2013.01.25 Friday
最後のミッション
福島県南相馬市原町区、原町中央産婦人科院長、高橋享平さんが22日亡くなったという報道を知った。(享年74歳)
原発事故で「屋内退避」となり避難を余儀なくされた南相馬市、病院は原発から25kmの位置にあり避難対象区域に入っていた。
高橋医師は看護師らと共に市内に残り、市内で唯一出産ができる医療機関として診療を続けてきた。他の医療機関が閉鎖されていた時期も診療科目を問わず、多くの患者の診療を続けた。
震災から約1年間、同医院は南相馬市唯一の産科として機能した。この間、高橋医師は80人以上の赤ちゃんの誕生に立ち会った。
原発事故から約2ヶ月後、高橋医師は直腸がんで余命6ヶ月の診断を受ける。その後もがんの治療を受けながら診療を続けていた。
「患者を置いて逃げられない。人生最大の使命」
「人生最後のミッションと腹に決めて、ここでいつ死んでもいい、自分で決めて挑戦してきた」
という言葉を残している。
昨年12月に体調を崩して入院。今月22日、帰らぬ人となった。
これからも必要とされる人が病に絶たれる、運命は切ない。
まさに「医は仁術」を実践された方だと思う。
高橋医師に敬意を表し、ご冥福をお祈り申し上げます。
自らの死期を悟った高橋医師は「最後のお願い」 として後継者を募っていましたが、勇気ある方が無事見つかっているようです。
原発事故で「屋内退避」となり避難を余儀なくされた南相馬市、病院は原発から25kmの位置にあり避難対象区域に入っていた。
高橋医師は看護師らと共に市内に残り、市内で唯一出産ができる医療機関として診療を続けてきた。他の医療機関が閉鎖されていた時期も診療科目を問わず、多くの患者の診療を続けた。
震災から約1年間、同医院は南相馬市唯一の産科として機能した。この間、高橋医師は80人以上の赤ちゃんの誕生に立ち会った。
原発事故から約2ヶ月後、高橋医師は直腸がんで余命6ヶ月の診断を受ける。その後もがんの治療を受けながら診療を続けていた。
「患者を置いて逃げられない。人生最大の使命」
「人生最後のミッションと腹に決めて、ここでいつ死んでもいい、自分で決めて挑戦してきた」
という言葉を残している。
昨年12月に体調を崩して入院。今月22日、帰らぬ人となった。
これからも必要とされる人が病に絶たれる、運命は切ない。
まさに「医は仁術」を実践された方だと思う。
高橋医師に敬意を表し、ご冥福をお祈り申し上げます。
自らの死期を悟った高橋医師は「最後のお願い」 として後継者を募っていましたが、勇気ある方が無事見つかっているようです。