮崎寄りの駅)で、列車が駅ごと土石流に呑み込まれ、海に投げ出されるという大惨事が発生した。(近年、○ロジェクトXでも取り上げられた)
もしも鹿児島に宿泊して、翌日、日豊本線で戻っていたら、あの土石流に巻きこまれていたかもしれなかった。
翌朝、小倉に到着。山陽本線も運休が出ているので、小倉から新幹線を利用して家路につくことにした。この災害を知ったのはその帰り道だった。
S君達は鹿児島でレンタカーを借りて桜島周辺をドライブすると聞いていた。携帯電話も普及していなかったこの時代、安否確認が取れずに戸惑った。結局、道路が川と化した鹿児島で身動きが取れなくなり、返却を1日サービスしてもらったと後で聞いた。
ともあれ、あらゆる出来事が初体験の旅。18歳〜私の夏〜だった。この夏は集中豪雨と冷夏で米不足が深刻化した年だったのを記憶している。
森高千里の「私の夏」を耳にすると、この九州旅行を思い出す。
1993年の夏は1度きり。この先の人生、もう訪れることがない。
私の夏〜1993年〜(Fin)