Zakkan (雑感)

趣味の雑感。
合鴨がいた教室
新聞のローカルニュースを目にした。
娘が通う小学校での出来事。

今年度、5年生総合学習の一環で「アイガモ農法」を実施。交代で世話をしてきたという。
しかし、合鴨は交雑種で野生への放鳥が出来ないため、その処遇が議論になったという。一般的には食用に回されるらしいが、「食べる」「食べない」で意見が割れた。

大激論の末、11羽のアイガモ達を地元の動物公園が引き取ることで決着したという。


ここで思い出したのは、映画「ブタがいた教室」

詳細はコチラ。実話に基づいた映画です。
http://www.cinematopics.com/cinema/works/output2.php?oid=8782
結末は映画DVDをご覧くださいませ。
ブタを連れてきた担任の新任教師は妻夫木聡が演じる。
校長は原田美枝子。32年前のドラマ「北の国から」では新任教師役でしたが出世しているんですねえ。(関係ないか)


さて、私なら迷わず合鴨を食べるでしょう。唐揚げ、鴨南蛮、鶏ガラスープまで取るでしょう。農作業お疲れ様、ありがと。
一方で可愛そうと言いながら、その週末に●ンタッキーフライドチキンを食べるようでは、この矛盾に全く説明がつかない。

「いただきます」という日本語を外国語に訳することは難しい。
命を頂戴することに感謝するのは日本人ならではの感覚かも。

命に感謝する=残さず食い尽くすことだと思う。

以前も記したことがあるが、捕鯨に反対する海外の団体。大きなお世話だ。北極圏の人々がアザラシを食べることと同じく、古の日本人は海の恵みに感謝して生きてきた。それが食文化だ。

100円のファストフードもまた、大量の添加物と一緒に命を頂いているもの。
飽食とデフレ価格が命への感謝を軽々しいものにしていないか?


子供たちは鴨を生かす苦渋の決断を下した。


「かわいそう」だけで片づけてもよいのか。

この経験を経て給食時、食べ物の命に感謝するようになった子供もいると記事にはある。

しかし過酷に思われるかもしれないが、“締める”ところを目にすることから本当の「いただきます」が始まるのではないか。

我々が生きるために犠牲となった命を味わって残さず食べること。それが命への感謝であると思う。

関西人が水族館の魚を見て「旨そうやな」と言う落語のネタがある。それは食に貪欲な文化圏ゆえ、「命をいただく」という感覚が無意識に根付いている所以なのかもしれない。「まめさん」「おいなりさん」「おうどん」という愛称があるように。

という訳で、出されたものは全部食べましょう。翌日に残すことは気にしなくいていいですから・・作る側は迷惑でしょうけど?


「食は万里を超える」(チョット違うか?)
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